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埼玉県川口市へお詫び申しあげます。


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記事:青子(ライティングゼミ)
 

中学生の頃に抱いていた夢のひとつは、「海外駐在員妻になって外国で生活する」ということだった。

 

「海外生活がしたい→でも自分ひとりで海外暮らしはちょっと怖い→海外駐在員の旦那さんを見つけてお嫁に行けばいい→海外駐在員妻は現地で働いてはいけないそうだから、のんびり楽しく夢の海外生活を満喫できるのでは? ……わぁ! 最高!」
なんと短絡的で主体性のない夢だろうか。タイムマシンで13歳の私に会いに行けるとしたら、「目を覚ませー!」と両肩を掴んで揺らしてお説教をしたいくらいだが、当時の私は、英語も好きだったので、日本を出て海外移住する方法をいくつも検討した。

 

海外に出ないにせよ、この街からはいずれ離れるだろうと思っていた。
東京か、または逆にうんと田舎か。
だってここは都会でもないし、絶景の自然があるわけでもないし、どう考えても中途半端すぎる。
将来は、ライフステージに合わせて、きっと私はいろいろな環境に身を置くのだろう、そう考えていた。
 

それが、こんなに長居させてもらうとは。
結局、大人になっても就職しても結婚しても、ずっと変わらず同じ街に住んでいる。
 
その場所は、埼玉県川口市だ。
JR川口駅は、東京都と隣接している。京浜東北線で駅ひとつ乗ると、赤羽駅だ。

池袋には19分、東京駅まで23分と都内各所にもすぐに行ける。
そのうえ、東京に比べて物価が安く、緑も多く、生活しやすい。
子育て支援事業にも積極的で子育てもしやすいので、高齢化社会にも関わらず、我が市は、子供がいる若い家族の移住が増えているという。
トータルしてみても、なかなか便利で機能的で住みやすい街だと言っていいだろう。

 

でも、この便利な立地がどうも弊害を生んでいるようにも思うのだ。
まず、川口という町は、客種の多くを東京に吸い取られてしまう。
私もその一人だが、就学も就職も都内に出る人が多い。
そうなると買い物も食事も美容院も、みんな東京で済ませてから、川口に帰る。

人と会うにも東京が多い。

川口の人々は、そうやって1日の大半を東京で過ごしているから、「東京人の意識」でいる人も少なくないんじゃないか。
私なんてその典型だ。
埼玉のことより、東京のことのほうがよく知っているし、愛着もある。
これまでの人生、自分の時間とお金を都内で使い続けてきた。
「どこに住んでいるの?」と聞かれ、「埼玉」と答えると、東京の人から「それはずいぶん遠くからご苦労様」とねぎらわれることがある。
すると、私は何故だか、むきになって、いかに川口が東京23区から近いかを力説してしまう。

 

なんだろう、この感覚。
昔、「ださいたま」とからかわれたトラウマだろうか?
東京の友達が多いから、「私も仲間だよー、仲間はずれにしないでくれー」と無意識レベルで恐れているのか。

 

この間の都知事選挙の時も、自分に選挙権がないということに、知らず知らずに傷ついているのを自覚した。
「真剣に誰がいいか考えていたけど、私、そういえば埼玉県民だから選挙権なかったわ……、がくっ」という感じである。
これは、やはり、コンプレックスなのか?
東京に憧れるあまり、埼玉県民であることを認めたくないと思っているのか?
 

40年以上も埼玉県民でいながら、東京人の意識でいることに罪悪感を覚えてきたのである。
どうしたら、埼玉県民であるという強い自覚と愛着が生まれるだろうか。

 

 

埼玉県の中でもそれぞれ特徴がある。
たとえば、大宮は鉄道の街、浦和は県庁所在地、川口は労働の街と言われてきた。
思えば、私はこの労働の街というイメージが嫌だったのかもしれない。
子供の頃は、もっと川口には鋳物をはじめとする町工場がたくさんあって、激しい肉体労働の姿があちらこちらで見られた。
すすだらけで汗まみれになった作業着の男の人が仕事終わりに銭湯に行く姿をよく見ていた。
学校では、いろんな家庭の子がいた。お父さんの職業は、サラリーマンよりも、自営や職人や工員さん、運転手さんなどブルーカラーが多かったように思う。
私の父も内装会社を自営していた。

 

汗水流して働いている父の姿を見ながら子供は育って、お父さんも一緒に家族みんなで夕ご飯を食べるというのが、おおかたの家庭の風景だったと思う。

 

やっぱり、川口は肉体労働の街だったのだ。

 

