メディアグランプリ

2番目に新入社員に教えること


記事:ダモイ コジロー(ライティング・ゼミ)

朝八時、僕は扉の前で深呼吸をしていた。
先週までの新入社員研修を終え、今日5月初日から配属先の営業部で働くのだ。
入社式の日に会った上司はメタルフレームの眼鏡に紺色のスーツで、一回も笑い顔を見せなかった。人事部の人が「根は優しい人なんだよ」と作り笑いをしながらフォローしたのが記憶に残っている。
もう一度、扉の前で息を吸い込んだ。

「おっ、新人さんか? 早く入ろうぜ」
後ろから声がして振り返ろうとしたところ、肩に腕をまわされる。
男性はもう片方の手で扉を開けて、「ほらほら」と言いながら僕を部屋の中に押し入れた。

「課長~。新人来ましたよ~」
先輩は課長席の前まで僕を連れていく。
「そうか。ちょうど良かった。お前に新人の育成を任せようと思っていたんだ」
「えっ、そうなんすか?分かりました。よろしくな。俺は荒井っていうんだ」
荒井さんがこちらを見て笑う。ちょっと強引だけど楽しそうな人だ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
僕は先輩に失礼がないようにマナー研修通り、九十度腰を折ってお辞儀をした。

荒井先輩は、今から電話で約束をとりつけた会社に営業に行くという。「今日は、とりあえず俺の横で話を聞いてるだけでいいから」と言われ、僕はいきなり、その営業に連れていかれた。

営業先へ向かいながら僕は気持ちが落ち着かなかった。「初めてお客さんに会うんだし、名刺の渡し方はどうだっけ」と研修を思い出すけれど、なかなか気持ちが入らない。それは、どうしても明日のことを考えてしまうからだ。
というのも、明日僕は女友達に告白するつもりでデートに誘っていた。東京に出てきて1ヵ月、地元のあの子が本当に大切だということを実感していた。ゴールデンウィークに地元に帰り、勝負を決めるつもりだったが、勝算はそこまで高くなさそうだなと正直思っていた。

考えるうちに営業先に到着した。無事に名刺交換をすませると商談が始まる。荒井先輩は手慣れたもので、お客さんへの挨拶、サービス説明をそつなくこなしていく。
うちの会社はインターネットの検索でお客さんのWebサイトが上位に来るようにするサービスを提供している。一度目の訪問でサービスを知ってもらい、二度目の訪問で詳細をつめて契約をもらうのが定石と聞いていた。

お客さんは、一通り話を聞いていくつか質問をしてきたが「うーん」と難しそうな顔をした。
「今お願いしてる会社と比べてサービスも価格も変わらないし、御社に頼むメリットをあんまり感じないなぁ」

雲行きはあやしそうだ。営業がうまくいくのは3割くらいだとも聞いていたし、これは次の会社に期待かなと荒井先輩の顔をちらりと伺う。その瞬間、先輩は力強くこう言い放った。

「だから、いいんです!」

えっ、どういうこと!? 「サービスも価格も変わらない」のがいいことなはずはない。
お客さんも口を開いて、先輩の次の言葉を待っていた。

先輩は「同じなら悪くなるリスクもないし、新しい会社を試した方が視点が増えて良い結果につながる可能性は高いんだ」とかなんとか説明した。その話はこじつけにも聞こえたが真実である一面もあり、不思議な説得力を持っていた。
最終的に、お客さんから「現状の情報を用意するから、次回さらに詳しく話したい」と言われ商談は次につながった。

「先輩すごいです! お客さんの状況にあわせてうちのメリットを伝えるんですね」
お客さんのビルを出ると僕はすました顔を崩して、先輩に話しかけた。
「そんなこと考えてないよ」
先輩は昼食どうしようかとお店の看板を眺めている。
「だって、さっき『だから、いいんです!』って力強く言って説明してたじゃないですか」
「あー、あれね。俺はいつでもピンチの時はああ言うようにしているの。言ったときには何にも考えてないんだけど、言ってしまえば何か思いついてなんとかなるもんだ」
先輩は「ピンチはチャンスなんだよね」と言ってスンドゥブ・チゲが一押しの韓国料理店に入っていった。

