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プロフェッショナル・ゼミ

先見の明があったと、言うつもりはありません《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事: 村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

「身分証明お持ちですか」

郵便局とか役所の窓口でこう聞かれるのが苦手だ。50代である私の年代でこう問われると大方の人たちは、ためらいなく運転免許証を見せる。

私は「えっと、待って下さいね」ともぞもぞカバンを探り、病院の診察券入れを探し出し、健康保険証を取り出し、
「これしかないんですが、いいですか。写真がついてるものだと、パスポートになりますけど、今は持ってなくて……」
と申し訳ない気持ちで、窓口の人の顔色をうかがう。

大概、健康保険証で事足りるのだが、最近は金融機関などで、「お顔の確認できるものは」と言われることも少なくなくなってきた。

そう。私は運転免許を持っていないのだ。

私の世代ではこれは結構珍しいと思う。18歳になったとき、より多くは大学に入学したとき、多くの友人は当たり前のように運転教習所というところに通い出した。
課程がどこまで進んだとかいうことが話題になることも少なくなく、そんなとき、私は話の輪に入れず、ちょっと居心地の悪い思いをした。

私が免許を取らなかった理由は、振り返ると複合的なものだった。

まず、父親が持っていなかった。田舎の専業主婦だった母も当然のように持っておらず、私の実家では誰も車を運転しなかった。父が免許をとらなかったのは、若い頃仕事で同乗していた車が事故を起こしたときの体験から車は怖いと思い込んだためだ、と聞いた。
それに私は視力が悪かった。強度の近視に加えて乱視もあった。若い頃に、裸眼で0.1が見えないくらい視力が悪化する。当時の技術では薄いレンズのメガネというのは作れなかったので、いわゆる牛乳ビンの底のような厚いレンズのメガネをかけていた。高校生になってからは、コンタクトレンズを入れる。しかし、近視、乱視ともに強かったため、ソフトレンズでは矯正できずにハードレンズしか選択肢がない。ハードレンズはゴミが目に入ったときに、すごく痛いのだ。運転中にこれが起きたら、安全に運転し続けることはできない、と思った。
加えて、私は子どもの頃から人並み外れて運動神経が鈍かった。手と足を同期させて動かす自動車の運転という技術が身につけられるとは思えなかった。大学の同級生が教習所でやらされるのだ、と話す、縦列駐車だの、坂道発進だの、バックだの、は神技としか思えなかった。
大学に入って、周りがどんどん免許をとり、バイトで中古車を買って通学や遊びに使いだすのを見て、羨ましくなかったとは言わない。金持ちのドラ息子が外車を買ってもらったのを知ったときには、そいつがボンボン臭プンプンだったこともあり、嫉妬した。某ドイツメーカーのそこそこセンスのよい車は同級生の間で話題になり、その男は免許をとりたての女子学生に「運転してみる?」と声をかけて、誘うのを常套手段としていた。
「その子、お前じゃなくて、お前の車に興味があるんだからな」と心の中でつぶやく私は、その方法が採れない自分を思い「ちぇーっ」と重ねて嫉妬していた。オトコの嫉妬というのは、結構、めんどくさくて厄介なものだ、と身をもって知った。

免許を取らずに大学を卒業した同級生は、本当に少なかったように思う。

地方の大学を出て、就職で上京した私は、東京のワカモノ文化に触れて、怖気づいた。

時あたかもバブルが膨らみだす東京。東京の大学を出た同期の男性新入社員の話題は、
「クルマ、クルマ、女、女、女、テニス、サーフィン」
だったから。飲み会では、この話題しか出ず、飲み会の後はディスコ-今のクラブである-に繰り出すので、田舎のネズミそのものだった私は、たちまち飲み会に出なくなり、誘いもなくなった。

この環境で、車はおろか免許も持たない私が女性とつきあうのは、なかなか厳しいものがある。

地方のワカモノが上京したらやってみたいことの一つに、ユーミンが荒井由美時代に発表した「中央フリーウェイ」の歌詞どおり、中央道を山に向かって走ること、があった。
私は、これを男の友人の車に乗せてもらって初体験した。山梨への旅行の行きの道だった。なるほど、歌詞をなぞる体験はできたが、やっぱり女性と走りたいな、と若かった私には未練が残った。

クルマを持っている女ともだちに、率直にお願いした。ちょっと仲のよい友だちだったので、こんな可愛い望みくらいかなえてくれるだろう、と思ったのだが、彼女は私の物言いに、それにとどまらない含意を感じたらしく、
「なんで女のワタシが、ハンドル握るのよ」
と冷淡なご回答を下さった。
「いや、ほら、僕、免許も車もないから」
「ワケ、わかんなーい」