住宅が密集している中にも、ぽつぽつと町工場があって、いつもどこかから機械を動かす音がしていたり、工場から煙や、独特のにおいが出ていることもあった。

それが当たり前だったから、誰も文句なんて言わなかった。
工場のそばで子供たちは走り回って遊んでいた。

なんというか、それが川口らしさであり、その混然とした感じが川口のバランスだった。
 

でも、思春期になると、私はだんだんと受け入れがたくなった。

なんだか薄汚れた風景に見えてきたのだ。
赤毛のアンみたいに、もっと美しい田園風景が通学路だったらいいのに、とか、田園調布のような閑静な住宅街の中で暮らしてみたいとか、そういう夢みたいなことを考える子だった。
この街を歩いていても、電線と工場ばかりで、インスピレーションを感じない。
感性を磨くにはもっと美しい土地で過ごさないといけないんじゃないか。
中学生ながら、本気でそんなことを考えていたので、それが海外に行きたいという願望に転化していった。

この街の、その騒々しさ、生々しさがうとましいとさえ思っていた。

 

「私はいつかこの街を出て、電線のない、洗練された美しい街に住みたい、住むんだ!」と心に決めていた。
 

なのに、なんだか居心地が良くて、利便性が良くて、この街を離れることはできなかった。
就職しても、結婚しても、ずっと住み続けてきた。

 

だからといって、何も変わらないわけではなかった。
時代の流れとともに、街自体が変貌していった。
騒がしくて生々しい労働の街の面影は、今の川口にはほとんど残されていない。
激しい労働を終えて、道路の脇でたばこを吸いながら疲れを癒しているような男たちはまったくいない。
工場跡地に高層マンションが立ち並び、若い家族がどんどんと引っ越してきて、大きなショッピングモールや商業施設が多く、今や、完全なるベットタウンになっている。
そして文化振興やボランティア活動も熱心で、街は整然とした風景になり、最近、川口に引っ越してきた人は私とは全く違う印象を持っていると思う。
確かにこの街は大きく発展し続けているのだが、私はなんだか寂しさを覚える。
あの激しい躍動のエネルギーを感じることが少なくなったからだ。
「ずるいよ!」そんな感情が湧いてきた。
街は著しく変わっていくのに、私はちっとも成長していない。なんだか、置いてきぼりをくったような気持ちにもなるじゃないか。
そして、気づいたのだ。
あんなに好きじゃなかった昔の風景を妙に懐かしんでいることに。
私は、いろいろなものが混然一体となって、周囲の助け合いがあって、人情味あふれる環境の中で育ててもらっていたんだな。

昔から、とてもいい街だった。

 

あぁ、今更すぎるけれど。
川口市さん、これまであまりに無頓着でごめんなさい。中途半端だなんて思ってごめんなさい。

 

 

数年前に、都内の会社勤めを辞めてから、以前よりも川口市内を歩くようになった。
意識的に、買い物や美容院なども地元でするようになった。
そうやって地元密着の生活をしていると、なかなか楽しく温かい街なのだ。
そして、私は、ふと子供の頃の川口の風景を探してしまう。

 

ある時、住宅が立ち並ぶ中で営業を続けている鋳物工場の前を通りかかった。
すると、このような看板が大きく掲げてあった。
「当社は、大正9年に創業以来、現在地において鋳物製造業を操業しております。当地域は準工業地域の特別工業地区であります。県条例によって金属の溶解が認められており、操業中に発生します粉塵、騒音、臭気その他について可能な限り減少すべき努力をいたしておりますが、ご迷惑は免れません。当社営業権確立のため、予めご理解、ご承知をお願い申し上げます。○○○○株式会社」
最近ではなく、もう何年も前から掲げてあるような年季の入った看板だ。
近所の住人達と、もめることがあるのだろうか。
文章を読んでいると、「俺たちは、何がなんでもここでやり続けるんだ!」という強い信念が感じられる。
どんどん変わりゆく川口の街で、昔ながらの鋳物工場を続けていくのは努力がいることで、肩身の狭い思いさえしているのかもしれない。
それでも、こうやって、この土地でずっと伝統を守ろうとしている人たちもいるのだ。
勝手に応援したい気持ちでいっぱいになった。
きっとこれからもどんどん私の知っている風景は失われていくのだろう。
そして、私自身も何かを失っていくのだろう。

同じ街に住み続けるというのは、その流れゆく歴史の目撃者になれるということだ。
東京人の意識でいたら、せっかくの地元の面白さに気が付けない。

地元を真剣に見つめて、知ろうとすれば、どんどん愛着は湧いてくる。
東京も大好きだが、川口も大好きだ。

 

この街に息づいてきた、たくましい労働者を幼いころに見てきたからこそ、私は働くことが好きなのだろうと思う。街に育ててもらった恩恵を大事にしたい。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-09-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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