プロフェッショナル・ゼミ

母へ。どうか庭の椿のようにこれからもひっそりと咲いていてくれませんか?《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:市岡 弥恵(プロフェッショナル・ゼミ)

私には、どうしても超えられない女がいます。
いくら化粧が上手くなっても、いくらお金を稼いで高い洋服で自分を着飾ったとしても、私は彼女には勝てないのだろうと思います。
いえ、むしろ私は彼女に勝ってはいけないと思っています。

今朝起きると、庭に雪がうっすらと積もっていました。
私が幼い頃から庭にある椿にも、雪が少しだけかぶさっていました。
まだ蕾をつけたばかりの椿に、冷たい雪が積もっていく様を、窓から眺めていました。
すると、雪をかぶった椿が、母の姿と重なってしまったのです。

そして、思いました。
母は幸せだっただろうかと。

私のような訳のわからない娘を産み、そして自分の腹を痛めて産んだ娘から、あのような言葉をかけられ……。
母は、こうして庭の椿のように、しんしんと身に積もっていく冷たい雪の重みに耐えていたのかと思うと……。

やはり私は、あのまま消えてしまった方が良かったんじゃないかと思ったのです。

私の中にある、一番古い、母が泣いている記憶。

それは、私が幼稚園の時でした。
当時のことは、飛び飛びの、細切れの場面でしか私の中には残っていません。
とても不思議なのですが、この世に産まれた時から泣いていたはずの私なのに、この時初めて、「人が泣く」という事を理解したのです。

***

母は関西の出身です。
それなのに、博多に住む父のところに嫁いできました。
もともと、看護師として働いていたのに、母は上げ膳据え膳の、九州男児の父に嫁ぎました。
そして、父の両親と同居生活を始めます。
私の祖父も、父と同じで、厳しい九州男児でした。同じ家の中に、厳しく頑固な九州男児が二人も居るのです。考えただけで窮屈ですが、幼い頃の私の記憶によると、それ以上のものがありました。
父の家は、下宿屋を営んでいました。婚約後すぐに私を身籠ったことが分かった母は、身重の体で、下宿屋の手伝いをしていたそうです。

母の実家は、とてつもなく田舎にあります。
新幹線で姫路まで行き、そこから何本も電車を乗り継ぎます。最後に乗るのは、「レールバス」と呼ばれる、1時間に1本しかない単線電車です。駅を降りると、田んぼしか見えません。
そんな場所では、女が一人で生きて行く教育が受けられないと思ったからでしょう。
祖母は母を、高校から県外に出しました。
そして母は、准看護師の学校を首席で卒業したそうです。その後、無事看護師になり、花形と呼ばれるICUで働いていました。
それなのに母は、こうして知り合いも居ない、九州の土地に流れ着いたのです。

「なんでもっと早く連絡せんの!」

あの日私は、聞いたこともないような、キンキンとした母の声を聞きました。
その時私は、いつものように弟たちと遊んでいました。しかし突然、母は誰かからの電話を受け、そしてこう叫んだのです。

しかし、そこからの記憶が、私にはないのです。
母が誰かとの電話を切った後、どのようになったのか記憶がありません。

その次の記憶は、翌日の朝のことです。
朝起きても、誰も居ませんでした。
私は、恐らく心細くなったのでしょう。家の扉を開け、隣に住む祖父母の家の音を聞きに行きました。下宿をしている大学生のお兄ちゃん達は、祖父母の家で、朝ごはんと夜ご飯を食べます。だから、必ず誰か居ると思ったのです。
家の扉を開けると、祖父母の家の台所の窓が目の前にあります。
いつも通り、換気扇の音がボォボォと聞こえて、油の匂いがしていました。ジュージューと何かを炒める音、水がパチャパチャと流れる音、ガチャガチャと食器がぶつかる音が聞こえてきました。

「お前、今日泣いたとや?」
祖父母の家の音を聞いた後、私の記憶は、突然この父の言葉に移ります。
いつも難しい顔をしていた父が、この時は優しく笑いながら、私にそう聞いてきました。

「ばぁちゃんが心配しとったぞ。朝泣きながら起きてきたって」
私の記憶は、祖父母の家の音を聞いたところで終わりますが、私はその後、泣きながら祖母の元に行ったそうです。

「お母さんの方のおばあちゃんが、トラックと事故にあったけんね。おっきな絆創膏ば頭に貼っとった」
父は、私にそう説明しました。

あのキンキンした声を母が上げていた時、母は実母が事故に遭った連絡を受けていたのです。
そして母は、弟二人を連れて、関西に戻っていました。
小さな子供3人を連れて、長時間移動するのは大変です。
昼間幼稚園に預けることのできる私を置いて、母は実家に戻ったそうです。幼稚園が終われば、祖父母が私の面倒を見てくれていたのだと思います。
職場で連絡を受けた父は、母から少し遅れて、祖母が担ぎ込まれた病院に行ったそうです。
父が「絆創膏」と言ったのは、幼い私に、祖母が怪我をしていることを伝える為だったのでしょう。そして、「おっきな」という形容詞を使うことで、私は祖母がすごく痛い怪我をしていると認識したのだと思います。