翌日、僕は新幹線で地元に戻り、約束のカフェに入った。時計を見ると午後2時55分もうすぐ女友達と約束した時間だ。彼女のことは学生時代からずっと好きだったけれど、結局告白できず上京してしまった。

うすい緑のワンピースを着た彼女がカフェの扉を開けて中に入ってくる。
「さすが営業配属は時間にきちんとしてるね。えらいえらい」
彼女はそう言って椅子に腰かけた。お互い4月からの新生活についていろいろ話し、1時間があっという間にすぎた。雰囲気が十分ほぐれたところで僕は本題を切り出した。
「今日は、話したいことがあって呼んだんだ」
「何?」
彼女はストローでレモンスカッシュのレモンをつついている。
僕は大きく呼吸をして一息に思いを伝えた。
「前からずっと好きだったんだ。つきあってほしい」
彼女はストローを動かす手をとめて、少し間を持った。
「大学の時ならまだしも今さらじゃない?それに遠距離恋愛になっちゃうしねぇ」

「だから、いいんだよ!」

咄嗟に先輩の言葉を使った。僕は頭をフル回転させて、そこから熱弁した。
「お互いのことはよく分かっているから離れていても問題は少ない、働き出すとかえって会える日と会えない日がはっきりしている方が上手くいきやすいんだ」というようなことを伝えたと思う。先輩の言う通り、その場になれば何かしら思いつくもんだ。
彼女は僕の勢いに押されたのか「それは確かにそうかもね。いいかもしない」と考え直したようで、「ちょっと考えさせて」と言ってその日は帰っていった。

連休明け、僕は早速、荒井先輩にお礼を言った。
「いきなり応用するとは、お前やるときはやるんだな」
先輩がにっと笑う。
「だけど、気をつけろよ」と先輩が言ったところで「荒井さん、電話入ってます。内線3番」と声がかかり、午前はそのままオフィスワークに終始した。

お昼休みを買いに外にでると携帯電話が震えた。彼女からだ。
「なんか声を聴きたくなっちゃって」
と彼女は言う。これはチャンスだ。
僕は自分の気持ちと遠距離恋愛の良さを再度、電話越しに力説した。

外でお弁当のインドカレーを買って自席に戻る。
「おっ、一緒にたべようぜ」
先輩は本格四川麻婆豆腐丼と赤字で書かれた弁当を持っていた。

食べ始めると机の上で再び携帯電話が震えた。彼女からLINEが届いたみたいだ。
スプーンをおいて、急いでメッセージを確認する。
「この前の話、うれしいんだけど、やっぱりごめんなさい」
ええっ、なんで、いきなり。僕はスプーンをとる気力もなくなって頭をうなだれた。

「急に黙り込んでお前どうしたんだ?」
先輩が麻婆豆腐をレンゲですくって頬張りながらきいてくる。
「先輩。彼女の件、ふられちゃいました……。先輩のやり方でうまくいったと思ったんですけど」
「ああ、それか」と先輩は言った。
「『ピンチはチャンス』って教えただろ」
「はい」
「ってことは、逆もそうなんだよ」
「どういうことですか?」

「『ピンチはチャンス』ということは『チャンスはピンチ』」

僕が話についていけない顔をしていたのだろう、先輩は言葉を続けた。
「うまくいきそうだと思ったチャンスの時の方が実は難しいんだよ。その時にどうするかは、まだ教えてなかったな」
荒井先輩はいつの間にか麻婆豆腐丼を平らげていた。そして、「辛いものと甘いものは別腹だよな」と言うと、デザートの杏仁豆腐を取り出した。

先輩はうまそうにデザートを食べている。
そういうのは早く教えてほしかった。

 

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2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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