メディアグランプリ

わたしには街中を憤怒に燃えつつ竹馬で激走する義務がある。


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記事:安達 美和(ライティング・ゼミ)

「あ」

思わず声が出た。相手もわたしを見て「あ」という顔をしている。
わたしの方はもう完全に降参の体である。準備はできている。どうぞ煮るなり焼くなりののしるなりしてくれ。

しかし、相手は一瞬だけいまいましそうな表情を作ったものの、すぐにわたしから視線を外して席に座った。
「ここで会ったが百年目」と、勢い込んでわたしを責めたてることもできたろうその相手と初めて会ったのは、百年どころではない、ほんの数時間前のことだった。

***

知らない人間からやたらと話しかけられやすいタイプの人間がいる。
わたしもそうだ。
あ、この人話しかけてきそうだな……と思うと、大体当たる。

理由はいくつか思い当たる。まずひとつに、わたしは身長が低く、顔が丸い。危害を加えてくるタイプにはとても見えない。仮に危害を加えてこようとしても、片手で取り押さえられるような小物感が漂っている。人間は、自分よりも大きな身体の人間には気軽に接触してこない気がする。もし闘いになったら勝てないし。わたしならば、大方の人間が勝てると判断するのではないか。

つぎに、街中を歩くわたしは暇そうに見えるらしい。一刻を争う事態に置かれている人間に、人はむやみに話しかけない。実際、わたしが街中を歩く時は大抵、暇だ。お店の面白いディスプレイや、すれ違う不思議な人や、街の様子をきょろきょろ眺めながら歩いている。ヘラヘラ楽しそうにしているものだから、話しかけても怒られなさそうに見えるのかもしれない。怒り心頭の人間に、人は気軽に話しかけない。

かくして、暇そうで小物感の漂うわたしは、街中でよく話しかけられる。
そして、これが非常に困るのである。

町中で知らない人間に話しかける必要があるのは、道を尋ねたい時と相場は決まっている。え? それ以外にもあるだろう、「ナンパ」というものが、って? ……都市伝説ですよ、そんなもの。話を続けます。

どうしよう…道に迷っちゃった、誰かに聞こう、あ! この人暇そうだし話しかけやすい! すみません、あの……

その話しかけやすい人間が、道に堪能とは限らないじゃないか。

道を尋ねられた時、わたしにそんなことを聞くなんてこの人は運も見る目もないのだなぁ、と気の毒に思う。
しかし話しかけられた以上は答えねばならない。
できるかぎりのことはしよう。
確かそこへ行くにはまっすぐ行って右だか左だか、そのまま、またまっすぐで右だか左だか……

わたしは滑舌が良い。
営業なので落ち着いて人と話すことができる。
信頼されやすい声で喋ることも習慣になっている。
しかし地図にはからきしだ。

その結果、間違えた情報をハキハキ伝える、詐欺師みたいな人間が誕生する。

顔を輝かせ、「ありがとうございます、助かりました!」としっかりした足取りで去っていく相手の背中を見送りながら、「すみません」とこころの中でそっと謝ることも少なくない。大変申し訳ないと思う。

知らないなら知らないと言えば良いと思うかもしれない。
もちろん、そう言って素直に謝ることもある。本当に知らない場所について尋ねられたら、そうする。

でも、自分が普段から通っている場所や行きつけのお店だったら、答えたくなるじゃないか。だって、答えられるんだもの。答えられなかったら、おかしいもの。

そうなのである。答えられなかったら、おかしい。あの時もそうだった。だから、わたしは答えたのだ。ハキハキと。

大学を卒業して4年ほど経った秋のこと。わたしは久し振りに母校の最寄駅にいた。
夕方から友達のおじいさんにご飯をごちそうしていただく予定だったが、その日一日時間のあったわたしは、少し早めに到着して懐かしい街を楽しむことにした。風が秋だった。

相変わらず学生が多くごちゃごちゃと垢抜けない街にキュンとして、のんびり大学への道を歩いた。
ああ、新しいラーメン屋がわんさかできている。
あのアジアン雑貨のお店に置いてある像の置物は、わたしが一年生だった時から一向に売れない。

そんな風に機嫌よくしていると、信号待ちで「あの」と声をかけられた。見るとまだ十代に見える若者だった。彼は爽やかなグリーンのリュックサックを背負っていた。いかにも応援したくなるような頼りなさがあった。

「道を教えてもらいたいんですけど」

とっさに、あーあ、君、見る目ないねえ、と思ったが、ここは偶然にも4年間通った想い出の街である。尋ねられた場所次第で答えられるかもしれない。
彼はわたしが通っていた大学のキャンパスの名を挙げた。

当時通っていた学部のキャンパスではないが、彼が尋ねてきたそのキャンパスでいくつか講義を受けていたことがあった。頭の中で道を思い返してみる。いける。

わたしはゆっくりと丁寧に道順を説明した。不安そうだった彼の表情がほどけて柔らかいものになってゆく。良かった。一緒に信号を渡りながら、ふと口が滑った。

「わたしそこの卒業生なんです」
「え! そうだったんですか!」
「君が行くキャンパスとは学部は違うけどね」
「どうでしたか? 大学は」

ちょうど信号を渡り終わって、わたしは言った。

「面白かったよ。苦しいことも多かったけど」

じゃあ、わたしはこっちの道だからと、若者と別れた。
後ろから「ありがとうございました!」というみずみずしい声が聞こえた。

数時間後、おじいさんと合流した和食屋で、わたしは先ほどの若者との短くて充実したやり取りについて話した。
ビールが素晴らしく美味しかった。
おじいさんはいつものように刺し盛りを注文してくれた。

「そういえば、今日はあなたの母校のお祭りがあったらしいね」

ああ、そうか。だからあんなに学生以外の若者が多かったのか。在学当時からサークル活動に熱心ではなかったので、イベントには疎かった。

「なんだっけ、なんとかいうアイドルが来たんだって? たしか」

おじいさんは、ほら、なんだっけな、と何度かくり返した後、わたしでも分かるくらい有名な女性アイドルグループの名前を挙げた。あー、そりゃいっぱい来るわ、若者も。

「うちの甥っ子もそのなんとかいうアイドル観に来たんだよ、今日」

カウンター席にいたわたしとも顔なじみの常連さんが話しかけてきた。

「それがさ、笑っちゃうんだけど、あいつ道を間違えたんだと。途中で卒業生だっていう人に道を尋ねてその通りに行ったら、全くおかしなとこに出ちゃって、結局そのなんとかいうアイドル観られなかったらしいよ」

おじいさんが、それはお気の毒だねえ、とのんびり言った。
わたしは今しがた飲んだ冷えた生ビールが、額からそのまま吹き出すのを感じた。冷え冷えの汗だった。

「あんまり落ち込んでるから、うまいもん食わしてやるから来いって、さっき呼んだとこよ」

店の引き戸がガラッと開く音がした。
大将のパンと張った声が響く。「らっしゃい!」。

その後は、まぁ、冒頭の通りだ。

ああいう不幸な若者を作らないためにも、わたしは話しかけやすい人間でいてはいけない。

身長はすぐには伸ばせないから竹馬にでも乗ろう。のんびり歩いていては話しかける隙を与えてしまうから、激走しよう。そして暇そうににこにこしていてもいけない。どう見ても怒っていると分かるよう、憤怒に燃えた表情でいよう。

そうすれば間違えた情報をハキハキ伝えるような迷惑行為には及ぶまい。

すまん若者。
わたしが憤怒に燃えて竹馬で激走していれば、あんなことにはならなかった。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

 

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2016-08-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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