楽園を追放された女
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記事:小矢(ライティング・ゼミ)
ネットでヌーディストビーチと検索してみると、ポルノまがいのサイトばかり出てくる。
でも、本来は違う。
私がヌーディストビーチへ行ったのは、かれこれ25年前、場所はハワイだった。
別に私は裸体主義者ではないし、意図して行こうと思ったわけでもない。そこへ行くまで、ヌーディストビーチの存在すら知らなかった。
その頃、私はスピリチュアルにはまっていて、わざわざハワイでセラピーの講座に参加していた。その講師(女性)が、私たちを連れて行ったのがヌーディストビーチだったのだ。
彼女はいろいろな意味で狭い日本を嫌い、世界中を放浪し、インドのアシュラムで過ごすような人だった。いわゆるスピ系の型破りな人生を送っていたのだ。
そんな彼女が地上の楽園へ連れて行くと言う。
ヌーディストの歴史をひも解くと、19世紀末までさかのぼる。ヨーロッパでは、急激な工業化、近代化に反発するかたちで自然回帰の動きが高まった。加工品ではなく自然食、身体を動かすこと、室内にいるのではなく日光浴、ハイキングなど野外で過ごす必要性が叫ばれ始めたころに、ドイツで裸体主義(ナチュリズム)運動が始まったという。
それがヨーロッパ各地、やがてアメリカ大陸、オーストラリアにも広まった。基本的に西洋人の間で広まり、各地にヌーディストビーチができた。裸体の解放感を楽しむ文化は、スピリチュアリズムと容易に結びつく。
講師は、インドのアシュラムでさまざまな瞑想を体験し、意識を解放したいと願ってきた人だ。常識を壊したかったのだろう。そんな彼女から見ると、私たちはあまりに日本人的で、小さく目立たないようにまとまって見えたのだ。だから、わざと衝撃を与えようとしたのだ。
ヌーディストビーチでのルールはたった一つ。一糸まとわぬ姿で過ごすこと。
そこには老若男女、国籍も関係なくすべての人間がアダムとイヴよろしく、恥の意識の生まれる前の完全な裸体で過ごすことが求められる。地上の楽園のように。
心の準備ができていなかった私たちに動揺が走った。右も左もわからないところで、裸にならなければいけないという。10名もの集団の日本人女性は異様に目立つ。講師は、さっさと服と下着を脱ぎ捨て、私たちにも同じようにするよう言った。
最初はそんな彼女に腹が立ったが、わざわざハワイでスピ系の講座を受けるくらいだから、私自身、日本での生活に閉塞感を持ち、自分の殻を破りたかったのは確かだ。旅の恥はかき捨てじゃないが、こんな経験はもう2度とできないかもしれない。参加者も少しずつ脱ぎ始めた。私も覚悟を決めた。
だが、グループの中に「絶対嫌だ」と泣き出す女の子がいた。講師がいくら説得しても首を縦に振らない。結局その子だけ、ビーチの手前で待つことになった。講師は悲しそうな顔をした。流されやすい日本人の中で、彼女は頑固だった。
私たちは、彼女を一人置いたまま、素早く裸になって、禁断の楽園に一歩足を踏み入れたのだ。
突き抜ける青い空、名も知らぬ美しく白い砂浜。
いろいろな肉体がそこにあった。
大勢の男女が、生まれたばかりの姿でくつろいでいた。
誰も何も隠さない。それが当たり前。年齢や性別を口にすることも、他人の肉体を批評する人もいない。ただ、自由に過ごしている。それは壮観で、不思議な光景だった。
驚くことに、裸を特別視しないので、いやらしさが全くない。
そこには、ボッティチェリのヴィーナスの誕生のような祝福のムードがただよっていた。
裸体は、太っている、痩せているだけでは表現できない。どれも個性的で美しかった。
日本の古い混浴文化もこんな感じだったのかもしれない。
最初は、自分が裸であることにどうしても慣れなかった。お風呂や室内で裸になることはあるが、屋外で裸になるなんて、子どものとき以外ない。裸って、なんて心許ないのだろう。もっと痩せておけばよかったと自動的に思ってしまう自分に苦笑する。
乾いた太陽に照らされた裸体。
慣れるにしたがって、なんだか恥ずかしがっているのがバカらしくなってきた。
ここは本当に楽園なのかもしれない。もっと羽をのばさなきゃ。
私は少しずつ、裸であることを楽しみ始めた。海の中に入ったり、ビーチで横になったりもした。自意識がなくなっていくような気がする。青い空を見ながら、日本でうまくいかなかったこと、悔しい思いをしたこと、恥の感覚を少しずつ手放せるような気がしたものだ。
しかし、突然、「きゃあ」という叫び声で我に返った。
「どうしたの?」
「なんか東洋人の男が望遠のカメラで写真を撮っている!」
見ると、かなり遠くの草むらから逃げ出す、男の後ろ姿があった。もちろんそいつは服を着ている。彼の手にはカメラが握られていた。
急に、極彩色の楽園が、色あせたポルノの世界に落ちぶれてしまったような気分がした。
そうなのだ、人間は常に楽園から追い出される運命なのだ。
私たちは早々にビーチを後にした。
一人待っていた彼女のところへ戻ると、彼女は口をギュッとすぼめ、空を凝視していた。
あれから、二度とヌーディストビーチへは行っていない。
だけど時々夢の中で、ハワイのビーチに座っていることがある。
服を脱がなかった彼女も、服を脱いだ私も結局同じ場所にいる。
あの頃の私は、家族が嫌いで、自分が嫌いなどうしようもない甘ったれ娘だった。他人のせいにしてばかりいた。そして天使や大いなる力に依存していた。
そうなのだ、ハワイで裸になったくらいで何も変わらないのだ。
楽園から追放されて、ポルノ渦巻く世俗の25年の月日が、
私の内側に本物の楽園をつくってくれたのだった。
***
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