プロフェッショナル・ゼミ

好きな映画を「好き」と言えなかったわたしが、「ホラー」映画を見て気付いた本当に怖いこと。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:木村 保絵(プロフェッショナル・ゼミ)

あ。

そう思った時には遅かった。
こんなこと、気付きたくなかったな。気付かなくてもちゃんと生きていけるのに。

頭の中ではそうつぶやくのに、心の中がザワザワする。

はぁ。

気付いてしまったら仕方がない。
他人の言うことには知らないふりができても、自分の本音に気付いてしまったら、もう無視することはできない。

それにしても、なんで。
なんでこの映画でこんなことに気付いてしまったんだろう。
大きな声で言いにくいじゃないか。
『アナと雪の女王』とか『君の名は。』とかを見て「めっちゃ感動した!」「すごく泣いた!」なら「わかる~」って共感してくれる人も多いだろう。

わたしはいつもどこかずれている。
人とは違うことをしたいと思うこともあるけれど、そうじゃない時だってある。
みんなと一緒に、ワーキャー言いたい時だってある。
だけど、それがなぜか噛み合わない。

仕方がない。それが、わたしなんだ。
認めてしまったら面倒くさいけど、気付いてしまった以上、無視することはできない。

映画館で予告編を見てからずっと気になっていた作品がある。
「あ、これ見たいな」と思う作品は何本もある。

だけど。

――ドキドキドキ

何も言葉が浮かばずに、ただ鼓動だけが早まっていくような作品はなかなか無い。
真っ暗な画面に映し出される赤や青の光。美しい女優陣。
わたしの想像を超える「何か」が待っている予感がした。

そもそも「映画を観る」という行為は不思議なものだ。
友達や恋人や家族と一緒にという人も多いが、わたしは基本的に一人で行く。
会場が真っ暗になり、私語も謹んでくださいと言われるのであれば、誰かと一緒に行こうが一人で行こうが、大して変わらないのではないかと思う。

でも。

そうは思うものの、その先は違うのだ。
映画を見終わった後。それは、一人では成り立たない。
いい映画であれば「あれがよかった! ここがよかった!」と誰かと盛り上がりたくなるし、
そうでなければ「あれがちょっとね……」と誰かと愚痴り合いたくなる。
共感の熱が高まれば高まるほど、相手との関係性も深まっていく、ような気がしてしまう。

だからこそ、だ。

作品に対する自分の感想と世間の反応をついつい比較してしまう。
自分が好きな作品がヒットすれば、わたし自身も世間につながっているような感覚になるし、
逆に世の中で評価されなければ、自分は何か人と違うんだろうか、変なんだろうか、と思ってしまう。

「映画好き」の人からしたら、そんなことはどうでもいいのかもしれない。
でも、ただ「映画が好き」なわたしからしたら、それはどうしても気になってしまう。

多くの人が「泣いた!」という作品で泣けなければ、自分は冷たい人間なんだろうかと不安になる。
「よくわかんなかったなー」と思っている作品が、「あんなにも人間の本質を描いている作品はない!」などと評されていると、自分の考えは浅はかなんだろうか、わたしだけが何もわかっていないのだろうか、と焦ってしまう。

せっかく良い作品を見て、満足の行く時間を過ごしたはずなのに、他人の反応次第で、自分の思いもすっかり変わってしまうことさえある。

映画に対してどう思うかなんて自分で決めていいはずなのに、なぜか他人の、世間の顔色を伺ってしまう。
手放しで好きなものは「好き!」って言ってもいいはずなのに、なぜかそれができない。

だから今、正直あの作品を「好きだ!」と言うことにも躊躇している自分がいる。
それが『アナと雪の女王』とか『君の名は。』とか、多くの人の共感を呼んだ作品なら安心して「好きだ」と言えるのに、なぜかこの作品は、「好きだ」と言いづらい。

見終わった時、「うわ~、おもしろかったー!」というわたしの興奮とは裏腹に、お客さん達は少し動揺しているようだった。若いカップルなんて、感想も言わず静かに立ち去って行った。

「え、ダメなのかな……。確かに怖いシーンもあるけど……。でも、写真集みたいにキレイで、ハラハラして、見てて面白かったんだけどな……」

実際、第69回カンヌ国際映画祭でも、その作品の上演後は、拍手喝采の絶賛の声と非難の怒声との両方が沸き起こり、会場は騒然としていたという。

確かに、共感したり、憧れたり、元気をもらうような作品とは違う。「ほっこり」なんてしない。
そもそもジャンルでいうと「スリラー」や「ホラー」に分類されているのだから、それは仕方がない。
だけど、確実にわたしの心はぐわんぐわんと揺さぶられていた。
「なんだこれは!」「次はどうなる?!」「それでそれで?」と夢中になってしまっていた。

