メディアグランプリ

Yes-No


村井さま

記事:Den (ライティング・ゼミ)

 

「染めません」

 

私の記憶だと、小田和正は30代に確かにそう語っている。ラジオのインタビューだったか、雑誌の記事だったか。正確な時期も媒体も定かでなく、もちろん記事も録音も残ってはいないのだけれども。確かにそう言った。それは私に同様の決断をさせた点で私の人生に少なからぬインパクトがあったのだから。

 

小田和正は68歳現役のシンガー・ソング・ライター。私はオトコでありながら15歳の時に聞いた「秋の気配」という楽曲に感激してから40年近く彼の追っかけをしている。

楽曲やステージが好きだったのはもちろん、マスメディアを通じて知る彼の態度の潔さにも傾倒していた。マスメディアにこびを売らない。70年代末にリリースされ、オフ・コースとして決定的なブレイクのきっかけとなった「さよなら」がヒットチャートを上りつめても「ザ・ベストテン」みたいな歌番組には出なかった。出ないことが小田さんのかっこよさだったのだ。

 

その小田和正は、若白髪体質だった。20代こそ長髪・黒髪であったものの、30代前半にはポスターやレコード、CDのジャケットで白髪が目立つようになっていた。70年代後半から80年代前半くらいまで全国各地に散在していたインディー系のファンクラブ雑誌では「小田さんは白髪でも美しい」「小田さんのは白髪ではなくメッシュと呼ぶのだ」みたいな言説も飛び交っていた。(小田さんのルックスが当時のオフ・コース人気に寄与したことは否定しがたい。)

 

そして、確かにある時「小田さん、白髪を染めないのですか」という、考えて見ると結構失礼な質問(一体誰がこの失礼な質問をしたのか、どうしても思い出せないが)に対してご本人がぶっきらぼうに「染めません」と答えた。白髪染めなんかNoだ、と言い切ったのだ。

 

私も、若白髪であった。遺伝のためか小学生の頃から髪の毛に白いものが混じっていた。「抜くと増える」という今もウソかホントかわからない叱責を親から受けつつ、時々白髪を狙って抜くというのは、ひそやかな楽しみであった。「あ、白髪あるね」と言われるのが自分の個性のようでもあり嬉しかったりもした。

 

そうか、小田さんは、白髪を染めないんだな。そして、小田さんは節を屈することがない人だから、おじさん、おじいさんになって、もっと白髪になってもそのままでいくんだな。よし。僕も同じだ。染めない。小田さんをロールモデルとする若き日の私はそう心に決めた。

 

私の白髪増殖は30代後半から速度を増した。もみあげのあたりにも白いものが目立ち始めたときには、結構気にして抜いたりもした。洗髪後の風呂場の排水溝を見ると白髪の比率がどんどん大きくなっていく。床屋に行くと「旦那さん(と呼びかけられる年輩者になっていた)、染めたことがわからない白髪ぼかしっていうのがありますよ」などと言われるようにもなった。でも、僕は染めないんだ。Noなんだ。小田さんと一緒にNoを選んだんだからね。

 

小田さんは私の15歳年上である。私の30代、ソロになった40代の小田さんは短髪でいたことが多かったように思う。白髪もそんなに目立たず、ファンの間で話題になることも少なくなっていた。

 

時が過ぎ、50代の小田さんの業績のひとつにTBSテレビで放映された「風のようにうたが流れていた」というシリーズものの音楽番組がある。小田さんがホストを務め、ゲストを迎えつつ自分と仲間の音楽史を語り、歌う。今も続く年に一度の音楽番組「クリスマスの約束」の原型のような番組だ。

 

11回続く「風のようにうたが流れていた」の中で小田さんはずっと帽子をかぶっている。黒、グレイ、青、ベージュと色違いの帽子を衣装替えのタイミングでかぶり分けている。

亡くなった筑紫哲也氏が、がん治療を受けているときに帽子をかぶってテレビに登場し「小田和正さんみたいですが」と語ったこともある。そのくらい、この頃の小田さんと帽子とは結びついていた。

 

小田さんが還暦を迎える頃、メディアは「還暦に直面する団塊の世代」をテーマに特集を組むようになった。特にNHKと朝日新聞は「還暦を迎えながら現役を続ける小田和正」を好んで取り上げた。NHKでは、小田さんが建築を学んだ東北大時代の同窓生が、勤務先のゼネコンで苦闘する姿とステージを走りながら歌う小田さんとを対比して見せる番組も作られた。朝日新聞は東北大の同窓生に向けたメッセージを内容とする小田さんのエッセイを掲載した。

 

この頃の小田さんは、あまり帽子をかぶらなくなった。そして、ある時気がつくと、その頭髪は黒々としている。メッシュも見当たらない。

 

小田さんのライブには必ず多くのカメラが入り、四方の壁の大型ディスプレイにその姿が映し出される演出がとられるようになった。アップで見ても小田さんの髪は黒い。時たま客席に飛び込んで歌う小田さんを間近で見てもやはり黒い。

 

あれっ? ひょっとして小田さん、染めました?ひょっとすると帽子の時代に、ですか?白髪染めに、Yes、ですか?

 

本当のところは、正直、わからない。医学的には白髪の「治療法」は確立されていないとは言うが、自然に黒くなることもあろうし、何かの治療的措置が奏功して白髪が減った可能性だってある。

 

それはよいのだ。小田さんの頭髪が黒いことは、もうよいのだ。

 

問題は、「白髪増えたねー。染める?」と聞かれても小田さんのひそみに倣いNoと言い続けた私だ。

 

40代、50代と私の髪は、さらに白髪が増え続けている。それもよいのだ。男でも女でもきれいな白髪というのは、悪くないものだ。実際いわゆるロマンス・グレイ的になってくれるといいかな、とぼんやりした期待を持っていた時期もあった。

 

が、なぜか私の頭髪は三毛猫的に黒茶白のブチになっている。

白い頭、黒い頭、はそれぞれ頭の輪郭をくっきり画するけれども、三毛猫状の頭髪は中途半端で頭の輪郭をぼんやりさせる。偶々写真に撮られることのある後ろ頭などは、見た瞬間、三毛猫イメージに結び付くほどだ。

 

いっそ、脱色して人工的に白くするか。

 

数年前から信頼してカットをお願いしているMさんは

「いいの、このまま白くなるのがいいんだから。脱色はね、髪が痛むことがあるからやめておいた方がいいのよ」と言う。そして、

「このままいくと、イメージで、ピーター・バラカンかジョージ・クルーニーになるから」(イメージです。個人の感想には違いがあります。)

とまで言ってくれるけれども、彼らに三毛猫時代があったとは寡聞にして知らない。

 

染める、染めないのYes-Noは、もう少し続く。

 

    • なお、私の小田和正氏への尊敬と敬愛は、Yes-Noにかかわらず、今でも微塵も変わらないことを付記する。

 

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2016-05-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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