ふるさとグランプリ

なにかがおかしい喫茶店は、おばあちゃんの家だった《ふるさとグランプリ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中 洋輔(ライティング・ゼミ)

まさか、こんなところで、あの懐かしい感じを味わえるとは思ってもいなかった。

西日本の住みやすさランキング1位。
生徒があふれ、新しい小学校ができた。
あと10年は、市の人口が増えると言われている。

それが、滋賀県草津市だ。

元々は、田舎のまち。
今でも市街地を少し離れると田園風景が広がる。

大学が建設され、大学生も増えた。
大型ショッピングセンターができ、どんどん便利になっている。

京都まで20分。大阪までも50分。

十分な通勤圏内。

結婚し、新居をかまえるときに、草津市を選んだ人も多い。
仕事の関係で草津に来る人もいる。

僕もそのうちの1人だ。
大阪出身で、滋賀県には縁もゆかりもなかった。

大阪にくらべたら田舎だし、不便。

お店のレビューサイトは、ほとんどの店がコメントすら書かれておらず、美味しいのかどうかも不明。

19時を過ぎると人通りは一気に減る。
店も、どんどん閉まっていく。

夜中になっても回転寿司のお店が空いている大阪が恋しくなった。

どこかずっと草津は、アウェイな感じがしていた。
あの場所を見つけるまでは。

はじめて訪れる土地。
友達もいなければ、知っている人もいない。

どこかそわそわする。落ち着かない。
大阪のまちが、大阪の活気が恋しくなる。

草津へ来て、心細さを感じる、そんなときだった。
ほんとにたまたま。偶然。

仕事の打ち合わせをしようと駅前へ。
スタバは駅から離れているし、近くに良い場所もない。

どこにしようかと、目をキョロキョロさせていると、ある喫茶店を見つけた。

その道は、何度も通っている。
しかし、その店は目に入っていなかった。
存在を気にしたことがなかったのだ。

オシャレなお店が並ぶ中、その一角に喫茶店はあった。

冬だと言うのに、お店のドアは開いていた。
ん? なんで開いているんだ? 

気になってドアの前に行くと、答えがわかった。

もう1つドアがあるのだ。
ドアの前に、さらにもう1つドアがある。

どちらも普通のドアではなく、音楽室にあるような、ガシッと下に押してあけるやつ。

防音扉だった。

どうして、喫茶店に防音扉?

疑問に思いつつも、ここまで来たら入るしかない。
勇気を振り絞り、文字通りに重い扉を開ける。

開けた瞬間、何人もの人がこちらを見てくる。

手前では、おじさんがスポーツ新聞を持ちながら寝息を立てている。
奥のほうでは、年配の女性が数人いて、話し込んでいた。

変なヤツが来たぞー! 
まるでそう言いたそうな視線を感じた。

しまった。ああ、ここは僕たちが来てはいけない場所だったんだ。
この人たちの居場所で、部外者の僕たちはここに来てはいけない存在なんだ。

店を出ようかと思ったとき、奥から気さくな女性がやってきた。
70歳くらいに見える店主のお母さんは、「どうぞ〜」と席をすすめてくれる。

この状況で「いや、出ます」とは言いづらい。

席に座り、メニューを手に取る。

あれ?
はじめは、小さな違和感だった。
気にすることなく、コーヒーを注文した。
上着を脱ぎ、資料を取り出し、打ち合わせをはじめる。

奥のキッチンでは油がパチパチ跳ねる音が聞こえてくる。

ん? 喫茶店で揚げ物? 

気になりながらも打ち合わせをすすめる。

少したった頃にコーヒーが運ばれてきた。
資料を端に寄せて、置くスペースを確保する。
店主のお母さんは、コーヒー以外にも、皿を持っていた。

「これはサービスやで〜」と、くれたのは、揚げたパンの耳。

あっ! さっき揚げていたのはこれだったのか。

「ありがとうございます」と、言いながら、打ち合わせにもどる。

難しい案件で、頭はフル回転。
「どうしましょうか?」と言いながら、考える。

ふっと時計を見ると、ここへ来てから3時間近くが経過していた。

おっ!
「こんなに経っていたんですね〜」と、相手と話す。

今まで、小さくて気にしていなかった違和感。
でも、このときには、明確な違和感に変わっていた。

なにかが変だ。

確かに集中はしていた。
でも、時間の過ぎ方がおかしい。

もしかして、この場所だけ時間の経過がおかしい?
まさか、ここは……

『君の名は。』『時をかける少女』を思い浮かべ、タイムスリップという言葉が頭をかけめぐる。

バカげた考えに、思わず自分で笑ってしまう。
ふっ。そんなことあるわけない。

しばらく考えて、違和感の正体に気がつく。

静かなのだ。
圧倒的に静かなのだ。

まるで海の底みたいに。

奥の席からおしゃべりの声は聞こえる。
キッチンからオーブントースターのジジッという音も聞こえる。

しかし、それ以外の音が一切聞こえない。

そうか! 防音扉だ。

ここは防音空間。外界の音が一切聞こえない。

店内では音楽もかかっていないから、ものすごく静か。

新しくお客さんが入ってくることもない。
だから、なにも気にせずに没頭できるのだ。
他の店だと当然あるハズのものが全くない。
店員さんの声やお客さんの話し声、BGMなど。

ノイズがないから、没頭できる。集中できる。
時計もないから、時間の経過すらわからない。

謎はすべて解けた! なんて、心の中で言っていると、また店主のお母さんがやってきた。

「どうぞ〜」

今度は、なんだ? 
そう思って見てみると、小皿にお菓子が山盛り入っていた。

どうやら、これもサービスらしい。

パンの耳をかじる。
お菓子をポリポリと食べる。

なんなんだ、この安心感。

落ち着く。すごく落ち着く。
ほっとできる。

邪魔は、一切入らない。
ほかのお客さんに気をつかうこともない。

ああ、なんだろう。この懐かしい感じ。

そうか。ここは、喫茶店だけど、喫茶店じゃないんだ。

まるで、おばあちゃんの家だ。

シャレたスイーツではなく、パンの耳。
洋菓子ではなく、あられやおかき。

ここに、こたつとミカンがあれば完成だ。

誰に邪魔されることなく、ゆっくりできる。
静かでほっとできる。
帰って来たなぁと思える、ホームの感覚。

知らない土地で、草津はアウェイだと思っていた。
でも、こんなところがあった。
ホームを感じさせる、おばあちゃんの家のような場所。

マンションが建ち並び、新しい店がどんどんオープンする中で、その店はひっそりと立っている。
ほとんどの人に知られることなく。

疲れたとき。心細くなったとき。
僕には帰る場所ができた。
滋賀県にもおばあちゃんの家ができたのだ。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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