帰り道の電車の中では、「あー、今度もう一回見に行こうかな」と思ったくらいだ。
「あれはどういう意味だったんだろう」「あそこは何かヒントがあるのかな」
ストーリーを何度も思い返してしまう。
映像の美しさが、頭から離れない。

そしてふと思う。

「わたし、変なのかな」

昨年大ヒットした『君の名は。』も確かに美しかったし、面白かった。
でも、「何回見ても涙が止まらない!」という興奮は生まれなかった。
一滴も涙が出ず、一回で満足と思ってしまった自分は、何かがおかしいのだろうか。

それなのにわたしは「問題作」と称されるその作品に心を奪われた。
なぜ、なぜあの作品は、こんなにもわたしの感情を揺さぶってくるのだろう。
女優陣が美しすぎるから? それとも恐怖のドキドキと興奮のドキドキとを錯覚して、
「うぉー、おもしろーい!」という勘違いを起こしているから? 

そもそもわたしは、ホラーは大の苦手でまったくと言っていいほど見たことがない。
見てしまったらその日は眠れないし、その後数日は道を歩いていても何かが襲ってくるのではないかと不安になってしまう。
日常生活に支障をきたしてしまうほどのビビリだ。
だからこそ、ホラーどころか、サスペンスやアクションのドキドキすら苦手で避けてきた。

それなのに。

なぜあの作品は、こんなにも刺さるのだろう。なんでもう一度見たいと思うのだろう。
あんなにも衝撃的で、目を覆うようなシーンもあるのに。
なんで、わたしはワクワクして見ていたんだろう。

あ。

もしかして。

心の中で、一つの仮説が生まれた。
もしかしたら。

もしそうであれば、この作品にも反応するはずだ。

そう思い、家に着くとDVDの入っている引き出しを探った。

映画『ブラックスワン』

もしもわたしの仮説が正しければ、わたしは確実にこの作品に反応するはずだ。
数年前に購入したものの、何年も放置していた作品。
なんとなく見る勇気が出ずに、閉まっていた作品。

恐る恐る、DVDをプレイヤーに入れる。

ドキドキドキドキ。

『白鳥の湖』プリマに抜擢されたナタリーポートマン演じる寡黙で真面目なバレリーナ。
純粋な白いスワンは正に彼女そのものだが、舞台では男を誘惑する邪悪な黒のスワンも演じなければならない。

どうすれば、自分の殻を打ち破り、すべてを解放できるのか。
主人公の繊細な心理が、サスペンススリラー、サイコホラー調に描かれていく。

目を覆いたくなるような痛々しいシーンが何度も登場する。
手に汗を握りながら、ようやくエンドロールへと辿り着く。

あぁ、やっぱり。やっぱりそうだ。
わたしの仮説は、確信へと変わった。

今までは全く気づかなかった。
まさか自分にそんな趣味があったなんて。
そんなものが好きだったなんて。

「女同士の嫉妬」
「女が互いを蹴落としていく姿」

わたしは、それが、好きなんだ。
その戦う姿に心を揺さぶられ、「いけいけ! どんどんやれ!」と興奮してしまう。
汚い手を使う姿に「やめろ!」と思いながらも、ドラえもんのしずかちゃんのように見たくないと思いながらも、見ることをやめられない。

なぜだろう。

それはきっと、わたしの心の奥底に、憧れが潜んでいたからだ。

他人を蹴落としてでも、汚い手を使ってでも手に入れたいと思う何か。
嫌われようが何しようが、それでも掴み取りたい何か。

わたしには、それがない。
そんな戦いをしたことも、身近に感じたことも、一度もない。
いや、むしろ苦手だからこそずっと避けてきた。

わたしは小、中、高、大学と共学に通っていたので、女性だけの環境で過ごしたことはほとんどない。
むしろ、いわゆる「女性同士のあれこれ」が面倒で、男友達と遊んだり、一人でいるほうが好きだった。
誰かに嫉妬して、その人を負かそうと裏で何かを仕組んだこともない。
どうしても敵わない、思い通りにならなければ、勝手に心を閉ざす。
相手との関係を断つことで、嫉妬に溺れることからも逃げてきた。

それに、わたしは部活に一生懸命になったことがない。
全員参加で何かしらには属していたとしても、何か試合に出たり、コンクールに出るようなことは、一度もしたことがない。勝つために、何かを得るために、チームメイトと協力し合ったり、ライバルと切磋琢磨したり、歯をギリギリ言わせたこともなかった。

