プロフェッショナル・ゼミ

少しずつ合わなくなった歩幅を恨むことができない《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:紗那(プロフェッショナル・ゼミ)

やっぱりだ。
少し前を歩く彼の姿を見つめながら胸が苦しくなる。
いつからだろう。私達の歩幅が合わなくなってしまったのは……。
いつだって隣で同じ景色を見ていた彼の目線が、私と違うところ見るようになった。
私をちっとも見てくれなくなった。
あんなに頼りがいのあった背中が、今日もまた震えているように見える。
人はこうやって小さなすれ違いをいくつも繰り返しながら、分かり合えなくなる。
悲しいけれどそういう生き物なのだ。

「明日の朝出ていくね」
私の言葉に彼は小さくうんと言った。どうして少しもこっちを見てくれないんだろう。お別れすると決めたのに少しだけ期待してしまっている自分が情けない。彼の悲しげな背中に私のセリフは飲み込まれてしまうばかりだ。私達は再三に渡る話し合いの末、別々の道を歩んでいくことを決めた。
「忘れ物あったら、連絡してこいよ」
力なく彼がそう言う。やっぱりこっちは見てくれない。
忘れ物なんてあったって連絡するわけないよ。
そんな未練たらたらの女のすることなんて私はしないからね。
そういう声にならない気持ちが溢れてしまいそうで私は部屋にいられなくなった。
「うん。ちょっとコンビニ行ってくるね」
彼は何も答えなかった。

部屋の外に出ると少しだけ気持ちが落ち着いた。
12月の刺すような風が頬に張り付いてくるのに、なぜかほっとしている自分に気づく。
いっそこのまま荷物を置いて出て行こうか。抜け殻のようになってしまった彼を見ていることほどつらいものはない。私はとぼとぼと歩きながら毎日のように通ったコンビニへ向かった。なんてことない平凡なこの道も、もう歩くことがなくなると思うと急に大切なもののように思えてくるから不思議だ。何でもないものを急にドラマチックにしてしまうのは、別れという異常事態のせいだろう。

コンビニまでの道のりで、楽しそうに手をつないでいる高校生のカップルとすれ違った。
あの手のつなぎ方は、きっと付き合いたてなのだろう。彼のためにトリートメントされたであろう真っ直ぐに伸びた綺麗な黒い髪を、優しく撫でる男の子と嬉しそうにほほ笑む可愛らしい女の子を見ると心臓が締め付けられる気分だ。
たいていのカップルのラブラブ度合いというのは、見つめ合う視線で測れてしまう。どちらかが、所在なさげな視線をしているカップルは終わりが近い証拠なのだ。今の私達のように。
「なんか、歩いてるだけで楽しいね」
男の子の耳元に甘い声で囁いた女の子のセリフで、私は彼と出会ったばかりの頃を思い出す。

そうだ。私達もあの頃は歩いているだけで幸せだった。見える全てが綺麗で、怖い物なんて何もなかった。彼と出会ったのは、右にも左にも光が見えていた新社会人の頃だった。
務めていた会社の同期として初めて彼に会った時、本能で仲良くなってはいけない人だと思った。劣等感の塊の私と正反対の、とにかくキラキラしていて、全てを備えていてバランス感覚のいい人だった。すらりとした身長も、洗練された見た目も、誰とでも仲良くなれる社交性も、会計士になるという輝かしい未来も、私にはないものを全て持ち合わせていた。だけど、仲良くなってはいけないと強く思った感覚があった時点で、私はもう彼のことが好きだったんだと思う。

最初のうちは予定通り、彼とは上手く距離を保てていた。しかし、とある飲み会でお互いの悩みを相談したことをきっかけに私達は急激に距離を縮めてしまった。全てを備えている彼は、私の劣等感をまるまる認めてくれる人だった。自分のどうしようもない欠点を話すと
「なんで、そんなこと思うの? そこがお前のいいとこじゃん」
こんなセリフをさらりと言って、あっけないくらいに私の弱点を笑い飛ばしてくれる人だった。それからは、毎日のように連絡を取り、たまに電話をし、会って相談し合う仲になった。 彼の甘くて小さい罠にすっぽりと落ちていってしまった私は、そのまま、ただ流れに身を任せるように恋人になった。

