プロフェッショナル・ゼミ

プロの独身の私が、あれこれ結婚の形の話をしよう《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事: 村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

それは「Facebook Bomb」というのだ、と聞いた。

Facebook上のタイムラインに、ハートマークと共に流れてくる「結婚しました」の文字。
友人、知人が結婚したことを示すマーク。リア充のダンスホールとも言われるFacebook上でも、もっとも華やかなイベントかもしれない。

結婚を事前に知っていれば、驚きもないが、知らずにやってくるハートマークは確かに小さいながらも爆弾的な驚きをもたらす。びっくりして、反射的に「いいね」は押しつつも、Facebook bombの放流者は、まず間違いなく私より若いので「いやー、先へ行くなら『お先に失礼します』って言って欲しいよな」と余計なことも思ったりする。

私は、生まれて半世紀を超え、未婚・非婚である。昨年の人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」-「逃げ恥」では星野源演じる夫(仮)平匡(ひらまさ)さんがこの状態が長いことを「プロの独身」と表現していたが、私も胸を張ってプロの独身だ。

遠慮会釈のない人びとからは「なぜに、この歳まで一人で?」と問われることがある。

10年ばかり前、働きながら大学院に通っていたときに出会った、中国人女性の留学生Wさんも遠慮会釈のないひとりだった。彼女は研究者である中国人の旦那さんと結婚して2人で来日。大学院入試の準備をしながら研究生という身分で私と同じゼミに出ていた。

日本語を学び始めて日が浅いWさんは、ゼミでのやりとりを把握できないことも少なくなかった。私は、ボランティア的に彼女の入試の準備を手伝った。

ゼミの後、大学図書館のロビーで「どこがわからなかった?」「ここの用語の意味が……」なんてやりとりを日本語と英語のチャンポンで30分から1時間くらい毎週繰り返す。そのうち彼女は私に対してある種の恩義を感じてくれたらしい。

私がいい歳をして-10年前にすでにいい歳であった-未婚でいることを、かなり気にしていた彼女はある時、
「私、あまり大したお礼できない。でも、ムライさん、独身でしょう。国際結婚、manageできる自信ありますか。国際結婚、とても難しい。でもムライさんが望むなら、私素敵な留学生紹介できます」
といきなりそこへ切り込んできた。

私は、いささか面くらいながらも、あぁ、そういうお礼の仕方があるのか、と感心しつつ
「いや、お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」
と答えた。

しかし、Wさんは義理堅く、ある時期から毎週のように
「ムライさん、なぜ、あなたは独身でいますか。理由がありますか」
と私を問い詰めるようになった。

正直、この質問がつらく、はっきり言うと面倒くさく、ゼミの手伝いをするのも苦痛になっていたのだが、私は毎回のらりくらりと言い訳とお断りとを続けた。

ある時、言い訳も尽きたので
「うーん、なんて言うかね、ひとりでいるのが気楽なんですよ」
と言うと、Wさんは腹式呼吸の日本語で
「き、気楽ぅ? どういうことですか? それ、中国なら許されないよ!」
と夜更けの図書館に響く叫び声をあげた。

天井の高いロビーに響きわたるWさんの叫び。わずかに残っている若い学生諸君がこちらを見つめる。妙な組み合わせのカップルが痴話げんかを始めたようにでも見えるのだろう。

「いや、あの、気楽っていうかね。あの、なんて言うか……」
どうにか、その場を切り抜けたが、「気楽は許されない」というWさんの叱責は未だに耳に残っている。

気楽、というのは正直なところなのだが、Facebook Bombを立て続けに経験した昨今、結婚という関係に入らないことに理由があるのか、結婚という制度を眺めながら、自分の心の中も探ってみようと思った。

多くの人は、青年期になると、自らの意思で配偶者を探し出し、結婚の約束をして夫婦関係という新たな家族関係を作るらしい。その約束と言うのは、乱暴にまとめてしまうと
「世の中的に夫婦と認められる関係を作り上げたいと思う気持ち」
を内容とするのだという。

この気持ちを片方だけが持っている状態は片思いというやつで結婚には至らない。こじらせるとストーカーとなる。結婚が成立するためには双方が
「結婚して世間的に夫婦と認められる関係になりましょう」
「そうしましょう」
と合意に至らなければならない。厳密に言えば、そのうえで婚姻届をするのだが、結婚も契約ということだ。契約、合意がまったくないのに紙だけ出しても有効な結婚ではない。

ところで、世の中的に夫婦と認められる関係って何なのだろう。そんな関係を作るための契約って、一体? 私の周辺の多くの人は既婚者なので、この「夫婦として認められたい」契約をしたのだと思うのだが、夫婦のあり方といっても、ほんとは様々ではあるまいか。

