リヨンで出会った一冊の絵本。実は、とても怖い絵本だったと四年後に気づいた。
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記事:重冨弘太郎(ライティング・ゼミ)
私はリヨンで、一冊の絵本と出会った。
リヨン。それはフランス第二の都市であり、絹織物で栄えたその街は、中心部をローヌとソーヌという二本の大きな川が流れ、その二つが出会う街だ。
私がこの絵本に出会ったのも、まさにこのソーヌ川沿いの本屋さんだった。
中古本も扱うその本屋は街に溶け込み、ひっそりと営業していた。
街中の大型の本屋とも、観光地の古本屋とも違うゆっくりとした時間がそこにはあった。
大学の側だったこともあり、私はなんどもこの本屋を訪れた。
私が好きだったのは古本を扱う二階。整然と並べられた本たちは、一冊0ユーロからとお金のない学生にとって宝探しができる嬉しい場所だ。フランス語で記された本はどれも新鮮で、ボロボロになった本でさえ哀愁を感じる。食文化を伝える本も、男女の愛し合う姿が描かれた本も何故かアートに見える不思議な場所だ。それはまるで、自分がアートセンスの塊であるかのような錯覚を起こしてしまうほど……。
しかし、難しいフランス語の本を読むことができなかった私には、そのアートの世界を読み取ることができないものも多かった。
そんな私にとって、絵本は手の出しやすいアートの本であった。文章を読めずとも絵で想像し楽しむことができたのだ。
「絵本は、言葉が通じない外国の人とも繋がれる新しいコミュニケーションツールなんじゃないか」と想像したりもしていた。
今思うと当たり前のことかもしれない。
言葉のわからない小さな子供が楽しめるものなのだから。
とは言え、言葉のない絵本など存在していいのだろうか。
そう。私がフランスで見つけた絵本には、文章がなかったのだ。
文章どころか主人公も物語の最後のページに頭を覗かせるのみ。これでは主人公が男の子なのか女の子なのかさえもわからない。
いくらなんでも行き過ぎている。
その本の名は、「Devine qui fait quoi」(Gerda Muller作)。
日本語にすると「なにをしているのでしょう」という感じになるだろう。
この絵本はタイトルの通り、主人公が何をしているのかをただ想像するというものだ。
主人公が描かれていない代わりに、彼の足跡が描かれている。
幸いなことに物語の前後に、作中に描かれているべきであっただろう子供の様子が集められているので、一つのストーリーを成り立たせることができるようになっている。この絵本に描かれているのは、一人の子供の何気ない朝の風景だ。
しかし、この絵本は難しすぎる。
なんどもページを行き来し足跡の意味を見つけていく。彼がなぜ草むらの前で立ち止まったのか。彼がなぜ木の枝を折ったのか。そのアハ体験が気持ちよく、私はその絵本を購入したのだが、子供はこの本を読んで何を思うのだろう。
グリム童話のように教訓を教えるものでも、ジブリのように社会へのメッセージを含むようなものでもない。親にとってもどう読み聞かせすれば良いのかも分からなければ、この絵本が子供のためになるのかも分からない問題作だ。
そんな絵本だが、私はそれを買い、私なりに楽しんだ。絵本の中に散りばめられたアハ体験と、少しの妄想を。
そんなことを繰り返すうちに、私はその絵本の世界に引き込まれてしまっていた。
「なぜその子は、一人で朝を迎えるのだろう?」
「どうやら一人っ子のようだ」
「途中で出てくる大人の足跡は父親だろうか? それとも近所のおじさんだろうか?」
「この子は今、楽しいのだろうか? 寂しいのだろうか?」
作中に描かれていないことまでもを想像し、いつの間にか私はその子になっていた。
いつしか大人になり味わうことがなくなっていた感覚だ。
しかしそれは、子供の頃に仮面ライダーになりきり戦っていた時のような楽しいだけの感情ではない。いや、正確に言うとこれを読む時の私の心境により、感じ方が変わるもののようだ。
フランスでこの絵本を読んだ時、なんて楽しそうな絵本なんだと思っていた。自然の中で生き生きと遊んでいるストーリーだった。バタバタと過ぎてゆく慣れないフランスでの生活の中で、この絵本は日常の些細な楽しさを感じさせた。今、フランスで体験しているすべての何気ないことが、楽しいことだと。
そして四年後の今、久しぶりにこの絵本を読んだ時、私は一人で遊ぶ子の寂しさや孤独を感じた。
言葉も人の表情もないその世界は、私の心の中が反映される世界だった。
なんて怖い絵本なのだろう。
いざ自分の内心を突きつけられると、ハッとし恐怖を感じる。
ピュアな心を持った子供ではなく、大人だから感じる恐怖だろう。
まさかこんな形で自分の心を見ることになろうとは。それも、三歳から五歳向けの児童書で。
私は、四年越しで気づいた。
「Devine qui fait quoi」
この絵本は、心を映す恐ろしい鏡だったと。
***
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