プロフェッショナル・ゼミ

職業:二番煎じの俺より《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:吉田裕子(プロフェッショナル・ゼミ)

藤堂文昭(とうどうふみあき)。29歳。「職業は何ですか?」と尋ねられれば、「書籍編集者」なのだろうけど、堂々とそう答えることには少々ためらいもある。

俺が編集してきた本の中で、代表作を挙げてみよう。

『声に出して読みたい日本文学』
『底辺校のヤンキーが1年で偏差値40上げて早稲田に合格した話』
『批判される勇気』
『体がかたいアナタもズバーッと開脚できるようになるたった3つの方法』

どの書名も、どこかで聞いたことがあるのではないだろうか?

それはそうだ。そういう風に感じてもらえるように名付けているからだ。

他社でベストセラーの本が出たら、それに近い内容の本を作り、そこそこの売り上げを確保する――それが、俺の仕事スタイルだ。

そう、二番煎じである。

あるとき、気付いたのだ。既にヒットしているネタや人に乗っかれば、一定以上の売上の見通しが立つことに。そして、売上の見通しが立てば、編集会議を通せることに。

というのは、こういうことである。

大ヒットする本というのはたいてい、斬新な本だ。これまでにないテーマや切り口で、新たなニーズを掘り起こし、新たな市場を切り拓くのである。逆にいうと、そういうヒット本が出ると、その分野にどれぐらいのニーズがあるかが顕在化される。そうすれば、市場規模の見通しをつけられる。

しかも、元の本のブームが続いているうちに出すことができれば、元の本が書店で平積みされているのに便乗して、置いてもらえる可能性が大きい。そこで、価格を安く抑えたり、装丁に凝ったりすると、元の本の売り上げになるはずだった分を奪えることもある。実用書の場合、1冊読んだだけでは期待した情報が得られず、同じテーマの2冊目を買う人もいる。

元の本を超えるベストセラーになることはまずないが、おおむね見通しを立てることはできるし、大きな失敗はしない。

あと、俺が得意なのは、有名人本だ。

お笑い芸人やモデル、社長など、急に知名度が上がった人の本を作るのである。だいたい2~3時間、本人のインタビューをし、あとは、その人が雑誌やテレビで語ってきたことと合わせ、1冊の本にまとめるのである。一発屋の一発が燃え尽きる前に出して、売り切る。別に、ロングセラーになど、ならなくていい。

こういう仕事をするに当たって、重要なのは、スピードである。波に乗り遅れては、意味がない。企画が立ち上がれば、もう、戦場である。

鉄火場のノウハウもたまってきた。

例えば、どういう人に著者になってもらうか。まだ無名の、これから売り出したいと考えている人に声をかけるのがコツだ。本を出せることが嬉しいようで、かなり無茶なスケジュールでお願いしても、頑張ってやってくれるのである。

他に、何より重宝する存在がいる。

どんな分野のことも書ける、器用なライターである。

俺の一番の相棒は、斉木絵美(さいきえみ)さんという30代後半の女性だ。最初は、『声に出して読みたい日本文学』という本を手伝ってもらった。大学院まで進んだ後、中学の国語教員をやっていたという人で、出産を機に退職したのだという。2人の子育てをしながら、家でやれる仕事を探していた、という斉木さんには、お得意の日本文学の本以外にも、たくさんの本でお世話になった。

斉木さんは、「こんな本作りたいんですけど~」と企画を投げると、1週間ぐらいでそのテーマを勉強してくれて、目次案などを出してくれるような人なのである。インタビュー本を任せても、抜群である。本人の話す空気感を残しつつ、読みやすくまとまった本ができ、本当に助かっている。

