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メディアグランプリ

自信も自立も自己肯定も、全部「自」がついている


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記事:Yushi Akimoto(ライティング・ゼミ)

 

30歳を目前にして思うのは、子どものころに描いていたような「理想の大人」に全然自分がたどり着いていない、ということだ。身長も伸びたし、語彙も多少は増えたし、なんならお腹周りも大きくなりつつある。しかし、精神的な意味で自立した大人になれている自信がない。自意識過剰のために学校生活の中ですり減らしてきた自己肯定感も、期待したようには回復していない。家事をきちんとこなすような自律した生活もできていない。大して自慢できるようなこともない。自、自、自……。あれ。それって、なんだか、自分のことばっかり考えているってことじゃないか。自己中心的とは、まさに僕のことを指しているって、ことなのか、もしかして。

 

冷静になって振り返ってみると、そうやって自分にこだわっている割には、人生における大小さまざまな選択の場面で僕は割と他者の後押しを受けてきていた。ひとりで生きていける大人とは縁の遠そうなエピソードが軒を連ねている。

 

大学進学のタイミングで、僕は本命の大学に落ち、偏差値的に同じレベルで同学部同学科の私立大学2校のどちらに進学するかを決めなければならなかった。そして、「お前はこっちの大学の校風の方が合っているんじゃないか」という父親の一言にあっさり従った(そういえば高校選びのときもそうだった)。秋田県民が住める学生寮からだとそっちの大学の方が近いし、親もそう言うなら、それでいいかな、と。しかし、その大学を父親も受験し、そして落ちたという事実はしばらく後に知ることになる。弔い合戦だったのか。まあいい。特に後悔もないし。

 

初任給の高さに惹かれて新卒で入社した会社への通勤途中のあの全力疾走も、自分ひとりではあり得ないことだった。飯田橋駅を東西線から南北線に乗り換えるまでの長い通路に、その日、僕を追い抜いて走っていく女性がいた。ちょうど僕の前を通り過ぎるとき、彼女のバックからリップクリームらしきものが落ちる。ふと拾ったものの、女性は全く気付く様子もなく、改札へと急ぐ。参ったな、駅員さんにでも届けるか。そう躊躇っていたそのとき、僕の横を風のように走り去る黒い影。視線を上げると、スーツを着た男性がものすごい勢いで女性を追走しているではないか。見るや否や、僕も男性を追いかけるように全力で走っていた。2年ぶりくらいに。男性と僕は何とか改札の手前で女性に追いつき、無事落とし物を届けることができた。見知らぬ人のために躊躇なく全力疾走できる男性がまぶしく見え、自分もああなりたい、ならねば、と思ったのだった。

 

その後、僕は勤めていた会社を辞め、年収半分になりながらも島暮らしを始める。「すごい覚悟だね!」とよく言われるのだけれど、そもそも元をたどれば、きっかけをつくったのは友人たちだ。同じ秋田出身で東京に出てきていた友人の1人が、「あの島は、やばい。絶対に行った方がいい」という話をとうとうと語り始めた。それを聞いて僕以外の3人が早速島に遊びに行ったのだが、帰ってくるなり「あの島はやばい」「住みたい、移住したい」「漁師にスカウトされた」と僕に報告をしてくるのだ。結局、彼らの熱意に根負けし、みなに遅れて僕もその島を訪れたのだった。そして、その仲間内で移住してしまったのは、結局僕だけだった。1年半の契約が延びに延びて5年半も居座ってしまったくらいには、居心地がよかったのだけれど。

 

と、これまでの出来事を一つ一つ思い出していくうちに、はたと気付いた。確かに、僕の人生の選択の場面で他人の手を借りている場面は多い。でも、それの何が僕の人生にとって悪かったのだろう、と。そうしたこれまでの人生の選択の結果を反省はすれども後悔したことはそんなにないし、他人の援助は結果的にプラスに働くことばかりだった。他人のおかげで今の僕がある。もちろん「たら・れば」を言い出せばキリがないけれど、自分ひとりでなんでも成し遂げようとこだわるよりは、いい人生を歩めているようにも思う。

 

そうだそうだ。そもそも島でしていた教育の仕事だって、高校生たちをサポートしていたわけじゃないか。彼らの自立を願い、そうして他者として彼らの学業や進路検討のプロセスに介入していたのだ。自分ひとりで何でもできる大人ではなかったけれど、多少なりとも彼らの人生をより良いものにしようと働きかけていたはずだ。

 

自分でできることの少なさを呪い、一方で他人のおかげで今を生きている。自立した大人って、いったい何なんだ? ふつふつと疑問符が沸き起こる。

 

そんなあるとき、Twitterで熊谷晋一郎さんの記事を見かけた。脳性まひで車いす生活を送りながら、小児科医として働いている彼は、「一般的に『自立』の反対語は『依存』と言われるが、それは違う」という。依存先が無数にあって、それぞれの依存度が薄まると、自分は何ものにも依存していない、と錯覚する。それが、理想的な「自立」の状態なのだと。

 

目から鱗だった。頭の中の「?」が「!」に変わる。熊谷さんの言葉を借りれば、「自」の文字ばかり追いかけていた僕は、単に「自分への依存」を強化しているだけで、他者の助力なくしてあり得なかった僕の人生はむしろより自立的であったのかもしれない。

 

そう考えると、子どものころから抱いていた「理想の大人」像にもそろそろアップデートの必要な時期が来ているということなのではないか。一人でなんでもできたらそりゃあいいのかもしれないが、現実にこの文章を書いている自分自身は、見事に凸凹だ。全教科で平均以上を目指さなくてもいいのだ。第一、受験のときのように、自分の実力だけでなんとかする仕事なんて、今の僕にはほとんどない。むしろチーム戦が推奨されている。必然的に自分以外のものに目を向ける機会は増えている。まだ独身だが、仮に家族を持てば、なおさらだ。子どもができたら「自分が、自分が」と考えている暇なんてきっとないのだろう。

 

ああ、そうか。自信とか自立とか自己肯定とか、自分にこだわり過ぎないでいられることが、僕にとっての「理想の大人」像なのかもしれない。よしよし、もっと視野を広げていこう。

 

そうしてちょっと元気が出たところで、ふとPCの画面から視線を上げると、机の上には、散乱した書類。行方不明になりそうな公共料金の納付書。部屋を見渡せば、雑然としたクローゼットに、容量オーバーしたゴミ箱。

 

……よし、まずはできることからしよう。自立の道も一歩から。

 

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-09-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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