友人のシンくんはひょっとしたら、ゴキブリを食しているのかもしれない
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ)
「いまから、行くから」
僕はLINEのメッセージを送信した。
送信の宛先は友人のシンくん。
もっとも僕は彼のことを「シンくん」と「くん」付けして呼んだことは一度もない。
僕以外の周りからそう呼ばれているらしいので、シンくんとしておく。
彼とはかれこれ25年の付き合いになるので、世間的には親友同士と言われても否定できない関係である。
2016年8月11日の時刻は23時を回っていた。
リオオリンピックで日本勢の活躍が盛り上がる最中、夏休み中で翌日の起床時間を気にすることなく、ひさしぶりに僕は意気揚々と友人宅に向かった。
これは僕がこの夏、実際に体験した実話である。
食事中に読んで、気分を悪くしても責任は負いかねるので、あらかじめご了承願いたい。
僕はその日を楽しみにしていた。
それにはワケがあった。
シンくんの自宅にはちょうど半年前に一度行ったことがあり、その日が二度目だった。
一度目は使わなくなったダイニングテーブルを譲るときに、車に積み込み、自宅の中まで運び入れたときだった。
玄関のドアを開けると、独身一人暮らしの典型的な汚部屋が眼前に広がっていた。
2階建てアパートの部屋で1DKの間取り。
玄関で靴を脱ぐには脱いだが、玄関と室内の境界線を見分けるのも難しい状態。
ダイニングキッチンはチラシ類、空き缶が散乱し、寝屋の中は文字通り足の踏み場がない。
僕はこの部屋を見て、呆れはてて、もはや笑うしかなかった。
いくら独身一人暮らしとはいえ、アラフォー近い男の部屋がこれでは、女性を迎え入れることは120%不可能だろう。
それでも友人としての偽善的な親切心で「次回来るときまでに整理しろよ!」とカツを入れておいたのだ。
だから、彼からの「相当、片づけて前より大分マシになったよ」という言葉を信じて、どれくらいキレイな部屋になったかを見てやろうという気持ちで彼の部屋に向かったのだった。
もちろん、キレイになったと言っておきながら、前回と変わっていないゴミ山の室内で、「よくこれでキレイになったとか言えたね?」というお約束のセリフを言う準備していたのだが。
ところが、である。
まず、玄関を開けてみると靴をどこで脱ぐかの境界線が分かった。
やるなぁと感心しながらキッチン周りを確認すると、黒い油のような液体が壁に飛び散ってはいるのはおぞましいが、次の足を踏み出すスペースがちゃんとある。
これは、期待外れかもしれない。
この時点で普通の独身一人暮らしの男が住む部屋という、何ら面白くない結末を予測した。
そして、奥の部屋の中へと足を踏み入れる。
キレイだ。
まず、前回と違って「物」がない。
部屋のどのスペースで寝起きしているのか、固定カメラでも仕掛けて監視したくなったほどのゴミ部屋が、すっかり「人間」が住める部屋へと成り変わっていたのだ。
座るスペースもある。
何なら足を伸ばして寝れるスペースも確保できる(あたり前か?)。
正直、僕は非常に面白くなかった。
期待が裏切られてしまった。
平静を装いながら、テレビでオリンピックの柔道を観戦しつつ、「へぇー、よくキレイにしたねぇ」と言いながら、押入れの襖を開けると、やはりあったゴミの山。
部屋中に散乱していたゴミを押入れに投げ込んだだけだというのが容易に想像できた。
彼女が思いがけず急に部屋に来ることになり、「ちょっと待ってて」と外で待機させている間に5分くらいでチャッチャッと片づけるあの状況と結局は同じである。
長い付き合いの中で、彼のことは十分に理解しているつもりだ。
行動や思考パターンが手に取るように分かっていると自負している。
やはり……な。
その後、彼が近所のコンビニにつまみを買いに行った隙に部屋の隅々を調査した。
風呂場にトイレ、冷蔵庫の中まで。
それを見ていると、もし世界で生きている人間が、シンくんと二人だけになったとしても、僕はコイツとだけは一緒に住むのは絶対に嫌だと強く思った。
