メディアグランプリ

ボギーとは呼ばれなかった……



 

 

記事:西部直樹さま(ライティング・ゼミ)

 

 

彼は、初めて会った時に、

「え~と、ロバートといいます。よろしく」と名乗った。

ロバート?

なぜ、ロバートなのだ?

誰もが疑問に思ったけれど、何とはなしに、それ以来、彼はロバートと呼ばれていた。

 

もうずいぶん昔のことである。

あるサークルでの出来事だ。

ロバートの本名は知らない。思い出せない。

彼は永遠にわたしの中ではロバートである。

 

ロバートと呼ばれた彼は、どう見ても生粋の日本人であった。

ハーフでもクォーターでも、近所の欧米人が住んでいるわけでもなく、

ただ、ロバートという字(あざな)を持っていただけなのだ。

誰からともなくロバートと呼ばれ、以降それが定着したのだ。

 

本名は鈴木権左右衞門かもしれないが、ロバートと呼ばれることで、

彼は、ロバート以外の何者でもなくなっていた。

 

「字(あざな)か……」

姿形とは、いささかかけ離れた感はあるものの、

ロバートという響きから、オーラがでているように思えた。

 

翻って、小学生の頃、私につけられたあだ名は、

 

「出目金」である。

 

なかなか哀しい。

 

このようなあだ名を付けた者の感性と品性を疑わざるを得ない。

小学生だから、単純に私の知性と愁いを帯びた大きな目を見て、

目が大きいなあ、だから「出目金だ」としたに違いない。

知性や愁いを感じ取る感受性がなかったのだろう。

小学生だから、致し方のないことではある。

 

その後は、西部の最後をとり「べー」とか

前の方だけで、「にし」とか、

まったく芸のない呼ばれ方をした。

つまらない限りである。

 

若い頃からハードボイルド小説が好きで、なかでもレイモンド・チャンドラーに心酔していた。彼の小説は度々映画化され、主人公のフィリップ・マーロウは、ハンフリー・ボガートが演じていた。

あのような、男になりたいと思ったものだ。

「ああ、ボギーのようになりたい」と漏らしたこともある。

できれば、ボギーと呼んでくれと願ったこともある。

しかし、誰も私のことをボギーとは呼んでくれなかった。

残念至極である。

 

 

鉄血宰相とか、越後の龍とか甲斐の虎とか、東海道一の弓取りとか、音速の貴公子とか、土俵の琴バウアーとか、

そのような、字(あざな)とかあだ名とか別称とか惹句が欲しい。

それも、一度聞くと忘れないような、そして、とても素敵なのが。

 

なぜ、字やあだ名や別称とか惹句が欲しいのか。

それは、字やあだ名や別称とか惹句があると、無味乾燥な名前だけではなくなるから。

そして私が別ものになれるからだ。

鈴木権左右衛門(推定)の彼が、ロバートになったように。

 

自分自身を嫌いなわけではない、大好きだ。

妻の次に、娘の次に、息子の次に好きなくらいだ。

しかし、五十余年付き合ってきて、いささか飽きた、

ちょっぴり別ものになりたいではないか。

 

鉄血宰相と呼ばれたビスマルクは、四六時中鉄血だったのか?

そうではなかろう。

東海道一の弓取りと称された徳川家康も、いつも武将の家康であり続けたわけではないだろう、正室前では、あるいは孫たちの前ではよき夫であり、好々爺だったのかもしれない。

音速の貴公子セナは、いつも高速度で運転していたわけではないだろう。

 

しかし、一度その名を冠されれば、鉄血となり東海道一の弓取りとなり、音速の貴公子となるのである。

 

身近なところでも、

全開フルスロットルを惹句にしている某氏も、時にはフルスロットルではなく、風呂場で一人さめざめと泣くときもあるという。しかし、全開フルスロットル、バリバリと惹句を唱えれば、気力と意欲が湧き出てくるのだ。

さめざめと泣く姿は払拭され、別人になっているのだ。

あるいは、婚活○○士も、四六時中婚活をしているわけではなく、普通に仕事をしているはずだ。しかし、ひとたび「婚活○○士の~」といえば、彼の姿が想起されるのである。

 

その字、あだ名を聞けば、その人のことが思い浮かぶ。

その字、あだ名で呼ばれれば、そのものになれるような

 

体を表した「出目金」ではなく、

越後の龍とか、甲斐の虎とか

聞くだけで奮い立つようなものはないのだろうか?

あるいは、ロバートのように、別人になれるような、別称、惹句はないのだろうか。

 

と、このような願望を

妙齢で佳麗な知人に話をしたら、

前の記事に書いていた「説得力のある顔」で、いいじゃないの

と、一蹴されてしまった。

 

「説得力のある顔」のとか「説得顔」とかは、どうもなあ……

「出目金」と差異はないように思える。

 

そもそも、これほどまでに字やあだ名や別称とか惹句にこだわるのかといえば、

妻のせいなのだ。

 

過日、妻がとあるセミナーに参加して、

「こんなキャッチフレーズ、つけてもらった」といってきたからなのだ。

 

妻につけられたキャッチフレーズは、

プライベートでは

「あまいろかあさん」という。

優しく、暖かい母性を感じるではないか。

 

そして、ビジネスでは

「コミュニケーションモチベーター」とつけられたという。

おお、これもよい。仕事を表しているし、少しなんだ? と思わせるところもいい。

 

羨ましい。

私もこんな惹句が欲しい!

と思ってしまったのだ。

 

妻とは同じ仕事なので、「コミュニケーションモチベーター」は、いただくことにしよう。

プライベートでは「説得顔」ではないのが欲しいなあ。

 

と、漏らすと

「それで十分よ」と

私には鉄血細君の妻に諭されてしまったが……

 

いつか、「○○○」と呼ばれれば、「西部さんですね」という日が来ることを願おう、

「説得顔」ではなくて。

 

 

 


2016-03-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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