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メディアグランプリ

味方は裏切る、敵は裏切らない


記事:たにこにーさま(ライティング・ゼミ)

 

真冬の深夜、一人黙々と事務所で作業の日々が続いていました。
エクセルとパワーポイントと睨めっこして、グーグル翻訳とエキサイト翻訳のどっちがいいかを毎度のごとくフィルタリングをかけつつ、少しずつ少しずつ作業を進めていました。他人の作業を。

締め切りまで残り5日。
終わらない、終わらない、終わらない……。
と思いながらも、1人で黙々と資料を作り、翻訳をし、各種手配をして、予算を組みなおしていました。他人の作業を。

思いつきのように降ってわいた企画や、誰も役割を振らないうちに誰もやらないから結局引き受けた仕事を涙堪えつつやっていました。(涙は出ていませんが、喜怒哀楽という感情を超えて、たどり着いた境地は「無」)
他人の作業を。

28時頃、1人被害者……ではなくて、仲間が事務所にやってきました。聞くと、責任者と酒を飲んで、酒におぼれているのを見かねて、送ってきたところだと……。

なんていい人なのでしょうか。
その仲間はこのプロジェクトを通じて、交流を深めました。
お互いの愚痴を言ったり、慰めあったり、助け合ったり。
彼がいたから、僕は作業ができた、といっても過言ではありません。

そして、彼が面倒を見た相手は、僕に業務を思い切り丸投げした人でした。
彼はお酒を飲むと、やらかして、僕らに「何やってるんだよ」と半ばあきれられつつ、いじられるキャラだったのですが、28時の夜、彼の作業をしていたときに、やらかした話を仲間から聞いていたとき、浮かんできたのは……ない。全くない。むしろ、業務を終わらせるためにカタカタとパソコンを動かす音のみ。

彼の言葉に「へぇ」、「それはそれは」、「二日酔いにならないといいですね」と無感情に返す僕。そのときの僕は、本当に感情が無くなっていて、文字通り「無情」でした。

その僕を見た、仲間が発したのは、
「おまえ、冷たいなー。もっとリアクションしてやれよ」でした。
リアクションしてあげたいのは、山々だったのですが、
そのときは本当に感情が欠落していました。

今、考えると、その酔っ払った彼に「裏切られた」と思っていたからかもしれません。
そのプロジェクト中、彼の「裏切り」に何度も遭ってきましたが、その度に酔っ払いの彼は僕のフォローしてくれたり、一言声を掛けてくれたりしました。
そこで僕の無感情への道は遮断されていたのですが、限界突破したのです。一番尊敬していた彼への「裏切り」に。

僕は1人壮大な世界に取り残された気分になったのは、久しぶりでした。
酔っ払いの彼に対して無感情だったのは、目の前にあるモリモリと積まれている業務の山に対応することで、余計な感情をそぎ落としていたのだと思います。

振り返ると、あの時のどうしようもない「無感情」は僕の中に悪い思い出として残っています。全体のプロジェクト自体はいろいろなことがあったけれど、結果的にたくさんの仲間と知り合うことができたし、新たなプロジェクトに携わることができた契機として、本当にやってよかった! と思っています。

でも、どうしても、あの「裏切られた」感覚は後味悪く残るのです。

 

さて、『名探偵コナン』が大好きな少年は、ある時を境に、『名探偵コナン』を読むことをやめてしまいました。それは、誰のことかって? 私だよ!! (懐かしい)
なぜ読むのをやめてしまったのか、それは僕が大好きなキャラクターであり、主人公の仲間だと思っていたキャラクターが犯人だったからです。

本来は、その意外性に読者はウケるのでしょうが、少年の心は思った以上にピュアで美しくて、それはまるでエーゲ海のような透明さだったのでしょう。うん。だったのです。
結果、その大好きなキャラクターが犯人であることが受け入れられませんでした。

そのひげのおやじが犯人でいいじゃん。
いや、あのイケメンはイケメンが罪ということで犯人でいい。
なぜ作者は彼を犯人にしたんだ。

と一方的な感情を持っていたのでしょう。そして、さも当たり前のように、本を読むのをやめて、醒めてしまったのです。
どうやら、その少年=僕は、突然の裏切りに感情を出すことや興味を継続すること自体を放棄してしまうらしいのです。

とはいえ、事前情報で、すごいどんでん返しが起こると言われれば、それを受け入れることができるくらいの経験は積みましたし、映画ライターの時は、むしろ、人や展開を「いかにしてうまく裏切っているか」を軸に作品を評価することが多々あります。(読者に好まれるから、というのがありますが)

どんでん返しが起こらない作品は、話の全体がのっぺりとしていて、皆さんの眠気を誘うこと請け合いです。また、どんでん返しの仕掛けがお粗末だった場合、皆さんの批判をいただくこと請け合いです。関係者の皆さん、ご注意ください。

 

話を戻しまして、
人生を曲がりなりにも積み重ねてきた私は、多少の「裏切り」にはなれましたが、酔っ払いの彼の裏切りは、僕が『名探偵コナン』で味わった衝撃に似ていました。そして、それを受け止める、心のエアバックは僕にはありませんでした。

「味方に裏切られたくない!」
僕の心の根幹に居座る感情でした。

そんな話を、大先輩にしていたとき、金言をいただきました。
「おまえの味方に裏切られたくないって言うのは、【味方は裏切らない】という思い込みなんだよ。そうじゃない。味方は【裏切る】んだよ。逆に敵は裏切らない」

目からウロコが落ちました。
僕は事象や人に対して「あなたは私の味方なのだから、裏切らないよね」と担保していたということを大先輩は射抜いてきたのです。
でも、よくよく考えたら、そうなのです。「味方だから裏切る」という言葉がある。「敵は敵なのだから裏切るということは、味方になる」ということになるのです。

いや、全てを疑ってかかれということではないのです。
でも、「信頼している」という担保に業務をやるのは間違っていることを気付かされたのです。業務をしている仲間の癖を知り、不得手を知り、僕と一緒に業務をすることで最大限のパフォーマンスを発揮できる環境づくりを一緒にやって、信頼しあう関係を構築する必要があるということなのです。

「信頼し合う味方し合う」ということでしょうか。
時には考え方で敵になることもあるでしょうが、お互いの中身を知った上で信頼し合う関係ができたのであれば、味方し合うことができるのです。

信頼し合うことをベースに味方し合う人間関係を作れば、私たちはどんでん返しがあったとしてもうまいこと感情が回るのかもしれません。
冒頭で書いた、他人の業務であっても、「信頼し合う味方し合う」関係であれば、その業務をフォローすることに違和感はないし、逆にどこかでフォローしてもらっていることが実感できるような気がします。多分。

映画だって、コナンだって、作品のバッググラウンドや監督や作者の考え方を知ることで、彼らの考え、ストーリー構成を信頼し、味方し合う。そうだったら、どんでん返しも、それはそれで作者の考えなのか! と受け入れられるような気がします。

 

そんなことを思いながら、
今日も新しいプロジェクトの企画書を作ります。
他人の作業を。

 

***
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2016-02-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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