斉木さんには「仕事の外注先」ということに留まらない、「戦友」のような感覚がある。

編集方針上、どうしても毎回、〆切に追われるギリギリの戦いだ。

残業どころか、編集部に泊まり込むのもざらで、追い込みの時期には、同僚に「今回は何泊?」と笑われる有様である。

一般的な編集者としての作業だけなら、そこまでにならないのだろうが、ギリギリで進めているので、俺自身も、本文を執筆しなくてはいけないことも多い。雑学本などで、著者名が「日本の言葉を研究する会・編」などとなっているときは、寄せ集めたライターで何とか一冊を作り上げるわけであるが、誰かが原稿を落としたり、そもそもライターが捕まらなかったりするときには、俺自身が書くしかないのである。

必死で作業している横を、同僚が「お、今日も徹夜か。頑張れよ」と帰って行く。うちの場合、同じ書籍編集部にいたとしても、それぞれ、自分の本の責任を取るだけである。同僚というよりは、一匹狼の集合体のような職場だった。だから、自分の仕事さえ終わっていれば、他の人がどれだけ残業していても、気にせず帰る。

一人、二人と減っていって、最終的に誰もいなくなった夜中の会社で、爆音のB’zを流して作業をする。それはそれで好きなのだ。余計な電話にもメールにも煩わされなくて済むし、音楽の勢いに乗って、仕事も進む気がするのである。

そんな真夜中、不意にメールが飛び込んでくることがあった。

斉木さんである。

最初は本当に驚いた。何せ、夜中の2時とか3時とかに普通にメールが来るのだから。

彼女には、無茶なスケジュールでお願いしてばかり。だから、こんなにも夜遅くまで作業をさせているのだなぁ、と考えると、いたたまれなかった。午前2時15分にメールが来たある日には、思わず、

「お世話になっております、藤堂です。こんなに遅くまで作業をしていただき、恐れ入ります」

と送ってしまった。それを2時26分に送ったところ、2時29分に返信が来たときには「マジかよ!」とつぶやいてしまったものだ。

「お世話になっております、斉木ですー。
私、子どもが寝てからの夜型作業族なんですよ!
そちらこそ、遅くまでお疲れ様です。
お互い、頑張りましょうね」

そうなのである。彼女は、お子さんを寝かしつけた後、深夜に書き物をすることが多いのである。その分、子どもと同じタイミングで早めに寝て、仮眠をとっているのだと話していたけれど、それでも無理をさせているように思えて、心苦しかった。

ただ、個人的にはとても心強かった。夜中、一人で格闘しているときに、彼女のメールが来ると、どれだけ励まされたことか。彼女はたいてい、「お互い、頑張りましょうね」と添えてくれるのだが、その言葉は、同僚に投げやりに言われる「頑張れよ」の、数百倍の力があった。

励まし合い、ギリギリのデッドラインに向けて、がむしゃらに取り組む。学生時代の文化祭の準備を髣髴とさせる修羅場の感覚が、俺は結構好きだった。

そういえば一度、斉木さんの自宅にお邪魔したことがある。

普段なら宅配便でゲラを送るのだが、その1日のタイムラグが惜しまれるほどにギリギリだった本があったのだ。それで、直接、持って行ったのである。玄関先で渡せれば、こちらはそれで良かったのだが、斉木さんは「せっかくだから」と言って、お茶を出してくれたのだった。

彼女のマンションは、よくある郊外のファミリー向け物件だ。リビングにお邪魔させていただいたのだが、中央のローテーブルには、ノートパソコンが広げてあった。彼女はたいてい、ここで書いているのだという。

同じリビングに本棚があって、その一段には彼女がライターとして関わってきた本がずらりと並んでいた。そのほとんどが、俺と組んで書いてもらったものである。気付けば、13冊。『声に出して読みたい日本文学』の隣に、『人生がかがやく断捨離のヒケツ』が並んでいるのがカオスであるが、これこそが彼女の柔軟性の証だった。

その下の段には、絵本が並んでいた。取り出すときにちょっと苦労しそうなほど、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。その中には、俺自身が子どものときに読んでいた定番絵本もあれば、最近のアニメを絵本化したものもあった。