初めの内は、本当に絵に描いたような温かい毎日だった。彼は私にたくさんの新しい世界を教えてくれた。嫌いだったお寿司が好きになったのも、スポーツ観戦に興味が持てたのも、マラソンを勢いで始めてみたのも彼のおかげだった。二人でいれば何でもできる気がしたし、どんなにつらいことも乗り換えられると信じてやまなかった。私は彼の会計士になるいう夢を心底応援していたし、支えられるのならばどんなことだってしたいと思った。だけど、現実は想像以上に残酷で努力だけでは越えられない大きな壁が私達の目の前には立ちはだかっていた。

努力家で頭のいいはずの彼が、一度目の試験に呆気なく落ち、二度目の試験ではストレスで体調を壊した。完璧な人だと思っていた彼は、意外にも繊細でとても臆病な人だった。周囲の期待と試験へのあせりで日毎に押しつぶされそうになっていることが痛い程伝わってくる。私はそんな彼に失望はしなかったし、むしろ、完璧ではないという自分と同じ種類の人間であることに安心していた。それに万一、試験に合格しなかったとしても、会計士になれなかった彼を無価値に思う気持ちなんて私には一ミリもなかった。

「俺、怖いんだ。めちゃめちゃ。もし、また落ちたら、もし、また落ちたらって毎日怖くなる」
三度目の試験の前日、彼は私の目の前で世の中全てに怯える子猫みたいな顔をしていた。
休日も返上して毎週机に向かっていた彼は、今にも恐怖に踏み倒されてしまいそうだった。
しんと静まり返った部屋で私は何か言葉を探したけれど、どんな言葉が正解になるのか全く見当がつかなかった。大人になるまでに限りなく多くの言葉を学んできたというのに、大切な人一人でさえ、励ますことができない自分に絶望する。頑張っている人に頑張れなんて安易な言葉を言えるわけがないのだ。
結局私は、言葉にならない思いを表現するため、ただ横でぎゅっと手を握ることしかできなかった。もし、あの時私がとびきりのフレーズを口にすることができていたら、私達の未来は何か変わっていたのだろうか。そうであるのならば、どんな手段を使ってでもその言葉を見つけだして彼に伝えるべきだったと思う。

三回目の試験の結果も不合格だった日から、彼は少しずつ心のバランスを崩していった。
飲み歩くことが増え、あんなに優しかったのに小さなことで怒るようになった。
「おーい! どうせ、また俺は落ちるんだ!」
ひどく酔っぱらって帰宅した彼は、わぁわぁと大きな声をあげながら暴れては毎回自分を責めた。
「もー、また酒飲んだの? 酔いすぎ、とりあえず、水飲んで!」
玄関から、引きずるように部屋に入れて私が水を差し出すと、子供みたいにコップを不器用につかみ、ゴクゴクと飲み干す。
少し静かになった彼は錆び切ってひどく悲しい眼をしていた。他人の光の陰にある、見てはいけない黒いモノを見てしまった気がしてドキリとする。
「ごめん。もう無理なんだ。別れようか」
酔いが冷めていない状態で彼は静かに私に言った。
静まり返った部屋の中で、コップに入れた氷だけがコトリと非情な音を立てて崩れた。
「ねぇ、それって酔った勢いで言うセリフ?」
私にも限界が来ていた。
薄々は気づいていた。もう無理かもしれないことを。最近の私達はちっとも噛み合わなくなってしまった歯車みたいにすれ違ってばかりだ。
「悪いけど誰かのことを考える余裕がない。これから、もっと傷つけてしまう気がする」
一度も目を合わせてくれないまま、彼は小さくそう続けた。