法律上、結婚をした男女には同居の義務があるという。「世の中的夫婦」は同居するよねーという常識をルール化したものっぽい。昭和50年代に書かれた教科書は「夫婦が本来性的結合であり、現代の社会においては生活を共同にすべきものである以上当然のことである*1」「いわゆる別居結婚は、夫婦のあり方の本質に反するから、婚姻は無効と解すべき*2」と言い切っている。んー、古色蒼然としていないか。

今-2017年の現代の社会では、単身赴任なんて当たり前にあるし、法の解釈としても以前から転勤とか、子どもの教育とかちゃんとした理由があれば、同居しなくても問題ないとされてはいるそうだ。でも、そんな「ちゃんとした理由」がなくとも、
「結婚はするけど、ずっと同じ空間に一緒にいると飽きるから、別々に暮らして気分が盛り上がった時だけ会おうね」
「そうだねー」
みたいな通い婚とでもいうべき関係だって、あっておかしくはない。目立たなかっただけで、昔からあったはずだ、と思う。

こういうのは「胸張って言える理由はないんだけど、二人の間では同居義務は負わないことにしようね」という条件の入った結婚契約なのだろう、か。

私がプロの独身でいる最大の理由のひとつは、一人の時間を切実に必要とする私にとって、結婚契約に付いてくる同居義務を守り通すことが難しい、という点にありそうだ。Wさんに叱られた「気楽」の正体はこれに近いかもしれない。

「逃げ恥」の平匡さんも「プロの独身」の極意を「平穏」と喝破していた。

あのとき、特則で「同居はやめとこう」と合意できるなら、状況は変わっていたかもしれない、と思う場面はいくつかあった。今さらだけれど。

さらに法律は「夫婦は協力して、扶けあわないといけない」と言っているらしい。これは同居以上にバリエーションがありうる話だ。仄聞するに、協力や扶けあいの内容について、しっかりと契約交渉せずに結婚契約を成立させてしまったばかりに、お互いがモヤったり、不愉快、不幸になったりする例も少なくないようだ。

この協力、扶けあい契約を「世の中的夫婦関係」を作り上げる契約より優先させたのが、先にも挙げたドラマ「逃げ恥」ではなかったか。

星野源演じる夫(仮)の平匡さんと新垣結衣演じる妻(仮)みくりさんとは、みくりさんが行うべき家事業務―その内容はシャドウ・ワークとも言われる家事労働―とそれに対して平匡さんが支払う金銭的対価と含む「家事代行スタッフを雇う感覚の契約結婚」を成立させる。平匡さんは「雇用契約は二人だけの秘密」、「実態はただの雇用関係」、「事実婚」とはっきり言っており、法律の要求する婚姻届けは出していないようなので、法律的婚姻は成立していないのだけれど、二人は必死で「世間的結婚に見せる、認めてもらう」努力をする。みくりさんも「対外的には普通の結婚として推し進めることにしました」と語る。

ドラマは、雇用的契約結婚が紆余曲折を経て本当の恋愛と結婚に近づいていく様子を描いているのだが、二人の契約は「世の中に結婚と見える関係」を目的にしているのだから、婚姻届を出していないという形式的致命傷はともかく、気持ちのうえでは始めから立派に結婚だったのではないかしら。協力や扶けあいについては、詳細な合意があるし。

私には作業分担への抵抗はそんなにない。今だってひとりで家事をいい加減ながらやっているし。やはり、同居への抵抗の方が課題としては大きいな。

もうひとつ、結婚契約に入るとそれぞれはお互いに対して「貞操義務」を負うとも言われているらしい。生涯、その相手とだけ添い遂げるというルール。確かに、これは大事だよな。法律の教科書を見ると端的に「婚姻とは……(難しい説明省略)……性的結合関係である」と書いていたりする。子どもがいる家庭では決定的に重要なルールだろうな、とも思うのだが、これも私の限られた経験からも、夫婦によってあれこれ合意の上での特則はあるのではないかと推測する。

私の知人には「二人の奥さんがいて、それぞれに子供が生まれていて、二つの家庭をふたつながらに維持している」男性がいる。彼の友人から「○○さんには奥さんが二人いるの知ってました?」と告げられたときには仰天した。どちらかが法律上成立している婚姻で、他方が事実婚だと思うのだが、いつもにこやかで穏やかな大人の彼は二つの結婚契約を-同居義務、貞操義務をどう果たしたのかはわからないが-それぞれ履行し、二つの家庭を維持し続けたと聞いた。

また、わが国の事例ではないのだが、より明示的に特則に合意していた事例にも出会った。かつて私が外資系企業に勤務していたとき、外国人のイケメン男性の仕事仲間から「うちの夫婦は、お互い別のパートナーと交渉してもいいことにしてるんだ。そういう合意なんだよ」と平然と告げられたことがあったのだ。