出してもらった紅茶を飲みながら、
「絵本たくさんありますね。お子さんに読み聞かせとかされるんですか」
と尋ねると、
「もちろん、それはそうなんだけど……むしろ、私が絵本、好きなのよねぇ。昔は、絵本作家になりたいな、と思ってもいたのよ」
との答えが返ってきた。これを聞いた段階で、彼女とは既に3年の付き合いになっていたが、その話は初めて聞いた。

絵本作家志望だった彼女に、『パリジェンヌは3人しか友達を持たない』とか何とか、流行りものの二番煎じ本を書かせているのは忍びなかったが、斉木さんは、その点に決して文句を言わない人であった。

「自宅でできる仕事があって助かっている」
「いろんな分野のことを知れて面白い」
と、笑って言ってくれる人だった。

俺が申し訳ないのは、彼女の本棚にずらりと並ぶ、彼女の携わった本のほぼ全てが、彼女の名前がどこにも出ない本であることだった。よくいう表現では、「ゴーストライター」というやつである。その分野の専門家に「監修」か「著者」として名前を貸してもらい、それで、実質的な中身を斉木さんが書くのである。専門家は最後にちょっとチェックするだけだ。

もし彼女の名前が表に出ていれば、本の実績が、彼女の夢に近付く手助けになるかもしれないが、残念ながら、そういう形にはできていない。売るためには目を引く名前が必要なのだ。

まあ何はともあれ、そんな斉木さん達に支えられながら、年8〜10冊の本をつくるというのが、俺の編集者人生である。企画して、作って、出す。企画して、作って、出す。その繰り返し。同時並行で何冊かを進めていることもあり、あまりの慌ただしさに、自分が何をやっているか、分からなくなりそうなこともある。これまで50冊ほど、作ってきたと思うが、正確には分からない。数える余裕もない時期があって、それで、数えるのを辞めてしまった。書名を言えと求められたら、怪しいものも多いと思う。

こんな状況だから、この春、編集部で年間最優秀本が発表された際にも、それが自分の編集した本であったと気付くのに一瞬遅れてしまったくらいだ。

『30歳を悔いなく迎えるための50のリスト』。

オリンピックにも出場したアスリートでありながら、成績のピークで引退を決断し、実業家に転じてご活躍中の有名人にインタビューして作った本であった。男性ビジネスマン向けに作った本だが、「30歳」というキーワードと、彼の甘いマスクも手伝って、女性にも火がつき、1年で12刷、20万部超えのヒット作になった本だった。

この本のインタビューをまとめてくれたのも、斉木さんであった。

相手はインタビューを受けるのに慣れておらず、あっちに飛び、こっちに飛び、支離滅裂だった話を再構成し、50のリストに仕上げてくれたのも斉木さん。こういう本に生じがちな、「俺はこんなこと言ってない!」という著者クレームが出ることもなく、本人も上機嫌だった一冊だ。

それが見事、年間最優秀本になったわけである。

俺はこういう形で、社内表彰を受けるのは初めてだった。「嬉しい!」と飛び上がるような興奮はなかったけれど、ちょっとホッとするような喜びはあった。「この編集部にい続けて良い」と太鼓判を押されたような感じがして、自信になった。

同僚の女性からは、
「せっかくだし、著者さんやライターさんに連絡したら?」
と言われたが、俺は考え込んでしまった。

著者に連絡する分には何も問題ないのだが、ライターの斉木さんに連絡することはためらわれた。

というのも、斉木さんには、この仕事を買い切りでお願いしていたからだ。売れるたびに印税が入る契約ではなく、所定の原稿料を一度お支払いして終わり、という依頼形態だったのである。だから、この本がどれだけ売れても斉木さんに追加の報酬が発生することはない。

1文字も書いていない名目上の著者には、数パーセントの印税が入るのに、実質この本を全て書き上げてくれた斉木さんに何も入らない。随分、不公平な話だと思っていたが、社内全体の規定でそうなっているのだから、俺レベルで口が出せる話ではなかった。この決まりの悪さがあって、斉木さんに重版や発行部数などを詳しく知らせたことはなかった。