あの日の祖母の状態をちゃんと理解したのは、もっと大人になってからです。
カブを運転していた祖母は、信号無視をした大型トラックに跳ねられました。そして、母が連絡を受けた時には、既に「脳死」の状態だったそうです。恐らく、病院に運ばれた時には、祖母はもう話せなかったのだと思います。
そして、後になってこんな話も聞きました。
祖母が事故に遭った時間。ほぼ同じ時間に、母はバイクでスーパーに買い物に行っていたそうです。買い物が終わり、バイクで家に帰ろうとしても、一向にエンジンがかかりません。仕方なく、母はバイクを手で押して家まで帰ったそうです。

「きっと、おばあちゃん知らせてくれよったとよ」
母は流暢な博多弁で、そう話していました。

そして、私の記憶は、突然次の場面に移ります。

小さな座敷に、黒い服を着た人たちが、どんどん集まってきます。その部屋には、母のおじいちゃんと、おばあちゃんという人の写真がありました。久しぶりに会う、親戚のおじちゃんや、お姉ちゃん達も居ました。私は色んな人に会えるのが、嬉しかったのだと思います。弟達と一緒に、家の中を走り回っていました。

誰も笑わない、シンとした空気の中、私は笑いながら、母の隣に座りました。
私が隣に座っても、母はずっと俯いていました。
じっとして、全然動きません。
本当に動かないのです。
いつものように、母の膝にごろりと身を預けようとして、母の横顔を見ました。

母の、鼻の先から、ポツリポツリと水が落ちていきました。

鼻の先に、ぷくぅっと水が溜まっては、ぽつっとその水が鼻から離れていきます。
そして、落ちていった水が、膝の上に置かれた母の手の甲に当たって、小さく砕けていくのです。

ぽつっ。
ぽつっ。

そうして水が落ちては、母の黒い着物が、どんどん黒くなっていきました。

「お母さん、泣きよると?」

私は、今でもこの時のことをはっきりと覚えています。
とても不思議ですが、この世に産まれ時から泣いていたはずの私なのに、この時初めて「人が泣く」という事を理解しました。

「お母さん、なんで泣きよると?」

母は、何も答えませんでした。
ただ、ひっそりとそこに座り、そしてポツポツと、鼻先から水を落としていました。

その後、私達はまた博多での生活に戻りました。
母はやはり、「下宿屋のおばちゃん」の生活を続けていました。
私は、大学生のお兄ちゃん達から、「笑ったら、おばちゃんにそっくり」と言われたことがあります。
それぐらい、母は下宿生達に、笑顔を見せていたのだと思います。

しかし私は、この後、何度か母が泣いているのを見ました。
母が人前で泣くような事はありませんでした。
ただ、大学生達が夕飯を食べ終わり、機嫌の悪い父が寝静まり、厳しい祖父も寝て、部屋に音が無くなる頃。
母は洗濯物を畳みながら泣いていました。

あの時と同じように、声も出さずに、鼻先からぽつぽつと水が落ちていくのです。
ただ、そこに座り、黙々と洗濯物を畳みながら、鼻先からぽつぽつと水を落とすのです。
知り合いの誰もいない九州へ来て、実の母を突然亡くし、そして厳格な厳しい祖父に毎日怒られながら、母は耐えていたのではないかと思います。
ひっそりと。
誰にも何も言わずに、ひっそりと泣きながら、庭の椿のように寒さに耐えていたのだと思います。
私は、母のことをとても可哀想だと思っていました。

それなのに私は、思春期になるにつれて、そんな母へ酷い言葉をかけるようになってしまいました。

高校生になる頃、私はそれまでどこかに抱え込んでいたものが、マグマのように足元で流れているのを感じました。
怒りなのか、恐怖なのか……。グツグツとしたものが、私の足元で沸騰しているのです。
あの頃の私は、頭のネジが、どこかにぶっ飛んで行って、それを見つけられないままでいました。

悪夢にうなされ、幻聴が聞こえ、体の中から色んなものが出てくるのが見えるのです。
恐怖でした。
混沌としたものが、頭の中をグリングリンと回るのです。
気づけば私は、母に連れられて、心療内科に通っていました。

15歳の私は、自分の体を傷つけていたのです。
母からもらった大事な体を、文字通り、傷つけてしまいました。
私はそれまで聞いたこともなかった、「リストカット」という行為を、知らず知らずの内にしていたのです。

