メディアグランプリ

40代からファンデーションを手放すことを決意したわけ


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記事:青子(ライティングゼミ)

「これからは、すっぴんで生きたい」

このアイディアを思いついた時、皮肉にも、私は化粧中だった。

洗顔後、化粧水、乳液、美容液、下地クリームを塗り、ファンデーションを塗っていく。
ダマにならないように、まんべんなく。
色むらがないように、丁寧に。
シミがあるところは念入りに。

毎朝、当たり前に繰り返しているこの一連の作業に対して、ある日突然、拒否反応を抱いたのだ。
「ファンデーションを塗るの、もうやだ!!」

私は、もともとあまり美容に詳しくないし、化粧にもそんなに興味がなかったが、社会人として化粧をするのはマナーだと教えられていたし、大人の女性のたしなみとして化粧をして外に出るということに、これまで何の疑問も持たなかった。
しかも「ちゃんと化粧をするというのは、まず、ファンデーションを塗ること」だと思っていた。

鏡の前に立てば、自動的に手が動いてしまうくらいの当たり前の行動だというのに、何をいまさら、嫌悪感を抱いているのか?

化粧そのものを否定しているわけではない。
素顔が一番! なんていうつもりもない。
化粧は、女性を別人にする威力があると思うし、魅力的な化粧を施した女性の顔を見るのは同性でもうっとりする。

ただ、ファンデーションを塗るという行為が、私にとっては、ただの慣習と防御でしかない、ということに気付いたのだ。

「シミを隠すため」
「くまを隠すため」
「少しでも若く見せるため」

自分の欠点を少しでも補いたい一心で、毎日、自分の顔をキャンバスに、オークル色かなんかのファンデーションを塗ったくっていたわけだ。

でも、厚化粧は嫌いだった。
厚く塗ると皮膚呼吸が出来なくなるような苦しさを伴うので、出来るだけ薄くのばしていく。
考えてみたら、心掛けていたのはこれだけだった。

この私の、美意識もへったくれもない、消極的なスタンスを悲しいと思った。
化粧をするというのは、女性性を発動する極みでもあると思うのだが、それを義務的にやっていたのでは、女性であることをちっとも楽しんでいないじゃないか、わたし。

「すっぴんで生きていきたいな」
心の奥底から生まれた、すぐに消えてしまいそうな、かすかで小さな声を私は聴き逃さなかった。

そうか、本心では、欠点を隠すための化粧はしたくなかったんだね。
皮膚の上に、複雑に何層も何かを乗せていく行為も好きじゃないし、いつでも深呼吸できる肌でいたいし、取り繕うように顔を作るのはもう嫌なんだね。

じゃあ、何の武装もせず、いわば、ファンデーションを塗らない顔で、誰の前にも立てるのか?

いや、それは恐ろしい。
無理。
今の私には、すっぴんで人前に出るというのは、なかなかハードルが高いことだ。
だって、化粧をはじめた二十歳以降、ずっと人と会う時にはファンデーションを塗る、というのが私にとって常識だったし。
何より、コンプレックスだらけの肌をさらしたくない。

それで決心したのである。
肌そのものを見直そうと。

肌がキレイになれば、いわばキャンバスの下地が整うので、ファンデーションを塗らなくても、ポイントメイクとパウダーだけで十分だと思えるようになるかもしれない。
ファンデーションを手放すというのは、どんなに楽で、シンプルで、面倒くささを感じない世界だろうか。
叶うことなら、その世界に足を踏み入れてみたい。

そうして、これまで美容にお金をかけてこなかった私が、少し前から取り組んでいるのが肌改善だ。
プロの方にもついてもらって、毎日欠かさずに肌のお手入れをしている。
お恥ずかしいのだが、これまでの私のスキンケアは適当もいいところだった。
へとへとに疲れきった夜に、クレンジングもしないで寝てしまうことも、これまでの人生で一度や二度ではなかった。
そんな私が、今は、クレンジングの時の手の動かし方や、石鹸の泡立ちの堅さまで気にしている。
自分でも信じられない。
この年齢からはじめても、大きな改善はないかもしれない。
自己満足の行為でしかないことも分かっている。
他にやることも、お金をかけるべきところもあるかもしれない。
でも、こんな風に自分の顔を大切に取り扱ってあげたことが今まであっただろうか。
まるで繊細な桃を触るようにそっと顔に触れながら(それは、プロの方から教えられたやり方だ)クリームを付けていた時、自分を慈しむ……ってこういうことなのかもしれないと、ふと思ったのだ。
そしてこの感覚が、「女でいることを楽しむ」ってことなんじゃないかと……。

「60歳になった時にも、ノーファンデでいられるようにしよう!」
密かな野望。これからの目標に掲げることにした。

皺やシミが多少あってもいい。
でも、自分が出来る範囲で自分の肌を大切にして、自信をもって、ありのままにさらけ出せるようにしておきたいのだ。

年相応に年を重ねた生き様が現れている肌をさらして、ゲラゲラと大きな笑顔で笑える私。
オープンマインドで、欠点を隠していない私。
そんな風に年を重ねたいのだ。

この私の肌改善チャレンジは、まだ始めたばかりで結果はこれからなのだが、これをきっかけに、いろいろなことを見直したい衝動がむくむくと湧き上がっている。

平均年齢を考えた時、人生折り返しも過ぎて、そろそろ私自身の取り扱い方を変える必要があると思ったのだ。

20代の自分は、外からの要求に一生懸命応えようと頑張っていた。
上司や先輩の期待に応えたい。
周りの人の役に立ちたい。
良い評価を得たい。
与えられた目標を達成したい。
そんなことがモチベーションになっていた。
常に外側に常に焦点を合わせて、その世界でどう振舞えばいいのかを学んだ時期だったと思う。

30代の自分は、それまでに吸収してきたことを土台に自分の価値観を作り、世界をどんどんと広げたくて仕方がなかった。
実際に、関わる仕事も拡大したし、人脈も広がったし、結婚もして、出産もして、担う責任も大きくなった。
そうやって自分の可能性を広げて、責任を引き受けていくことが大人になった証のように感じていた。

私の両手は、いつでも何かを掴もう、掴もうと常に手を伸ばしていたような気がする。

40代になった今。
空に向かって必死に伸ばしていた、その両手を降ろしたくなった。
そのかわりに、その手は、自分自身を抱きしめることに使いたくなった。
いったん広げたものを取捨選択して、気楽に扱えるくらいに荷物をコンパクトにまとめたいと思うようになった。

やっとやっと、自分の内側に意識の焦点を向けるようになったのだ。
「すっぴんで生きる」というのは、内在する自分を、欠点も含めてそのまま外に出せること。
自分を慈しみ、等身大の自分をそのまま受け止められること。

肌そのものをきれいにしたいという気持ちは、そんな生き方をしたいという渇望から生まれたひとつの表現だった。

きっとここから、私は、これからあらゆる扱い方を変えていく予感がしている。

人間関係も、
環境も、
持ち物も、
自分の欠点を補うおうとするのではなくて、喜びから選ぶことを自分に許すだろう。

そう思った途端、なんだか年を重ねるのが楽しみになった。

これからは、貪欲に、すっぴんの生き方を模索していく。 

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

 

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2016-07-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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