彼女からの連絡は途絶えた。考え過ぎですよ、お嬢さん、と思ったけれども、ここでも「免許のないムライ」は、男として備えて当然の資格を持たない者とみなされた節がある。

別のクルマ好きの女性の友だちは、
「ハンドル握ってると、自由とか、力を手にした感じがするんですよね」
と語った。
「長距離を自分の思う通りに、行けるし」

なるほど、その感覚はわかるな。彼女の助手席には何度も乗せてもらった。ちょっとした買い物なんかでもお世話になった。彼女は自立した女性だったので、件の中央フリーウェイの願いを叶えてくれそうでもあったが、前回の心の傷も残っていたので、それは口に出さなかった。

私の若い頃、免許がない、ということは、このくらいバブル時代の若者文化の享受を妨げる課題であった。

とはいえ、所詮、多くは遊びのためのクルマ文化である。同世代が結婚していくにつれて、「免許がないオトコ」として寂しく、ツラく、切ない思いをする頻度は減っていった。

しかし、車社会。基本的な車の動かし方を知らないばかりに極めて現実的なリスクを負うこともある。

「バスの運転手が運転中に意識を失い」といったニュースを聞くことがある。「これに気づいた乗客がハンドルを操作し、バスを停車させたため、けが人はありませんでした」と続くことが少なくなく、「無事でよかったね」と思うのだが、運転手の後ろの席が私だったら、これはムリだ。この手のニュースを聞くたび自分であれば
「あ、運転手さんがおかしいです。どなたか、ハンドル握って下さーい」とお願いをせざるを得ないのだろうな、と思っていた。

ある日、帰宅した自宅に某大手オンライン書店からの発注品が届いた。当時の私は、本の購入の9割をオンラインで行っていた。また、本に限ってはカネに糸目をつけないという特殊な時期だったので、一日おきくらいに本が届く。

その日も、運送会社のドライバーが「オンライン本屋さんからです」と渡してくれた段ボールを受け取った。「ありがとうございます」と受領書にハンコを押し、早速「どれどれ」と箱を開ける。とにかく多くの本を買い続けていたので、それがどの発注に対応する配達なのかはわからない。箱はごく小さなもので、文庫本だろうか、発注したかな、と自問しながら、バリバリ、と蓋を破って開ける。

出てきたのは、目にも鮮やかなアダルトビデオのDVDだった。エグイ体位の男女が目に飛び込む。

!!!

思考が混乱した。こういうものに興味がないとは言わない。しかし、オンライン書店からアダルトコンテンツを買ってしまうと記録が残るのでアレだな、くらいの知恵はあった。オンラインでこれを買う過ちを犯してしまったのだろうか。しかし、このコンテンツ、自分の趣向とは合わないし……。

ふと、破ってしまった宛名ラベルを見る。

誤配だ。私宛ての荷物では、ない。

慌てた私は-よく考えるとあそこまで慌てる必要もなかったのだが、コトがアダルトビデオである-箱にDVDを放りこみ、おそらくあのドライバーを載せて1階に下りて行くエレベータの表示盤を見ながら、階段を駆け降りた。

お馴染みの運送会社の小型のバンがマンションの前に見えた。ドアが閉まり、エンジンがかかるのが聞こえる。

私は歩道から車の窓に駆け寄り、ドライバーに向かって、腕で「バツ」を作って、激しくアピールした。

「違う、違うんだよ!」

私の異様な姿に気づいた若い男のドライバーは、私の慌てぶりに感染したか、シートベルトを外すと、エンジンをかけたまま車道側のドアを開け、車外に飛び出した。

彼が私の視界から消えた。

どこへ行った?

私のマンションの前は緩やかな坂道である。目の前の停留所にも○○坂という坂に因んだ名前が付けられている。

きょとんとしている私の目の前で、無人のバンがゆっくり後退を始めた。

!!!

うろたえて車体の後ろに回ると、ドライバーが必死で車を押しとどめている。おそらく彼は、私の狂欄を見て「誤配だ」と気づき、荷物を確認しようとしたのだろう。しかし、ハンドブレーキを引かずに飛び出した車は、彼が後ろのハッチを開ける前に、坂に沿って後退を始めたのだ。

私も後退を止めるために加勢した。2人の男がバンの後ろを押して、車の後退を防ぐ。

彼は私に向かって
「ハンドブレーキ! ハンドブレーキ引いて来て!」
と叫んだ。

「免許! 免許持ってないから。ダメ! わかりません!」と私。

「ひとりで……ひとりで車押さえられる?」

私は運動神経にも体力にもまったく自信がないものの、他に手はない。

「何とかするから、1秒でも早く、ブレーキで止めてきて!!!」

心の叫びだった。

彼の手が車体から離れた。耐えられない重さではないが、少しずつ、車の重さに負けて腰が引けていく。

夜の歩道に人影はない。耐えられなかったら「助けて下さーい!」と叫ぶしかないが、周辺にはマンションしかない。そう簡単に人が気づいて助けに来てくれるか、甚だ疑問だ。自分はこの車の下敷きになるのだろうか、引かれちゃうんだろうか。苦しいのかな。ダメージ少ない倒れ方ってあるのかな。