そして、スマホのカメラで部屋の至る所を撮影し、妻にメールを送りつけた。
妻もシンくんのことをよく知っていて、半年前の部屋も写真で見せていたので、どれくらいキレイになっているのかを心待ちにしていた一人だった。
もう眠っている時間かと思ったが、妻から「なにこれ、廃墟?」とすぐに返信がきた。
そうこうしていると、シンくんが帰ってきた。
出て行ってわずか5分ほど。
彼は僕を一人で部屋に残すと、よからぬことをしでかすのではないかと心配だったらしい。
半年前に来たとき、あまりに残念な部屋だったため、僕は「この現状を皆に知らせたい!」と思い、善意でLINEのタイムラインという投稿スペースに写真をアップしたことがあったのだ。それをシンくんは覚えていたらしい。
僕らは彼の懐事情もあって、居酒屋で飲むことも少なくなった。
優秀な反面教師であるシンくんと、こうやって久しぶりに部屋でまったりとお酒を飲みながら、学生時代の昔話をするのも悪くない。
そのときだった。
僕らの目の前を、黒いアレが疾走していったのだ。
アレとは、自宅で遭遇したくないイヤな生き物ベスト1に君臨するゴキブリである。
最近では漫画「テラフォーマーズ」が流行しているおかげで、僕にとっては少しだけ親近感が湧いているのは否めないが、普通に考えてゴキブリとお近づきになりたいとは誰も思わないだろう。
男二人なので「きゃー!」という艶っぽい声はなかったが、さすがに僕でも「お、お、おーゴキブリいるやん!」とテンションがあがった。
すると、シンくんは慣れた手つきで「お、そうやね」と言いながらゴキブリ駆除のスプレーを噴射した。二度、三度とスプレー噴射を繰り返すとついにゴキブリも息絶える。
3億年前から生存し、「生きている化石」と称される昆虫が、一人のちっぽけな人間に殺される瞬間である。
ここまでは見慣れた光景。
日本のどこかの自宅で、日常的に行われている人間とゴキブリの戦いの一コマ。
ただ、その後に考えられないことを体験することになる。
息絶えたゴキブリを部屋の隅に放置して、シンくんはボリボリとポテチを食べ始めたのだ。
「は? ゴキブリはどうすんの?」
「あー、いや、後で捨てるよ。そこにもまだ捨ててないのがあるし……」
何のことだろうと、シンくんが指さす先に視線を移すと、今まで気づかなかったが、そこにはもう1匹ひっくり返って腹面を晒したゴキブリの死骸があった。
僕は混乱した。
どういうことだ?
確かに今さっき僕が見たのは間違いなく1匹だったはずだ。
ゴキブリが僕らでは知り得ない悩みを抱え、自害したのでなければ、このゴキブリを殺害した犯人はシンくんということになる。
しかし、問題はいつ殺されたか? である。
「このゴキブリ、いつからここにあるん?」
「まだ、三日くらいかなぁ。そろそろ捨てようと思っとうよ」
僕は、ますます混乱した。
彼はゴキブリの亡骸を放置し、この部屋で三日間にわたり寝食を共にしたことになる。
しかも、「まだ」三日だと?
一体何日、ゴキブリの死骸と一緒に暮らすつもりなのか?
それに考えてみると、いま僕の目の前で駆逐されたゴキブリ殿はこの後、最低でも三日間はこちらにいらっしゃることになる。
普通はすぐにティッシュなどの紙類で包んで、ゴミ箱に捨てるのではないだろうか?
この認識は間違っているのか?
僕は自らの常識を疑った。
シンくんの常識では、ゴキブリは死んだあとで数日間は寝かせて、セミの死骸のようにカラッカラに干からびてから捨てるものらしい。
この話を帰宅して翌朝、妻にさっそく話してみた。
「あはははは、ははははは」と笑ってくれたので満足したのだが、実は僕はそのときシンくんに冗談で訊いていたことがあった。
「数日間、寝かせたゴキブリを食べてるんじゃあなかろうね?」
「えへへへ、そんなことあるワケなかろーもん」
僕もその場で一緒に笑ったのだが、気のせいだろうか……
シンくんの目の奥が笑っていないのを、僕は確かにみた。
参考:「アラフォーになっても給料日前にお金を借りに来るシンくんの話」
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