仕事もそうだ。
大きな組織にはほとんど属したことがない。
誰かと役職や担当を争ったこともないし、上に気に入られようと画策したこともない。
大抵はそんな必要もないくらい少人数の職場だったし、そういう人を見かけた時も「面倒くさいな」と思い流してきた。
飲み込まれるほどの嫉妬心に狂ったこともなければ、誰かと、それも女性と闘ったことなんてない。
そもそもそんな怖いことは、わたしにはできない。
誰かとケンカすれば怖くなって胃が痛くなる。嫌われないか不安でハラハラする。
それでもワガママを言いたくて、我を通したい時には、その人との関係を終わらせる。
そうやって、争いごと、戦いごとからは逃げてきた。
大学受験はせざるを得なかったけど、就職活動はしていない。
出来る気がしなかったからだ。
大勢のライバルと戦い、勝ち抜いていくことは、自分には向いていない。
負けず嫌いなくせして小心者で言い訳の得意なわたしには、耐えられるはずがない。
そうやって、「勝つため」ではなく「戦いから逃げるため」にあれこれ画策して生きてきた。
戦わずに、出来るだけ傷つかずに、自分の場所を確保してきた。

だからこそ。

心の奥底では憧れていたのだ。
自分は避けてきたからこそ、フィクションの中の「女同士の嫉妬」「女が互いを蹴落としていく姿」になぜか惹かれてしまうのだ。

女同士の戦いが黒ければ黒いほど、えげつないほどに、夢中になって見てしまう。
自分の身には絶対起きてほしくないからこそ、「あり得ない」という前提の元で、こっそり覗いてみたいのだ。

だから、
映画『ブラック・スワン』も、
最近見たばかりの最新作のあの作品も、わたしの心に刺さってきた。

美しい女性が嫉妬に溺れ、互いを蹴落とし合う姿が、面白くて仕方がない。
そんなことを言ってしまえば「アイツ嫌なやつだな」「性格悪いね」と言われそうで怖いから、大きな声では言えないけれど、そんな作品が、わたしは好きなのだ。

あ。

そう思った時には遅かった。

――違う。それだけじゃない。

そんな自分の声が聞こえてきた。

こんなこと、気付きたくなかったな。気付かなくてもちゃんと生きていけるのに。

頭の中ではそうつぶやくのに、心の中がザワザワする。

わたしはただ、女の戦いをこっそり覗き見たいんじゃない。
それだけじゃない。

わたしは本当は、作品の中の女性になりたいのだ。
もちろん、ホラーやサスペンスには巻き込まれたくない。
だけど、
嫉妬に狂うほど手に入れたいものを見つけているその人達に、
「好かれたい」「嫌われたくない」と怯えることなく、人の道を外れてまでも自分を貫く人に、
本当はなりたかったんだ。

「あはは、この人達うける~。ありえないわー」と笑い飛ばすことで、わたし自身を必死に肯定して守ってきたけれど、本当は、違う。

「好かれたい」「嫌われたくない」そんなことには囚われたくない。
本気の戦いの場で鎬を削り、その中で勝ち抜いてみたい。
誰かを嫉妬で狂わせるほどの、唯一無二の何かを手に入れたい。

本当は、そう思っていた。
学生の頃は「優等生」の立場を守り、職場では「いい人」になろうと必死になる自分を、本当は壊したかった。
何をするにも他人の顔色を伺うのではなく、自分の本音に素直に生きてみたい。
我慢して我慢して、その結果爆発して他人に嫌な思いをさせて、後々拭いきれない罪悪感に追われるような生き方は、もう嫌だ。
本当は、そう思っていた。

だからこそ、『ブラック・スワン』やあの作品を見ていると、鼓動が高鳴ってくる。
本当の自分が心の中で、ドンドンドンドン! と壁を叩いているからだ。
「今が変わるチャンスだよ! 気付いて!」と叫んでいる。
それなのに、「わたし」は、「あー、興奮するー。面白いー」で済ませ、自分自身の心とは向き合おうとしなかった。

はぁ。

気付いてしまったら仕方がない。
他人の言うことには知らないふりができても、自分の本音に気付いてしまったら、もう無視することはできない。

無視すればするほど苦しくなり、悪循環にハマってしまう。

積極的に「嫌なヤツ」になる人になる必要はない。
だけど、積極的に「いい人」になろうとする必要だって、本当はないんだ。
自分の本音に素直に生きていく。
その結果、誰かに嫌われるかもしれないし、誰かには好かれるかもしれない。
ただ、それだけの話じゃないか。

どうして好きな映画ですら、反応を気にして「好きだ」と言えなかったのか。
誰になんと思われたっていいじゃないか。
わたしは何を守ろうとしていたのだろうか。
このまま自分にブレーキをかけて生きていたら、守りたいものすら手に入れられないまま終わってしまう。

人生で一度くらい、
「わたしが、彼女たちになりたいんじゃない。彼女たちが、わたしになりたいのよ」
そう言えるくらいの何かを手に入れてみたい。
誰かを嫉妬に狂わせる程の、わたしにしかないものを、手に入れてみたい。

映画『ネオンデーモン』
美を追求するファッション業界の女性達を描くサイコホラー。

この作品の本当に怖いところは、「ホラー」と称されるシーンよりも、
心の奥底に隠されていた本音に気付いてしまうことかもしれない。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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