それでは今日も、賽の河原を掃き掃除
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:大森ちはる(ライティング・ゼミ)
ザッザッザッ、ザッザッザッ。
リビングの窓の外から音が聞こえる。
わたしは、パジャマの上にひざ丈のフリースガウンを着こみ、足元はヒートテックの靴下と床暖房に守られて、ソファーで小説を読んでいた。
上の階の寝室では、夫と娘が絶賛睡眠中。
誰に話しかけられることもなく、静寂とぬくぬくに包まれながら本の世界にどぼんと浸かっていた。
ザッザッザッ、ザッザッザッ。
顔を上げて、窓に目をやる。
レースのカーテンの向こうは真っ暗だ。
11月の夜明けは遅い。
そのまま視線を壁掛け時計に向かわせると、短針は5時を指していた。
玄関開けたら2秒で公園。
それが気に入って――もちろんそれだけではないけれど――、この3階建ての家を買った。
名前も柵もベンチもない、小さな公園だ。
不動産屋さんが言うには、昭和のいつしかに市が造ったものらしい。
道路1本向こうを流れる川が氾濫したことがあって、その治水対策に。
今や川は深くふかーく掘られ、どんな大雨のときだって流れる水は底から5分の1にも満たないのだけれど。
アスファルトから土に切り替わる段差と、4辺のうち3辺を囲む茂みが、「ここからここまでが公園です」と示している。
赤色・青色・緑色の座面が3つ並んだブランコだけでめいいっぱいの、奥行き。
幼稚園児が敷地の端と端で「もーいーかーい?」「もーいーよー!」と互いの声を届かせられる、横幅。
かくれんぼといったって、この面積では隠れる場所なんてほとんどない。
せいぜい、3本ある桜の木と、5階建てマンションほどの背があるクスノキの後ろくらいだ。
腰かける場所もなければ、いくつかある遊具はどれも年季が入って塗装がぺらぺらと剥がれている。
ここは「市民の憩いの場」というより、「庭」的な雰囲気を醸している。
茂みのない開かれた1辺に面する家々の、仮の「庭」。
「庭」のおかげで、2階のリビングの窓は1日中レースのカーテン一丁だ。
布地のカーテンも吊ってはいるけれど、窓の両脇で留めたまま、そのおさげがほどかれることはほとんどない。
窓は、玄関のちょうど真上に位置する。
向かいの家までには「庭」と川が挟まり、「庭」の桜とクスノキがいい目隠しになってくれている。
そう、桜。
桜のうち1本は我が家の目の前、敷地の手前ぎりぎりに植わっている。
窓を出てベランダから手を伸ばせば、横に広がったその枝の先を捉えられそうなくらいに近い。(もうあとすこしで届きそうになるたびに、いつの間にか剪定されてしまうのだけど)
春になれば、ブルーシートの上で震えなくても、暖かい部屋の中からビール片手に桜花を愛でられる。
お花見の特等席だ。
葉桜も散って青々とした葉がわさわさ茂る頃には、葉がこすれる音をBGMにしたベランダ朝ごはんが乙になる。
暖かい陽射しと、すがすがしい風。
そして今時分は、紅葉。
陽が昇るとともに、カーテン越しに赤色が映える。
素晴らしきかな、借景。
でも、何事にも光と影がある。
家を買った数年前の初夏、夫もわたしも知らなかった。
「家でお花見できるなんて、めっちゃええやん」と浮かれるばかりで、わかっていなかった。
桜を目の前に暮らすことの「影」を。
いや、「暮らす」とはなんたるかを。
桜の木の下、そこは賽の河原だった。
積んでも積んでも石の塔が完成しないように、掃けども掃けども1日たてば元の木阿弥。
春の花びら、秋の落ち葉である。
花や葉がつく末端の枝。
ソメイヨシノのそれは、ひとの手のようだ。
すこしでもよく陽があたるように、すべての指先を上に向けて伸ばしている。
「Let It Go」の中盤、氷の城をぐわぁっと立ち上げる雪の女王・エルサのごとく。