今回、年間最優秀本になったことを知らせるということは、それだけこの本が売れているという事実を知らせることでもある。それがためらわれたのである。

彼女は決して、「それならもう少しお金をいただけても良いんじゃないですか」などと詰め寄ってくる人ではない。

でも、だからこそ、忍びない気持ちになるのだ。そんないい人に、あまり良くない条件で仕事をさせてしまっているということに、いたたまれない気持ちになるのである。

それで、自分は黙っていたのに、斉木さんの方から連絡が来たときには驚いた。うちの出版社の別の編集者と本を作ったときに、この件を聞いたそうである。

「藤堂さん、おめでとうございます! 50のリスト、年間最優秀本になったみたいですね! 微力ながら、お手伝いができたことを光栄に存じます。またよろしくお願い致します!」

こんなさわやかなメールが来た。斉木さんは嫌味ではなく、本心からこの言葉を言ってくれる人だ。それだけに、ますます胸が痛んだ。斉木さんにこの話をした編集者も、同じようなことを言っていた。

「藤堂にはちょっとした報奨金が出るのに、斉木さんがもらえないのおかしいと思うわー、って話したら、斉木さん、何て言ったと思う? 『フリーの私にとっては、仕事の報酬は仕事ですから』って言ったの。格好良くない!? 『今回の評判で、また私に仕事を頼んでいただけたら、それで嬉しいから良いんです』って。いやーもう、本当にすごいね。仕事もできるしねぇ」

これを聞いて、ちょっと目頭が熱くなった。「斉木さんのスケジュールが空いていたら、俺、ことごとく斉木さんに頼むよ! どんな本だってお願いするよ!」と答えてしまった。本当にそう思うのである。

……と書いていて気付きましたが、「どんな本だってお願いする」の部分については撤回したいと思います。どんな本も頼むようなことは、今後いたしません。

さて、斉木さん、前置きが長くなってしまいましたが、ここからが、今回の手紙の本題です。

編集部で、年間最優秀本に選ばれたことは、前述の通りです。実は、この賞の副賞として、【受賞者は、好きな本を1冊作っても良い】いう権利があるらしいのです。

単刀直入に言います。

私はこの権利で、斉木さんの絵本を出版したいと思っています。一緒に作っていただけませんか?

私は今日まで、編集会議に通すことを最優先事項にしていました。そのために、確実に売れる二番煎じの企画ばかり考えてきました。周囲に「プライドはないのか」と言われたこともありましたが、本作りも商売です。売れてこそ、説得力があるのです。私は、これまでの仕事のスタンスが悪いことだとは思っていません。

ただ、今回のこの権利を得て、私はチャレンジしてみたくなったのです。作りたい本を作ることに。

私も、新卒で今の会社に入ってすぐの頃は、作りたい本を作ることを目指していました。しかし、編集会議で企画を通すことができませんでした。それで、二番煎じ路線にいたったのです。そうして作ってきた二番煎じ本で、今回、こういうチャンスが回ってきたのですから面白いものです。斉木さんのおっしゃる通り、「仕事の報酬は仕事」なのですね。

受賞者特典で作る本は、どんな企画でも、編集会議では落とされません。ですので、斉木さんさえYESと言ってくだされば、企画は動き出します。ぜひ、お力添えをいただけませんか。

なお、売れ筋の企画でなくても会議は通るのですが、私は斉木さんの絵本を作れた暁には、本気で売ろうと思っています。絵本は畑違いですが、これまでの仕事のなかで培ってきたノウハウで生かせるものはあると思っています。

私は、斉木さんに売れて欲しいんです。

これまでさんざんお世話になったからこそ、斉木さんがどんな仕事だって受けるライターさんから、「作家 斉木絵美」に化ける瞬間を演出してみたいのです。

すごい絵本を描いてくれませんか。

私に「斉木さん、売れちゃったから、もう俺の本のライターやる暇なくなっちゃったじゃん!」と悔しがらせてくれませんか。

良いお返事を待っています。

さざなみ出版社 編集部 藤堂文昭

斉木絵美様

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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