喜びのおっぱいプログラミング
記事:ミュウ(ライティング・ゼミ)
「んん~~! あぁ! たまんない!!」
目をぎゅぅっと閉じて体中に駆け巡る快感を味わいながら身悶えしてしまう。
誰かとこの喜びを分かち合いたい。こんなにも体中で感じている快感を。
勿体無い。勿体無すぎる。一人だけでこれを味わうなんて。
「生きていて良かった。生まれて良かった……。幸せだ。わたし……」
体中をくねらせて悶絶してしまう。
こんなところを人に見られるのはちょっと恥ずかしい。
でも、どうしてもこうなってしまうのだから仕方がない。
冷静になってみると、あーあまたやっちゃった。と思うこともあるのだが。
最初のひと口でこうなっている間、皿の上の物は放置され、片手には箸が握り締められたままだ。そう、これは、空腹で大好物を食べた時の私の反応なのである。
この時は炊き立てご飯で作ったおむすびであった。炊きたてご飯は独特の甘い米の香りがする。ピカっと光り一粒一粒が立った米をしゃもじでサックリと混ぜる時に少しツマミ食いをするというのは楽しみの一つではあるのだが今は我慢だ。例えて言うならば、仕事終わりにビールを飲むのを楽しみにしている人が最高に美味しく味わう為にビールの前に別の水分を安易に取らないようなもので、美味しいものは空腹にしておいて食べる方がより美味しさを感じるからそれまではツマミ食いを禁止するということなのだ。好物だからただでも美味しい物を更に焦らして美味しく有難く頂こうというちょっと欲張りな作戦である。手を濡らし、天然塩を少し手に取って米を軽く一膳分ほど手に取り、真ん中にほぐした紀州梅を入れてふんわりと俵型にむすぶ。そして直火で炙り、香ばしくパリッとさせた大きめの海苔で巻いて出来上がりである。これに出汁のきいた味噌汁と漬物があれば、私にとってはご馳走だ。
私はちゃんと空腹にしておいてから好物を食べるこの瞬間が大好きだ。
「いただきます!」
作ったばかりのおむすびをバリっと音を立てて頬張る。
炙って香ばくなった海苔の香りが口いっぱいに広がり、ちょうどいい具合の塩味の炊きたての米は意外にまだ熱くてハフハフしてしまう。
そして「んん~~!!……」私の身悶えが始まるのである。
脳天を直撃するような衝撃が走る。
それは、よくカミナリに撃たれたようなと表現されるようなもので、『奇蹟の人』でヘレンケラーがサリバン先生によって初めて言葉に意味があると理解した時に受けた衝撃と感動はきっとこんな感じだったのではないかと思えるような大きな衝撃なのである。そして、それは全身を駆け巡り、あぁ、生まれて来て良かったー、となるのだ。
これを人前でやってしまった事がある。
いったい目の前で何が起こっているんだ? とその人は思ったようで、目の前で私が悶え切るのを待って、笑いながらちょっと呆れたように私に、こういったのである。
「なんでそこまで感激するわけ? それ普通のおむすびでしょ? いつもそうなの?」
何人かに聞いてみた。好物を食べるとご機嫌になるとは言うのだが、どうも、そこまでの衝撃も無いし、喜びを感じて身を捩ったり悶えたりという表現はしないようなのである。
そう言われて初めてちょっと考えて見た。
なんだろう、この感じ。どうして私はこんなに衝撃を受けては身悶えしてるんだろう?
別に特別なものではない。ごく一般的な食材である。
これが好物なんだと頭で考え口で言っている時には起こらないし、それは身を捩る程の事なのか?と自問しても、NOと答えが返ってくる。実際に口に入れて食べてみて味や香りを身体で感じて初めて起こる、いわば、化学反応のようなものなのである。そして、これを体験すると、喜びで満たされて幸せ感が続くのである。何なんだろう?
いったい何時からからそうだったのかすぐには思い出せなかった。
自分ではスタンダードな反応だったからそんな事考えたことも無かったのである。
そして、同じ好物でもその反応が起こる時と起こらない時がある事に気が付いた。
その反応が起きるのは空腹にしている時だということだ。空腹である事は喜びを倍増させるのだ。断食明けの回復食で初めてのお粥を食べた時にこんなご馳走がこの世にあるのかと感激する美味しさや夏場力仕事をして休憩の時に飲む麦茶のようなものかもしれない。いわば飢餓状態、欲しくてたまらない状態でそれは起こるということだ。
お風呂に入っている時や歩いている時、電車に乗っている時にこの事が頭に浮かんでいた。この感覚、体中で喜びを感じてしまうこの感覚の始まりって何なんだろうか? と……
それはある日突然やってきた。
寝不足気味でウトウトしながら電車に乗っていた時の事だ。
不意に閃くようにインスピレーションがやってきたのだ。半分寝かけていてぼんやりした状態なのにとても鮮明な画像や感覚が現れる不思議な感覚だった。
目の前にある柔らかくて暖かい白い肌が頬や鼻や唇に触れる。ほのかな甘い匂い。
あ。おっぱいだ。お母さんの。甘い匂いを頼りに顔を左右に動かしている私の口に母は乳首を含ませてくれる。そして本能のまま吸い始めるのである。母親が初めて赤ちゃんにお乳をあげる初乳の場面だ。次の瞬間、その液体は初めて口の中に流れ込み味覚や臭覚や触覚を刺激し、体内の臓器を刺激した。さぁ、この世での活動開始ですよ、とスイッチを入れる役をするように、それはこの世で初めて受ける洗礼でありその肉体を目覚めさせる儀式のようであり、赤ん坊であった私にとっては鮮烈な体験だったのだと思う。
このイメージが蘇った時、まるでその場でそれを体験しているかのように初めての衝撃で頭がジーンとして全身の全神経に信号が伝わり身体のあちこちがビクビクッと動く。そして感激と喜びの感情が一気に噴き出したのである。そして、生まれて来て良かったー! と思ったのだ。
あぁ!! コレかー! コレだったんだ!!!
この時の体験で私は確信したのである。
生まれて初めて母のおっぱいを飲ませてもらったその瞬間こそが体中で衝撃と喜びを感じてしまう私の原体験だった。生まれて来て良かった! とまで感じさせ、喜びが溢れ出てしまい、いつも体中で感じる喜びを表現したくて堪らない衝動に駆られる原因だったのだ。この大袈裟とも思える自分の反応について原因が明らかになると、一瞬前とは違った気持ちが私に訪れたのだ。
それは、生に対する喜びを生まれてすぐに教えてくれた母への感謝である。私は料理を作る事も好きだし、人とそれを分かち合い、美味しいねといいながら食べるのが幸せで大好きなのである。その喜びの大元、原体験がまさか母にあったなんて……
私は母の誕生日と私の誕生日、母の日には必ず母へありがとうと伝えるようになった。
母とは喧嘩もするし、険悪になることもあるけれど、これだけは忘れられない。これさえあれば、どんな時も私は生きる喜びを感じることができるだろう。そう思えるほど強烈なのだ。これは人生最高の初期設定。名付けておっぱいプログラミングなのである。
私は今日もまた、空腹で好物を食べる作戦で身悶えしながら喜びにのたうちまわっている。
どこかに飲みに行った時、やたらオーバーアクションで悶えるように旨い、旨すぎる!と叫んでいる誰かのその現場を見てしまった時はこの話を思い出して欲しい。もしかするとその人も発動してしまっているかもしれない。おっぱいプログラミングは誰の身にも設定されている可能性があるのだから。
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