じゃあ、もういいよ。そんなつらい夢諦めて平和に暮らそうよ。会計士になんてならなくていいじゃん。別に会計士のあんたに惚れたわけじゃないよ。何にもなくてもいいから一からやり直そうよ。

私は言いそうになったその言葉達を慌てて飲み込んだ。
なんとなく、そんなセリフは彼を追い詰めることにしかならない気がした。彼はきっと夢が叶わないことがつらいんじゃなくて、夢を叶えられない自分に嫌気がさしているんだ。
その後も何回かの衝突を繰り返してから、私達はお互いのために別れるという最終結論を導き出したのだった。

ぼんやりとそんなことを思い出していたらあっという間にコンビニに着いた。
特に買うものもなかったけれど、とりあえず目についたモノをカゴに入れていたら、ふと、飲料コーナーのコーラと目が合う。
私達の思い出の飲み物だった。
初めて会った時になぜかコーラの美味しさについて談義しあった私達は、付き合うようになっても毎日のようにコーラを飲んだ。

あ! 最後にひとつだけ可愛らしい悪戯をしてみよう。私の中の小さな悪戯心がうづいた。
コーラとサインペンをカゴに入れると慌てて元の道を引き返す。
そして、部屋に戻るとコーラのペットボトルにサインペンで文字を書いた。
散々悩んだ挙句書いた言葉は笑っちゃうくらいシンプルでセンスがないように感じたけれど、これでいい。
そのコーラを私は冷蔵庫にこっそり入れた。

翌朝は冬なのにすごく澄んだ空だった。
私達の悲しいお別れなんて知ったこっちゃないという風に、鳥たちが気持ちよさそうに空を浮遊している。彼は特に何も言わず私を駅まで送るよと言ってそそくさと歩き出した。

その切ない背中を眺めながら、私はぼんやりと物思いにふける。
私達は一日ずつ変わっていく。成りたいものも、行きたい場所も、欲しいものも変わる。
ずっと同じ場所に留まってはいられないのだ。だから、恋人同士が少しずつすれ違っていくのはある意味、仕方のないことなのかもしれない。永遠なんて綺麗ごとを並べられるほど大人ではなかった私達は、無意味な争いを繰り返した末に静かにお別れを決めた。

だけど、私はどうしてもその少しずつ合わなくなった歩幅を恨むことができなかった。もし、あの時違う言葉を選んでいたら、もし、あの時彼が試験に受かっていたら、もし、あの時……。どこで間違えたのかを答え合わせするように悩みつつも、私は一ミリも彼を恨めなかった。

「色々、ごめんな、なんて言ったらいいかわからないけど」
重たい口をやっとの思いで開くみたいに彼はそう言った。
そこには初めて会った時の輝きからは想像もつかないくらい憔悴しきった彼の姿があった。
少し前を歩く男の人の大きな背中に背負い込まれた黒い塊をこんなに切ないと思ったことはない。この塊を私が綺麗に潰してやれたらいいのにと何度思ったことか。だけど、無力な私には彼に少しの光も与えてあげることもできなかった。
「ううん。またね」
またね、はもう来ない。
きっと一生来ない。
私達はこの先こうやって並んで一緒に歩くこともないだろう。
この先の彼の人生がどんな風になるのか私には知る由もない。
知らなくていい。
だけど、私は願ってしまった。

どうか、いつか彼のこの歩幅にぴったり合う人が見つかりますように。
私にはできなかった、光を与えてあげられる人が来ますように。
そして、ほんの少しでいいから私と過ごした日々が無駄ではありませんように。

彼は冷蔵庫にあるコーラをいつか飲むだろう。
そして、喉を潤すように飲み干したその時に、私がシンプルに書いた「ありがとう」を見て少しだけ前を向いてくれたらいいなと思う。

不思議と涙は出なかった。
私達は過ごした日々を消化しながら、また別々の新しい道を歩くだけだ。

※この物語はフィクションです。

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