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【妄想】最高に頭がどうかしている女上司にこんな命令をされてみたい


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記事:安達美和(ライティング・ゼミ)

「チャップリンているでしょう? 喜劇俳優の。彼はものすごく生まれが貧しくてね、貧民街で残飯を漁ってたこともあるんだって。でも、ゴミ箱をひっくり返しながらも、『自分は将来、必ずスーパースターになる』って信じて疑わなかったらしいの」

上司の口から語られたそのエピソードは、確かに勇気の湧くものだと思った。
でも、今のボクの関心はビタ一文そこにはない。

「……美代さん、今のお話はさっきの質問の答えになってるんでしょうか?」
「え?」

ボクの質問は、上司の美代さんがゴマだれに付けたうどんを勢いよくすすり込んだ音で、またかき消された。たれが美代さんの顔に飛び散る。

「ほら、加藤ちゃん、早くあのご婦人に声をかけなさい」
「だから、ボクやるって言ってないじゃないですか」
「君の意見は聞いてないのよ、加藤ちゃん。これは上司の命令なの」

常日ごろから思っていたけど、確信した。この人は頭がおかしい。

「早くあのご婦人からとんかつを一切れいただいて、君のカレーうどんをカツカレーうどんにしなさい」

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近所でも美味しいと評判の会社近くのうどん屋は、今日も繁盛していた。

40歳前後の夫婦が切り盛りしている店で、コシが強く噛みごたえのあるうどんが人気だ。
調理担当のご主人は、実家がそば屋にも関わらず自身はそばアレルギーという、笑って良いんだから悪いんだか分からない因果な人で、「そばがムリならうどんでしょ!」という極めてシンプルな発想からうどん屋に転身したらしい。

お運びの奥さんは今日も天真爛漫、森の小路を散歩するみたいなウキウキした足取りでテーブルの間を縫っていく。クリクリと大きな瞳の子リスのような顔で、とても40歳には見えない。小柄な体躯に似合わない大きなおっぱいが揺れている。今日もでかい。安定のマスクメロン。

「おまちどうさまー!」

奥さんが弾むようにボクらのテーブルまでやってきた。お盆に載っていたのはボクの頼んだカレーうどんと、ボクの上司である美代さんのゴマだれうどん、そしてもうひとつは、

「あ、今日カツカレーうどんあったんですか?」
「ごめんなさい、これが最後だったの」

奥さんはおっぱいを揺すって申し訳なさそうにしたが、そのままお盆を運び去った。

ああ、惜しい。ここの揚げたてのとんかつを乗せたカレーうどんは最高なんだ……
ボクは、最後の一杯を食す幸運な客を目で探した。
テーブルを3つほど隔てた先にいるその客は、意外にも80歳近くに見える小柄な年配の女性だった。

「食べたかったの?」

向かいの席の美代さんがゴマだれにネギを入れながら言った。

「うっかり見たら食べたくなっちゃいました」
「カツだけは頼めないんだ?」
「はい」
「ふーん」

そして、勢いよくうどんをすする。はねたゴマだれが美代さんのほほとあごに飛んで、マヌケな顔になっていた。

「だったら、もらえばいいじゃない」
「は?」
「いま食べてるあの人に頼めばいいのよ。カツを1切れください、って」
「美代さん、今日も頭が沸いてますね」
「ひっぱたくわよ、加藤ちゃん」
「すみませんでした」

いつものように軽口を叩いてみたけど、内心ドキッとした。

声のトーンで分かる。美代さんは真剣だった。
ボクをじっと見つめる目は一重のくせに妙に大きくて、ムーミンに出てくるスナフキンの目みたいだといつも思う。

ボクの上司の美代さんは変わっている。
その表現が足りなければ、頭がどうかしている。

美代さんは背がかなり低い。150㎝もない。年齢は35歳くらいらしいけど、そうは見えない。とは言っても若く見えるわけじゃない。かといって老けてもない。何歳にも見えないのだ。
仕事は抜群にできるけど、いつもほぼノーメイクで、きれいな言葉遣いとは裏腹に仕草がザツだ。
結婚はしていない。たぶん彼氏もいない。部屋中を多肉植物で埋め尽くしているらしい。
そして、時々、ものすごく無茶な命令をボクにする。

どうしてあの女性からカツをもらわないといけないんですか?のボクの問いには答えず、美代さんはチャップリンのエピソードを語った。

「残り4切れ」

美代さんが女性の方へ目をやったまま言った。

「ここのとんかつは全部5切れになってるわよね。いま、ひとつ口に入れた」

ボクの座る位置からだと、大きく身体をねじらないと女性の姿は見えない。

「ねえ、さっきわたしに、あの人からカツをもらえって言われた時、加藤ちゃんはどう思った?」
「そりゃ、もちろん、」
「『できっこない』って思ったでしょ、間髪入れずに」

誰だってそう思うだろう。
親戚でも親しい間柄でもない人間に、いきなり「あなたの食べているモノを分けてくれ」と言われて「はい、どうぞ」と素直にくれる人がいるだろうか。

「あたし、こういう時の加藤ちゃんの腐った高野豆腐みたいな表情、大嫌い」

スナフキンの目でボクを見つめたまま美代さんが言った。
腐った高野豆腐……なんだかサッパリ分からないけど、とても傷つく。

「残り3切れ」
「じゃあ、美代さんはあの人からすんなりカツをもらえるんですか?」
「ムリよ。でも、すぐに『できっこない』なんて思わない。『どうしたら分けてもらえるだろう?』って考える。一生懸命、考える」