頭が高速で回転し始めたとき、車の重みが消えた。ブレーキが利いた。

「ごめんねー。助かったわー。ほんとに助かったわー」

慌てた私に多分の問題があったにも関わらず、再び車の後ろに戻った若いドライバーはいい人だった。

「これ、包装、破っちゃったんですけど」
「いいよ。僕、お客さんに謝る」

ああ、モノがモノだけに、お客さん、どう反応するかなぁ。若いドライバーの幸運を心から祈って、お馴染の運送会社の車を見送った。

車社会で免許を持たないことのリスクが顕現した瞬間だった。

近頃の若い人たちは、昔ほど免許をとらない、と聞いた。クルマも欲しがらない、と。

警察庁交通局運転免許課というところがまとめている「運転免許統計」という資料がある*1。

平成27年度版を見ると同年度末の運転免許保有者数は約8215万人。

保有者数が一番多い年齢層は40代である。

データは5歳刻みで整理されているが、40代の免許保有者数を合計すると1750万人ほど。割合で言うと全体の21.3パーセントにあたる。私が属するバブル世代を含む50代は1420万人程度。割合は17.3パーセント。
これに対して20代は1050万人強で12.9パーセント。30代だと1475万人で18パーセント。
もちろん20代はまだ若く、今後免許をとる機会も時間も残されていることを考えると、これだけを見て若者は免許をとらない、と断言することはできない。少子化の影響だって考慮しなければならないだろう。絶対数が少ないのだ。また、例えば1980年代の数字と比較しないと、傾向を語ることもできないのだけれども、肌感覚として、大学に入った途端誰もかれもが教習所に通っていた私が10代後半から20代だった時代の勢いは感じられない。

教習所の数も漸減している。平成19年には1424校あった指定教習所が、同27年には1339校に減っている。指定教習所の卒業者数にしても普通免許で見ると平成18年に132万人ほどいたのが、同27年には115万人程度に減っている。

少なくとも免許をとる人の絶対数は減る傾向にあることが見てとれる。

これに高齢者の免許返納の動きが加わる。申請による運転免許の取消件数は、平成18年には2万3千件であったものが、同27年には28万5千件まで増えている。

全体として、免許を持つ人の数は減る傾向にあるといって大きな間違いはなさそうだ。

これに拍車を掛けうるのが、この数年俄然現実味を帯びてきた自動運転だろう。人が運転するより、安全なのではないかと言われている。

学生の頃、民法の不法行為の教科書*2に自動車を運転する行為は「それ自体危険な行為である」と説かれているのを読んで違和感を抱いたことがあった。この教科書を書いた先生ご自身は運転がお好きで60代になってもご自身で車を運転なさっていたし。

しかし、あれだけの重さのある金属の塊を時速数十キロで移動させるという行為を虚心坦懐に眺めて見ると、確かに、ものすごく危ない行為なのだ。自動車は今の社会の不可欠なインフラで私たちの社会生活に深く組み込まれていて、また、ルールも作られているから、そのリスクが押さえこまれているけれども、確かに冷徹な目で見るならば「それ自体危険な行為」なのだ。

自動運転の安全性が認められ、その技術が安価にクルマに取り込まれるのも、そう先のことではないだろう。

「趣味、ドライブです」という今なら普通の物言いが「え?」という驚きとともに迎えられる日もそんなに遠くないかもしれない。

「人がクルマを運転していた時代があったんですよ。当時の人はほんとにすごい技術を当たり前に持っていたんですね」なんて会話が交わされる日も来ないとは限らない。そのとき、クルマの持っていたロマンチックな要素はどう変容するのだろう。異性を誘う道具としてのクルマの意味も変わるのか、変わらないのか。「中央フリーウェイ」という楽曲の持つ高揚感は、その時代の若い人たちに伝わるのか。そんな変化に思いを馳せると、若かった頃の嫉妬や切ない思いも消えるのかしら。

免許をとらなかった私が、時代を先取りしていた、というつもりは毛頭ないけれど。

引用資料
*1 警察庁交通局運転免許課「運転免許統計 平成27年度版」(http://www.npa.go.jp/toukei/menkyo/index.htm)
*2 平井宜雄 「債権各論Ⅱ 不法行為」(弘文堂)

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