まだ「書く」ことを巡る旅の途中で。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:阿哉(ライティング・ゼミ)
その女の子は、田舎町を離れ、都会で小さな妹と母親と3人生活を送ることになった。
小さな町でのんびりと過ごしたその子にとって、都会での新しい生活はストレスに満ちていた。毎朝たくさんの大人に混じって地下鉄に乗って通学することは緊張の連続で、いつも駅を出るまでは早足で歩いた。都会っ子の同級生にドン臭いといじめられたこともあった。そして、マンションの部屋に一人帰ってくると、薄暗くて誰もいない。不安で部屋の明かりを点けたら、ダッシュでテレビのスイッチを入れた。母親はフルタイムで働いているから、まだしばらく一人で待たなくてはならない……。
いつからだっただろうか、女の子のそんなストレスフルな毎日を心配してか、日々忙しい母親がその子のために取れる時間の短さを埋めるためか、母親は女の子とのあいだで交換日記を始めた。
女の子は、毎日、学校であったこと、友達と何をして遊んだか、を書いた。妹を保育園に迎えに行かなければならない日は、母親が帰ってくるまで二人で過ごすからその時にあったことも報告したりする。楽しかったことも、腹が立ったことも、悲喜こもごも。女の子が書いた書き込みに、母親はさらさらと伸びやかな字で、欠かさず返事を書いた。
まだ、電子メールやSNSが存在しなかった頃の話だ。
天狼院書店ライティングクラスの最後の講義が終わった週末。私は4ヶ月間で学んだことを振り返りながら、ファミレスであれこれ考えていた。そのうち「自分にとって書くことにはどういう意味があるのだろうか? 何のために書くのだろうか?」という質問が頭の中に浮かんだ。
その答えに考えを巡らせているうちに、ふと、小学生の頃、母親としていた交換日記の記憶が蘇ってきた。友達とも交換日記はやっていた。けれど、まず浮かんだのは母との日記だった。
当時、母は慣れない町で慣れない人間関係のなかで、慣れない仕事をしながら、家事をこなし、まだ小さい妹の面倒もみていた。母が私のためだけに割ける時間は極めて限られていたから、直接、対話できる機会はあまりに少なかったと思う。生々しい記憶はもうほとんど薄れてしまったけれど、たぶん私にとって、母を独占できるのがこの交換日記でのやりとりだったから、それこそただただ書くことが楽しかったはずだ。一番読んで欲しい読者=母のために書き、その読者は真摯に私の書いたものを読み、真摯に感想を返してくれる。
もしかしたら、人生で書くことが幸せ! と思えた最初の経験かもしれない。
私は、基本、書くことは好きだと思ってきた。「書くことが好き」と言う人のたぶん大半が持っている経験、学生時代、読書感想文やら作文大会で何度か入選したこともある。就活でも論文審査はほぼ必ず通る(で、面接で落ちたりする……)。
でも、大人になると自分が書いたもの、書くことの限界に直面していくことになる。そして、とうとう私が、書くことに苦しめられる時がやって来た。
大学院で研究論文を書かなければならなくなった時だった。論文の数=実績、という世界。実績をあげなければ就職もままならない。学会や研究会で先生がたと会えば「書けたか?」と問われ、誰がどういう論文を書いたということが話題となる。直接言われたわけではなくても、論文を書くことがデフォルトの世界では、「書かない人間はダメ人間」、「とにかく、どんなものでも書け!」と追い立てられ、追い詰められているような気持ちにさせられていった。なんとか書けたとしても、足りないところを指摘されるか、最悪、感想すらもらえない。何のために書くのか、を見失っていく……。
ある時、とうとう私は心を病んだ。まぁ、症状的には軽いものではあったけれど。論文を書けない、読めない。研究活動が進められない自分が情けなくてまた落ち込む。昼間は世間を避けるかのように眠たい。やる気が出ない。で、布団から出られない。一方、夜中は目が爛々と冴えていて眠れない。そんな日々が確か2年ほど続いたと思う。
でも、私はまた浮上することができた。私を救ってくれたものはいくつかあるが、その一つが「書く」ということだった。
目が冴えて全く眠れそうにない深夜、私はひたすらパソコンに向かってキーボードを叩いていた。時にはノートに手書きのときもあった。かろうじて家と大学を往復するだけの日々なのでイベントはあまりないけれど、私の頭のなかには、あらゆる思いが渦巻いていた。それを言葉にしていった。誰かに見せる宛のない、読者のいない文章を夜な夜な書き殴っていた。汚い言葉も、ドス黒い言葉も打ち込んだ。すると、いつのまにか眠気が襲ってきてぐっすり眠れた。書いた文章が、私の中に溜まっていたオリを吸い取って浄化してくれたみたいに。
私は、「書くこと」に苦しめられたけれど、「書くこと」に救われもしたのだ。
研究論文には決まった型がある。その型に合わせなければ認められない。まともに読んでもらえない。そういうものだ。わたしはその型の中で書くことが苦痛だったのかもしれない。型を脱ぎ捨てて、自由に書きたい! と解放されたかったのかもしれない。
では自由に書くことが、私の目指すところなのか? それもちょっと違う気がする。
かつて書くことは、食べることも、眠ることも忘れるくらいワクワクできることだった。キーボードを叩くリズムが軽やかなときは、まさに「ランナーズハイ」と同じ。飛行機に乗り遠い世界に行かなくても、心を遠くへ(現実にある外国でも、この世に存在しないような場所へでも)飛ばせるような経験もできる。
でも、それは自己満足に過ぎない。4ヶ月学んで、その厳しさも突きつけられた。私が書く先にいるのは、読者は、無条件に私を受け入れてくれる母親ではないのだ。誰に向けて書くのか? 私は誰に向けて書きたいのか?
4ヶ月、久々に締め切りに追い立てられて書くことを経験した。「締め切りが来る、書けない!」という経験はやはり苦しかった。一見、シンプルながら読んでもらうために守るべき原則を応用していくことは簡単ではなかった。
私は「目的を持って、制約の中で書くこと」が苦しくて、書けなくなった。「書く」という道は、心躍るような道ばかりではない。険しくても、出会いたくないものに出会うような道でも通らなければならないこともある。でも、その道を通るからこそ、行く先に違う風景が見える。そのことに改めて向き合うことになったのだな、と思う。行く先の風景は、まだ深い霧の中だけれど。もっと書いていけば、もっとうっすらと、そしてはっきり見えてくるかもしれない。見たいなら、歩き続けなくてはいけない。
昨年、偶然にも違う場で出会った2人の人が同じことを言った。「自信は、何か大きな武器を身につければつくものじゃなくて、小さな行動(試行錯誤とも)を積み重ねるなかでいつのまにかつくものだよ」と。
ただ、書くことによってしか、書くことへの自信は得られないのだ。
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