「そ、そうなの?」
「これ、いいよー。奥さんのこと好きだから結婚もエンジョイできるし、同時に独身のときと同じに楽しめる。僕らの唯一のルールは、病気を持ち込むなってこと」

彼の国の婚姻法制を知らないのだが、きっと重要な特則を含む結婚契約だな。

変わらない心なんて、ない、というのは古今東西のラブソングの定番テーマでもあり、私も変心しないという自信はないのだけれども、一度に複数のパートナーと同居を含む生活を維持するエネルギーがない点で、私にとって貞操義務を守ることはそんなに難しいことではないような気がする。仮に、他のパートナーとの交渉は自由なんて言われても、そんな気力も体力もない、というのが正直のところだ。

さらに、夫婦の姓も重要な課題である。今は男女どちらかの姓を選ばないといけない。ドリカムの歌に「年賀状の旧姓とれたらほっとする」みたいな歌詞があるかと思えば、自分が生まれた時の苗字をとっても大切にする人もいて、議論の尽きない難しい論点だ。法律改正の動きを見ると、同姓でも別姓でも選べるようにしようという選択的別姓のアイディアは20年も前に法制審議会でできあがっているのに、ずーっとたな晒しで国会に出てこない。法制審のメンバーだった研究者は「国会につくづく保守勢力が多くて」と嘆いていた。法案を根回しのために国会議員に説明して回った法務省の担当者は「選択的だろうが別姓は絶対認めない」と吠える議員にいじめられ、あっという間に白髪になったとも聞いた。

そうこうしているうちに、職場で旧姓を使い続ける女性が増えたり、SNS上で「夫さんの苗字+自分の旧姓+下の名前」、例えば、「イソノ・フグタ・サザエ」みたいな表記する女性が増えたり、世の中は少しずつ動いているのだな思うこともしばしば。

これは、どうするか。確かに、自分の苗字が変わることに抵抗がない、と言えばウソになる。民法が改正されて選択的別姓が認められても、「どちらを捨てるかを選ぶ」決定には、結構悩む気がする。相手にそれをさせることにも気が引ける。立法的には無理があろうが、「イソノ・フグタ・サザエ」式だったらいいかな。

こうなると、家族の基礎的関係のひとつである結婚というものも、実は一言では言い尽くせない無限のバリエーションを持つのではないかと思えてくる。実際、そうなのだろう。結婚したことのない私にその当たり前の感覚がないだけで。

ここまで、制度としての結婚をざっくり眺め、いくつかの制度としての課題について、自分の課題を検討してきたけれど、やはり、結婚の躊躇につながる一番大きな問題は、ひとりでいる時間の確保になりそうな気がする。

では、そのひとりでいること-平匡さんのいう「平穏」の確保が大事、という気持ちはどこから生まれてきたのか。

私を生み、育ててくれた父母とその家族は、結構幸せな家族だったと思うのだが、なぜか私の心の中に、自分で家族を作るイメージが若い頃から、大変に希薄なのだ。

「世の中的に結婚と認められる関係」に入る約束が結婚だとすると、私の中の「世の中的に……」のイメージが、現実の世の中的結婚と、かなり違っているのでないか。特に、「同居」とか「同棲」とか「新居」とか「マイホーム」とか「ひとつ屋根の下」とか、いうキーワードには反応しない。好きな相手であっても、時空間の共有に執着が薄いとなれば、これらのキーワードと分かちがたく結びついている結婚へのエネルギーが沸く理由はない。「いわゆる別居結婚は、夫婦のあり方の本質に反するから、婚姻は無効と解すべき」と言われては「あ、すいません」と引き下がるしかない。時代は動いていると思うけれども。

最近、年老いた父母に「僕は子どもの頃、どんな子どもだった?」と尋ねた。ふたりとも「ひとりで遊ぶのが好きな子どもだった」と即答した。

そうか。子どもの頃からか。

人嫌いというわけではないのだし、家庭を作り上げることに全く関心がないわけでもない。

しかし、同居というパーツ抜きの結婚に同意してくれるお相手と巡り合う運とご縁がない限り、つまり、同じ結婚のイメージ(それは、世の中的な標準の結婚とはズレている)を持った人と出会うまで(あるいは、私の偏った結婚イメージが変わるまで)、私がFacebook bombを飛ばして、「あのおじさんが!」とフレンズの皆さんを驚愕させる日はちょっと見えない。

引用・参照文献
*1 我妻榮・有泉亨 民法3 親族法・相続法 (一粒社)
*2 川井健編 民法入門(2) 家族法 (有斐閣)

鈴木禄弥 親族法講義 (創文社)

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