くだらない話をしているはずなのに、一瞬胸が痛むのが分かった。

「加藤ちゃん、どうすればあの人からカツをもらえると思う?」
「……とりあえず話しかけます」
「なんて?」
「『美味しいですよね、ここのカツ』って」
「続けて」
「『ボクも大好きなんですよね』……それから、」
「うん、それで」
「『……おなかいっぱいならお手伝いしますけど?』とか」
「『あたしは見かけによらず大食らいでね、これでも足りないくらいなのよ。ところでお兄さん、誰だい? あたしの知り合いでもないのに、なんなんだい?』……ほら、加藤ちゃん、答えなきゃ」
「ムリじゃないですか! ていうかそれって美代さんのさじ加減じゃないですか!」
「考えるのよ、もっと考えるの」

もう、ムリだし、くだらないし、なんなんだよ……。

「残り2切れ」

そう言われても、思考は一向に進まなかった。
さっきのあれがボクの精一杯だ。

そもそも、知らない人間に話しかけられるのでさえ普通はちょっとイヤなのに、その上「あなたの食べているとんかつを1切れくれ」なんて言われたら、気味が悪くて仕方ないだろう。
仮にくれたとしても、その後この店でのボクのあだ名が「とんかつおねだり男」なんてなったら二度とこの店へ来られない。奥さんのおっぱいも拝めない。別にボクはカツなんか欲しくない。

「ねえ、『貧民街出身から喜劇王になる』ことと、『知らない人間から1切れカツをもらう』ことだったら、どっちが難しいと思う?」
「チャップリンと比べないでくださいよ」

美代さんの言葉に、無意識に吐き捨てるように返してしまった。
そしてその途端、どうしてだかものすごく恥ずかしくなった。

「分かった。じゃあ、こう考えてみてほしいの。『貧民街出身の人間がなぜか喜劇王になれた』だとしたら、彼は一体なにをやってそうなれたんだろう?『見知らぬご婦人がなぜかとんかつを1切れ分けてくれた』どうして分けてくれたんだろう?」

そう言われて、ボクはイメージしてみた。
あの女性がニコニコしながらカツをつまみ「はい、どうぞ」とボクに差し出すシーンを。

どうしてこの人はボクにカツをくれるんだ?
ボクは一体なんて彼女に話しかけたんだ?

その瞬間、今まで石膏のように固まっていたボクの頭に、いくつかアイディアが浮かぶ気配がした。

「残り1切れ」

でも、まとまらない。時間が足りない。
すると、美代さんがスッと席を立ち、そのままスタスタと女性の元へ歩いていった。
何ごとか話しかけていたが、女性はニコッとしてネギのあった小皿にカツの最後の1切れを乗せて、美代さんに差し出した。
呆然とした。

戻ってきた美代さんにボクはすぐさま尋ねた。

「なんて話しかけたんですか?」
「そのとんかつ、1切れくれませんか? って」
「え! それですんなり『いいわよ』って、くれたんですか?」
「まさか」
「じゃあ、なんて?」
「実はあそこに座ってる男がむちゃくちゃで、あなたからカツをもらわないとクビにするぞって言われてる、って」
「その『むちゃくちゃな男』ってのはボクのことですか?」
「なんでそう当たり前のことを聞くの」

この野郎……と思いつつも、なんだか恥ずかしいような負けたような不思議な気分を味わっていた。
結局何もしなかった自分と、素直に伝えるべきことを伝えて、目的を果たした美代さん。

「そうですか。色々考えずにストレートにお願いしたら良かったんですね」
「あ、それともうひとつ」
「なんですか」
「あの人はね、わたしの祖母の50年来の親友で昔からわたしを可愛がってくれてるの」
「……は?」
「おしめも替えてもらったわ。だいぶ目が弱くなってて、この距離だとわたしに気づいてなかったみたいだけど」

そう言って、またゴマだれに付けたうどんをひとすすりした。

「『おばちゃん、美代にそのカツちょうだい』って言ったの」
「……ちょっと強めにつねって良いですか?」
「イヤよ、痛いんでしょ?」

痛くしたいんだよ、バカ上司め!

「はい」

何の前触れもなく、美代さんがヒョイとカツを載せた。ボクの冷めかけたカレーうどんの上に。

「え……」
「加藤ちゃんにあげる」
「なんでですか」
「あたしは『あのご婦人からカツを1切れもらえ』とは言ったけど、方法までは限定してないもの」
「どういう意味ですか?」
「『他人を使うな』とは一言も言ってないわよ」

よく分からなかった。

「もしね、君の普段の仕事ぶりやあたしとの関係が悪かったら、このカツは絶対にあげないわ。でも、加藤ちゃんはいつも本当によくやってくれてる。あたしとの関係が良好であるように、常に気を使ってくれてる。だから、あげるの」

……なにをジンときてるんだ、ボクは。

「君の毎日の真摯な行動が、不可能を可能にするんだよ。だから最初から『できっこない』なんて思うな」

美代さんはゴマだれの飛び散った顔の中で、優しい目をした。

「……跳ねまくってますよ、顔」

ボクはとなりの空いたテーブルの上にあったタオルで、美代さんの顔をガシャガシャと拭いた。

「……それ、台拭きだよね?」
「ここの奥さんはキレイ好きだから除菌はバッチリです」
「そういう問題じゃないと思うわ」
「仕事に戻りますよ」

こんなバカバカしいことで涙ぐんでいる自分に気づかれたくなくて、ボクは珍しく伝票をつかんで美代さんより先に席を立った。

次にこの店へ来た時には、自分だけの力でカレーうどんにカツを乗せようと、ボクは密かに心に誓った。

《終わり》
*この記事は妄想です!

***
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2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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