「ヤバい」を論じたら、人工知能に勝てる気がしてきた
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記事:果椰kaya (ライティング・ゼミ)
なんでもかんでも「ヤバい」のだ。
寝坊しても、怒られそうでも、忘れ物しても、とにかく「ヤバい」し、
かわいくても、おいしくても、嬉しくても、とにかくなんでも「ヤバい」のだ。
「もー、それって、ほんとにヤバいってー!」と、着ている服装をほめられることもあれば、同じ言葉でけなされていたりもする。
「あのヒト、ヤバい」と、キラキラした目が恋する乙女を物語っていたり、いぶかしげな眼つきでヒソヒソと噂したり。
「これ、ヤバい!」と、ケーキをひとくち食べた瞬間、反射的に感動を叫ぶのがこのセリフかと思えば、冷蔵庫の奥の、カピカピになった賞味期限切れマヨネーズを見つけて、ゴミ箱に放るときに言うセリフもこれだったりする。
おいしくても、まずくても「ヤバい」。
金額が高くても、安くても「ヤバい」。
都合が悪くても、危険を感じても、素晴らしい景色も出来事も魅力的であってもなくても、とにかく「ヤバい」わけですよ。
若い世代の子が言うから許されるのであって、すでに彼らの親世代の自分がなんでもかんでも「ヤバい」のひと言で終わらせてしまうのは、さすがに「イタい」ヒトだと気が引けるが、二度寝をしてしまった朝は必ず、「げ、ヤバッ!」と口にすることからその日の幕が開けるというは、いかがなものか。
自分の若かりし頃を振り返れば、なんでもかんでも「ウッソー!」と言っては、年配者にたしなめられていた時代があったな、そう言えば。
驚きの「ウソ?」、悲しみの「ウソ……」、喜びの「ウッソー!」、それこそ嘘を疑う「ウソッ」を巧みに使い分けてきた。これは「ヤバい」より「マジ?」の活用形というべきか。
「ウッソー!」でも「マジ?」でも「ヤバイ!」でも、そのひと言に簡素化された表現のなかには、喜怒哀楽のさまざまなニュアンスが含まれることを察する力がわたしたちには備わっている。だから通じる。そこに生まれた感情をくみ取ることができる。相手が誰だろうと簡単に。
言葉はそれ自体、誰かが使い始めないと流行ることもないわけで、若い世代を中心にだが、全国的に一般的に、これだけ浸透しているということは、それだけ伝える力が強いと言い換えてもいい。
いや、伝える側の力が強いだけでは相互の会話は成り立たない。そのコミュニケーションが成り立つためには、伝える側以上にそれを受け止める側が、状況と微妙なイントネーションと相手の感情を読み取れるかどうかにかかっている。
それって凄くないですか?
「ヤバイ」と言われて、「え? なにがどうなってるの? ヤバいってなによ? ちゃんと説明してよ、説明してくれないとわからないじゃないの!」と詰め寄らなくたって、たいていの場合、すんなり受け止めることができているはず。
おいしいものを一緒に食べる際に放った「ヤバい!」が、その時の状況で「おいしすぎる!」という意味だと瞬時に共有できたり、状況によっては「ソースこぼした」とか、「財布を忘れた」といった具合に、たった3文字の短い言葉の並びが、その場面ごとに微妙なトーンの違いで、話し手の「言わんとするところ」が伝わる。それはまるでちょっとしたテレパシーのようで面白いじゃないですか。
これを「強み」と言っていいのか判りませんが、この相手の「言わんとするところ」を読み取る力は、人間が持っている能力の強みのひとつなのではないかしら、と、この頃思う。
機械的ではない人間らしい体温がそこにあるから、なんですよね。
それは、機械では絶対に計れないだろう、温度。
なんでもが機械化されて、わたしたちはとても便利な世の中にいる。
もうすでに馴らされてきているものだから、どうやらこれからの世の中は人工知能が多くの仕事を肩代わりしていく時代になるらしい、と知ったって、驚くことなく「だろうね」と納得できてしまう。
便利な世の中と技術のスピードを見ていると、「人間の仕事を奪われる」ことになるのは当たり前の流れに思えるし、オックスフォード大学が認定した「あと10年で消える職業・なくなる仕事」の一覧にビクッにとしながらも、抗えない気持ちになる人も少なくないはず。
作業や仕事が機械に取って替わられるのは想像に難くないけれど、人と人とのコミュニケーションはどうだろう? いくら人工知能が優れているとはいえ、微妙な心の動きやおもむきをすんなり読み取れるとは思えない。
日本狭しといえども、各地の方言が持つ、独特の表現・独特のイントネーション。
微妙な言い表し方によって含まれる、こまやかな気づかいや思いやり。
例えば、鹿児島弁独特のイントネーションのように、スパイ対策として意図的に作られたと言い伝えられている方言は、言い方や発声の強弱で、感情がより一層際立つ。独特な言語は、絶対に機械化されることのないもの、なんじゃないでしょうかね。
機械化されるということは、パターン化されるということ。
パターン化できるものは、人工知能に任せてしまえばいいとも思う。
ある人が言うには、人工知能が発達して職を失うのではなくて、「好きな仕事しかできなくなる」、のだと。嫌々やっていた仕事も、大量のデータも、複雑な管理も、コンピュータにすべてお任せしてしまって、自分自身のやりたいこと・クリエイティブな時間を費やせ、と。
クリエイティビティは、わたしたちの内部からしか生み出されない。
嫌なこと、面倒くさいことに追われなくて済む空き時間がもっと増えれば、わたしたち人間の感情や感覚は、もしかしたらさらに研ぎ澄まされてくるのかもしれない。
現に「ヤバイ」というたった3文字に含まれる情報は、多くのものを伝えてくる。
相手の状況や表情を見なくても、もしかしたら、微細な発声の違いでもっと深く理解できるようになるかもしれない。
暗号文のような謎解きであったり、隠語のように、そのものをズバリと表現しないからこそ、逆にふっくらと伝えたいことが湧き出てきたり。
通じる。
それこそコミュニケーションの技ですよ。
こんなに単純な言葉の、複雑で微妙なニュアンスをやり取りできるわたしたちのコミュニケーション能力を、もっと誇ってもいい、と思う。
言葉は記号の羅列ではなく、そこに感情や考え方、思想、哲学がある。
言葉は単なる道具ではない。
メッセージを伝え、気持ちを表現し、感動を得たり、世界を広げたり、行きたいところに行けたり、わかり合ったり、できる。
音声でも文章でも自分をそして誰かを表すことができる。
言葉がある、ということは、そこに文化があり、クリエイティブな世界を広げることができるということ。
凄いじゃないか、わたしたちって。
人工知能に取って替わられることを人間の本能が「それはヤバいことだ!」と察して、暗号のような言語を浸透させようとした? ……というのは大げさであっても、なんでもかんでも「ヤバい」と言って済ませてしまうことが、表現力のないつまらない言葉だと敬遠していた自分の考えが、だんぜん、前向きになってしまった!
瞬時に起きるあらゆる状況に七変化する「ヤバい」言葉に、感動すら覚えてる。
それって、マジ、ヤバくね?
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