「オラに元気をわけてくれ!」と元気玉をつくるドラゴンボールの悟空のごとく。
生命力がみなぎるその細い指先ひとつひとつから、いずれ何千、何万の花びらや葉が次から次に舞い落ちる。
最後の1枚が落ちきるその時まで、止まることがない。
ひらひらと舞う花びらはきれいだ。でも、道に落ちたそれは……。
はらはらと落下する葉も風情がある。カサカサ踏みしめる感触もいい。でも、夜露や雨でハリがなくなった途端に……。
ザッザッザッ、ザッザッザッ。
音の主を、わたしは知っている。
佐々木さんだ。3軒となりの、佐々木さん。
佐々木さん家のおばあちゃんが、「庭」を掃いてくれている。
今日も、竹の熊手で落ち葉のじゅうたんを引っぺがしてくれている。
ザッザッザッ、ザッザッザッ。
まだ陽も昇らない朝5時。
夫と娘は、絶賛睡眠中。
わたしは、パジャマで読書中。
佐々木さん家のおばあちゃんは、みんなの「庭」を掃除中。
何十年も前からここに暮らしている佐々木さんは、「庭」の守り人だ。
公園の所有者は市(のはず)だけれど、日々の世話は、市でも自治会でもなく佐々木さんがしている。
草も木も、そこで暮らす者にとっては愛でるだけの存在ではない。
草は伸びるし、花は散り枯れるし、葉は落ちる。
おじいちゃんとおばあちゃん、ときにはお孫さんまで総出で「庭」を手入れしてくださる。
伸びた雑草を抜き、茂りすぎた草を刈り、地面にへこみがあれば土を足し入れ、掃き掃除。
「庭」がぼうぼう、ごちゃごちゃのジャングルになる危機は、佐々木さんによって押しやられる。
とはいえ、その秩序立った状態はそう永くは続かない。
抜いても刈っても足しても掃いても、すぐに生えたり伸びたりすり減ったり積もったりするから。
秩序は、儚い。
賽の河原で子どもが積むという石の塔と同じだ。
積み重ねた石は、鬼がくるまでの束の間、塔になる。
鬼は無情に塔を壊すけれど、子どもはそれに苦しむけれど、地蔵菩薩に救われて幾度も幾度もまた石を積む。
手入れも、石の塔をつくるのと同じで、束の間の秩序を守るためのエンドレスな作業だ。
「庭」の秩序の守り人・佐々木さん。
公園は佐々木さんの所有地ではないのに、みんなの「庭」なのに、ほんとうに頭が上がらない。
「誰かがやってくれたらなぁ」の「誰か」役を粛々とやるひとは、格好がいい。
玄関開けたら頭上に桜。
桜の木の下でいくつかの春夏秋冬を過ごし、佐々木さんの守り人ぶりを見せていただいて分かった。
「暮らす」とは、手入れすることだ。
秩序をつくり、維持するために、常にからだを動かして何かをし続けること。
昨日の午前中に掃いてまっさらにした家の前の道は、今朝またすでに落ち葉のじゅうたんが薄く敷かれていた。
週末までにどんどん濃くなっていくのだろう。
桜の木の下は、賽の河原だ。
掃けども掃けども、元の木阿弥。
でも、それでも、掃かないと。
無秩序に呑みこまれてはいけない。
手入れは、敬意だ。
「わたしはあなたを大切に想っています」の意思表示。
ザッザッザッ、ザッザッザッ。
わたしが余暇を過ごす午前5時、佐々木さん家のおばあちゃんはもう颯爽と1日の生活を始めている。
その境地に行きたい、でも、まだ行けない。
実のところ、平日は仕事なのを言い訳に、わたしが家の前の道の落ち葉じゅうたんを掃いているのは週末だけだ。
この音が聞こえるたびに、少しばかり申し訳なさがうずく。
ザッザッザッ、ザッザッザッ。
上手に歳をとって、わたしも午前5時の「庭」掃除が似合うおばあちゃんになりたい。
「庭」のおかげで、暮らしているのは「この家」であると同時に「この場所」だという感覚を持てた。
この街の、この場所。
ここに根を下ろして、しっかり暮らしていきたい。
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