人生の大事な決断で、統計学よりも参考になること
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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人生の大事な決断で、統計学よりも参考になること
記事:吉田裕子(ライティング・ゼミ)
A.この講座を受けた人はおおむね、成長を実感しています。
B.この講座を受けた人の93パーセントが、成長を実感しています。
この2つの文を見たら、大半の人は、Bの方に説得力を感じるのではないだろうか。そして、
B.この講座を受けた人の93パーセントが、成長を実感しています。
C.この講座を受けた人の93パーセントが、TOEICで100点以上スコアを伸ばしています。
このように2つ見せられれば、今度はCの方に説得力を感じるのではないだろうか。
そう、私たちは、数字に弱い。実際の数値や確率を見せられると、「ウッ」となる。納得せざるを得ない。数字には、有無を言わさぬ強さがある。
「97パーセントのお客様が『美味しかった!』と答えています」
という缶チューハイを見かけたら、つい買ってしまうし、
「この映画を観て、81パーセントの人が泣きました」
といわれたら、試しに観たくなってしまう。
買い物だって娯楽だって、無駄な時間やお金は費やしたくない。そんなときに、統計データが出ているのは、何とありがたいことだろう。いくらかの不正はあるにしても、Amazonやじゃらん、食べログなどの評価は参考になる。☆4.3とあれば、買ってみよう、行ってみよう、と思う。時々外れるにしても、天気予報の降水確率は生活になくてはならない。私たちは、統計的な数字とともに生きている。
自分ひとりであれこれ考えるより、確率の高い方を選ぶのが無難である。その方が迷わなくて済むので、ラクでもある。
では、人は、どんなことも統計データで決断するのだろうか?
その答えはNOだし、これが「そうする方が望ましいのだろうか?」という問いであっても、結論はNOなんだろう。
統計データだけでは、どうも割り切れない。それは、人間の面白く、いとおしいところだと思う。
年末ジャンボ宝くじの1等当選確率は2千万分の1らしい。20,000,000分の1。0.000005パーセントである。客観的に見れば、当たることを想定する方がおかしい。買うのがバカバカしくなるような確率だが、多くの人が宝くじを買うし、買う人は皆、自分こそが1等を当てるという物語を思い描く部分がある。
宝くじを買う人は楽天的なのだといえば、それまでだが、人間心理と確率計算との矛盾は、悲観的な方面でも生じる。
「この手術では、98パーセントの人が助かります
(2パーセントの人が手術で命を落とします)」
このように宣告されたら、あなたはどう考えるだろうか。
「そっか♪ 98パーセントは大丈夫なのか!」
と無邪気に思えるだろうか。
2パーセント、つまり50人に1人が、死ぬ。そちらの危険性の方にばかり意識が行ってしまうのではないだろうか。
確率が低くても、死ぬかもしれないというのは重大である。もし万が一(これも確率!)にでも、死んでしまったらどうしよう、と心配せずにはいられないだろう。
きっと、実生活上での人間の認識は、
「 確率 × 生じる現象のインパクトの大きさ 」
という掛け算なのだろう。
生き死にの関わるときはもちろん、自分の感情が大きく揺さぶられることに関しては、確率認識がゆがむ。1回しかないこと、取り返しのつかないことなどには、人は過剰なほど憶病になる。
結婚。
出産。
就職。
不動産購入。
大病の治療。
そういった出来事を前にしたとき、私達は悩む。迷いに迷って、情報を集める。原理を調べたり、確率などの統計データを調べたりする。しかし、いざ決断を下すとき、それらの情報がそれほど助けにならないことがある。
缶チューハイの広告の「97パーセントのお客様が『美味しかった!』と答えています」を信じるのは簡単だし、万一外れたって、大したダメージはない。しかし、「この手術では、98パーセントの人が助かります」を信じるのは難しい。自分の1回しかない人生、2パーセントに入ってしまったら、と思うと悩んでしまう。技術がいかに最先端だと説明されても、医師がいかに優秀だと説明されても、2パーセントが脳裏をよぎると、良い情報を無邪気に聞き入れるのは難しい。
さぁ、確率で、合理的に判断するのが難しいとき、決断をサポートしてくれるものとは何なのだろう。
この問いに対し、今の私の答えは「物語」だ。
物語というのは、別に、フィクションに限らない。自分の実体験を語るノンフィクションも物語の一種だ。細かいジャンルはさておき、そこにある気持ちを大切にしながら語られる作品全てが物語であるといっても良いだろう。
私は先日、ある市立図書館を訪れて驚いたことがある。
カウンターのすぐそば、目立つ本棚一つが全部、あるジャンルの本で占められていた。
……「闘病記」である。
がん。
糖尿病。
100万人に1人の難病。
アルツハイマー病。
不妊症。
様々な病気・症状の患者の体験談、家族の体験談がずらりと並んでいた。昨今の図書館では、利用者のニーズに応えた選書も多いそうだから、きっとニーズがあるのだろう。
その中にはうさんくさいものも交じっているかもしれない。しかし、藁にもすがるように、救いを求め、その棚を訪れる人がいるのだろう。もちろん、手術の成功確率や5年生存率など、病院で客観的な確率データの説明はされていることだろう。それでも、それだけでは割り切れない想いが、その人を闘病記の棚に向かわせる。
症状を緩和するためのちょっとしたコツなど、具体的に参考になることも多いだろう。でも、それ以上に、希望を捨てずに戦い続ける人の姿に触れられることが、戦い続けることのエネルギーになるのではないかと思う。
「この手術では、98パーセントの人が助かります」と言われたときに、信じて飛び込めるかどうか。それは、最終的には、その人の主観的な判断でしかない。
「ダメかもしれないけれど、賭けてみるか!」となれるかどうか。
これはもう、「えいっ!」と飛び込む覚悟でしかない。
これは、感情の問題だ。
だから、そうした重大な決断に必要なのは、自分自身の気持ちが動くかどうかである。自分が感情的に納得して、「えいっ!」ができるかどうかである。「えいっ!」は理屈ではない。
ここで活躍するのが、具体的に、気持ちをこめて語られた物語である。個人が、自分の実感をこめた言葉で語った物語は力を持つ。魂の震える、共感を引き出しうるのである。
私は最近、こんなメールをもらった。
結婚・出産に際して、フルタイムで働くというキャリアを中断したという女性からだ。その方の娘さんが高校生なので、キャリアの空白期間は結構長い。だから、働いてみようかと考えても、自分につとまるかどうか、と躊躇してしまう、という。
そんな彼女が、私がこの天狼院書店のサイトで書いた記事を読んで、踏ん切りがついた、というのだ。
それは、「大学院に行かなかった後悔をエネルギーに変えて、31歳の春、大学院に入学した。すると、同じように、学ぶことをあきらめずに挑戦するシニアの方々に出会った」という記事(平均年齢65歳超えのゼミ合宿に参加してきた話)だ。
私が挑戦した、という物語が、その女性の背中を押したのである。何とすごいことだろう。
そして、私もまた、その物語に背中を押され、この気付きを文章にまとめるということに挑戦しているのだった。
物語は連鎖していく。挑戦的で、創造的な未来へ。
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
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