あの日の母の楽天性
記事:諸星 久美さま(ライティング・ゼミ)
「あの~、女の子なんですけど……」
「え? え? あっ、すみませんっ。すぐに用意してきます!」
これは、小学6年生の冬。
中学の制服を買いに出かけた際に交わされた、母とテーラーのおばさんとの会話である。
*
その日、私と母は、中学校の入学式に間に合わせるため、地元のテーラーに制服注文に訪れていた。
「はい、とりあえずこれ着てみてね~」
と、お店のおばさんに差し出された制服見本の袋を受け取り、私は一人でフィッティングルームに入った。
鏡の前で服を脱ぎ、渡された制服を袋から取り出して広げてみる。
年子の姉が中学に通っていることから、それが女子用の制服ではないことは、一目で分かった。黒い上着には金色のボタンが並び、スカートの変わりに、ズボンが落ちている。
これまでで最強だな。という思いと、なんかの冗談かな? という思いが混ざり合う中、私はニンマリと笑いながら、学ランに袖を通した。
なかなか似合うじゃん。
鏡を覗き込んで悦に入っているところに、
「ど~お?」
カーテン越しに母の声が聞こる。
笑いをこらえて、シャッと勢いよくカーテンを開けると、ほよよ顔の母の顔が、ゆっくりと笑い顔に変わっていく。
「これって、男子のだよね?」
分かりきったことを尋ねてみる。
母はクスクスと笑いながら頷き、その先で、冒頭の会話が生まれたのだ。
*
そう。
小学生の頃の私は、男の子に間違われることの多い、女の子だったのだ。
凹凸のない、棒のように細い身体と短髪。
スカートは持たずにいつもパンツ姿。
ピンクもリボンも苦手。
内股も、丸文字も、甲高い声の女子も苦手。
そして、制服注文で学ランを出されても、泣きだすこともなくそれを受け入れ、敢えてそれを着てしまうような、少しばかり天邪鬼な女の子だった。
けれど、初めからそうだったわけではなく、低学年の頃はずいぶんと涙を流したものだった。(小学校入学と同時に短髪にしたため、未就学児の頃は、そのような経験は皆無だった)
学校で女子トイレに入ろうとしたところ、
「男の子はこっちよ」
と、用務の先生に手を引かれて女子トイレから出された時は、恥ずかしさも混ざって大声で泣いたし、学芸会の役衣装で、しかたなくスカートをはいているのに、
「男が、スカートなんてはいていいのかよ~」
と、男子がチョッカイをだしてきた時も、涙を流すだけで反論すらできなかった。
だが、何でも慣れは生じるものだ。
出かけた先で、「ぼく~」と声を掛けられる度に、涙ぐみながら、「おんなです……」と、小声で返していた返事は、回数を重ねるごとに大きくなっていき、場合によっては、訂正せずに、男の子になりきってその場をしのぐ、という術も身につけていった。
慣れてしまえば、それは何でもないことになった。
そして、時折男の子としてふるまう時間は、私の中に、性別など、対して大きな意味を持たないのではないか? という思いを生じさせ、その思いは、深く私の中に住みつくようになった。
*
中学時代、私の身近には、女の子同士のカップルがいた。
彼女たちに嫌悪を示す子もいたけれど、私にとっては、カップルたちよりも、嫌悪の眼差しをカップルに向けて、陰口を言う子の方が醜いものに映った。
「好きなものは好き」
その想いのままに行動している人が、私には潔く見えたのかもしれない。
思春期に生まれたその思考は、母親になっても健在で、
「もし同性を好きになっても、本気で君たちが好きだと思う相手なら、ちゃんと受け入れるからね。恥ずかしいことだと自分を否定せずに、しっかり報告すること。そして、そのような生き方をしている人を、決して否定してはいけないこと」
という伝達を、私は何度か子どもたちにしてきている。
男なんだから、男を。
女なんだから、女を。
孫に会いたいから。
世間体が悪いから。
これらの理由で子どもの恋愛事情に介入することは、子どものためではなく、親としての私が先立っての身勝手な行為だと思うし、彼らが、「誰かのために震えるほど心を動かす」という素晴らしい経験をするのなら、私にとっては、その対象が異性でも同性でも構わないのだ(ラッキーなことに夫も同意見)。
それに、
「3人のうち1人でもそんな子がいたら、何だかおもしろそうだな」
なんてことも考えてしまうのだから、もしかしたら私は、一般的な理想的母親像からはかけ離れているのかもしれない。
また、私のそのような思考に、
「こういうやつがいるから、余計少子化が進むんだよな~」
と反論する人もいるだろう。
けれど、
「俺はこういう考えだけど、そういう生き方もあるよね」
そんな風に、躊躇なく他人の生き方を受け入れられる柔軟な対応能力は、身につけておいても惜しくない能力なのでは? と思うのだ。
あたり前のことだが、同性同士では子どもは誕生しないし、同性愛を推奨しているわけでもない。
けれど、映画『チョコレートドーナツ』の中で描かれるような愛のトライアングルが、非日常から日常へと変わっていく世界がくることを願うのは、本当に楽観的過ぎる思考なのだろうか……と思うのだ。
~『チョコレートドーナツ』とは、1970年代のアメリカ・ブルックリンで実際にあった「障害を持ち、母親に育児放棄された子どもと、家族のように過ごすゲイの話」。~
(ABOUT THE MOVIE より)
*
そんなことをグダグダと考えながら、私は、私の学ラン姿を笑ってくれた母の楽天性を愛しく思いかえす。
あの場で、母がお店のおばさんに怒りや不機嫌な態度を見せていたら、私の中学制服購入日の記憶は、どこか物悲しい記憶として刻まれただろう。
その後の夏服購入や、ブラウスの追加購入をしに行くたびに、お互いに気まずい思いをしたかもしれない。
けれど母は、クスクスと笑いながら、私の学ラン姿を見つめくれたのだ。
あの時代に携帯があったのなら、写メを撮って、父や姉に送っていたかもしれないほどの笑顔で。
なんにせよ、母のあの日の楽天性が、あの場の空気間を、今も面白おかしく私に蘇らせ、彼女の元で子ども時代を過ごせたことへの感謝の気持ちを持たせることは、確かなのだ。
久しぶりに、耳も首も出した刈り上げ短髪になったところで思い出した懐かしい記憶を、
母の日に実家に訪れた先で、母と一緒に思いかえしてみようか。
「写真撮っとけばよかったね」
なんて、笑い合いながら。
≪終わり≫
***
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