意味の分からない世界が怖くて、怖くて、私は自分にカミソリを向けることで、この世界に戻ろうとしました。あの頃の私には、これしか方法がなかったのです。自分が人間として、生きていると思える方法が、これしかなかったのです……。

今でも、私の左腕には、シマシマの傷跡が残っています。
どれだけ非難されても、仕方がないと思っています。
それでも、やはりあの時の私には、この方法しか分からなかったのです。

博多弁で言うと、ただの「バカタレ」です。
親からもらった大事な体を、私は自分で傷つけていました。

そして、このバカタレ娘は、庭の椿のような母に言ってしまったのです。

「なんで私なんか産んだとよぉ!」

私は、混乱し、訳も分からず泣きじゃくりながら、そう母に言い放っていました。
その時、母がどのような顔をしていたのか、記憶がありません。

どれだけ、親不孝な娘かということは、自分が一番理解をしているつもりです。
あの日、母の鼻先から水が落ちては、手の甲にぶつかり、そして砕けて行った涙のように。私は、母を深く深く傷つけてしまいました。

そして、母は私が知らないところで、あの時のように泣いていたのではないかと思います……。

***

今朝起きたら、庭に雪が積もっていました。
そして、庭の椿にも、雪が少しだけかぶさっていました。

私は、こんな椿を見ると、思うのです。
こんなに親不孝な娘は、消えて無くなってしまった方が良かったんじゃないかと。

私が15歳の時、母にあの言葉をぶつけてしまってから、もう17年経っています。
母が結婚した25歳という年齢も、母が実母を亡くした30歳という年齢も、私はとっくに通り越してしまいました。
それなのに、私は未だに、母にあの時のことを謝れないままでいます。
毎週カウンセリングに行っていた私は、「家庭環境が」とか「下宿屋をしていたからご両親の愛情が」とか、訳の分からないことを言われました。
きっと母は、そんな事を言われて、ひどく落ち込んだのではないかと思います。自分の育て方が……とか、酷く悩んでいたのではないかと思います。それに追い打ちをかけるように、娘が放った言葉を、母はどれほどの痛みと一緒に抱えていたのだろうと、本当に、本当に後悔しています。「後悔」という言葉が適切かどうかも分かりません。

本当は、「ごめんなさい」と言いたいのです。
テレビドラマでよく観ます。
結婚式前夜に、両親に感謝を述べる娘の姿を。

あんな風に言いたいのだけれども、あなたを前にすると、私はその言葉を言えなくなってしまいます。

きっと私が謝っても、母は「怒ってないよ」と言うのだと思います。
でも、今朝、椿に雪がかぶさっているのを見たら、私はいてもたってもいられなくなり、こうして書いています。

***

母へ。

私が、こうやって今生きているのは、あなたがいたからです。
カウンセリングを受けたからではありません。お薬を飲んだからでもありません。

あなたが、そして父が、私の「生」を諦めないでいてくれたからです。
私自身でさえ、自分を諦めてしまいそうになりました。
それでもあなたは、私の母でいることを放棄しませんでした。
そして、ずっと信じてくれていました。
私自身が、「生きる」ということを。

最近あなたはよく笑います。
家には、あなたの友人がよく遊びに来ます。
お喋りが止まらなくて、夜11時頃まで、おば様達のけたたましい笑い声が家に響いています。
たまに、ちょっとうるさいなって文句を言いそうになります。

でも、私はあなたが笑っていてくれるのなら、それでいいと思い、扉をノックするのをやめるのです。
あの日のように、ひっそりと座って鼻先から水を落としていたあなたを見るよりも、笑っているあなたを見ている方が私は幸せだと感じます。
あなたは今、鮮やかな色で冬の灰色を彩っている椿のように咲いているのだと思います。

だから、あなたも私に対して、同じことを思っているのかなと考えます。
親孝行らしいことが、何もできていません。
それでも、きっと、私が笑って過ごしていることが、それが一番の親孝行なのかなと、勝手に解釈しています。

17年前、私は本当にあなたに酷いことを言ってしまいました。
ワガママで親不孝な娘でした。
本当にごめんなさい。
これからも、大した親孝行はできないかもしれません。

それでも、私が毎日を楽しく生きる。
人生を必死で生き抜くこと。
それが、私にできる一番の親孝行だと思っています。
そして、庭に咲く椿のように、私はひっそりと美しく咲いてみせようと思うのです。

もうすぐ、庭の椿も咲きそうです。
そして私は、あなたの生きている内は、必死で美しく咲き続けようと思います。
どうか、どうか、そんな私を見ていてくれませんか。

そして、あなたもどうかそのまま、ひっそりと美しく咲いていてください。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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