メディアグランプリ

狂言は、見るものではない。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:須田 久仁彦(ライティング・ゼミ)

「これ、面白そう! 絶対に行ってみたい!」先日、私のかつての職場、流山市立博物館で企画されたイベントの事を話すと妻はすぐにそう言った。私の妻は、茶道や和服の着付けを学ぶなど、日本の伝統文化にとても関心を持っている。この話をすれば、必ず興味を示すだろうと思っていた。案の定、すぐに興味を惹いたのだ。「どうせなら二人で行かない?」妻の誘いもあり、私はイベントに夫婦二人で申し込む事にした。

このイベントは日本の伝統芸能の一つである狂言のイベントだった。私自身、歴史にはとても興味がある。歴史に関連した小説や本を今までもたくさん読んできたし、大学でも歴史を学んだ。しかし狂言に限らず、能や歌舞伎などの伝統芸能を直接生で見る機会はほとんどなかった。興味が全くないという訳ではなかったが、足が向くことはなかったのだ。行ってもどんな見方をするのか分かりそうもなかったし、見る方にも知識や教養などが求められそうな敷居の高さもあったからだ。

「狂言LABO」と題されたこのイベントは、そんな敷居の高さを低くしてくれそうなものだった。もちろん狂言も上演されるが、解説やワークショップを通じて狂言の面白さを伝えるという内容だったのだ。

狂言は、現在のコントのルーツとも言える伝統芸能だ。その点、他の伝統芸能とは違い、楽しみながら見ることが出来そうだった。伝統芸能への入口としては、分かりやすそうに思った。

その内容に興味があったのはもちろんだが、私には他にも参加したいと思う理由があった。それは先日、伝統芸能に対する思いが少し変わるような出来事があったからだ。

それは、先日行われた天狼院書店の旅部に添乗員として参加した時だった。京都で行われた旅部では、本物の舞妓さんが京都天狼院に招かれており、踊りを生で見るというスペシャルな企画があったのだ。間近でみる舞妓さんの踊りを見て、伝統芸能を見るという事は旅をする時にも必要な、あるモノがあれば良いのではないかと思ったのだ。

今回の狂言も同じモノがあれば良いのではないか? 確かめたい気持ちもあり当日を心待ちにした。

迎えた当日、妻と二人で会場へ向かった。すでに大勢の方が詰めかけていた会場は、伝統芸能を見るのにふさわしい場所だった。江戸時代に建てられた、来客をもてなすための建物だったのだ。障子戸が明け放たれ、枯山水の見事な庭が見える中、私はどのようなイベントになるか、期待が膨らんだ。

イベントは、講師である狂言師の方から狂言についての説明から始まった。歴史や特徴などが、画像やクイズを織り交ぜながら解説され、とても分かりやすい内容だった。しかし、ここで狂言の楽しみ方についての解説の時に、私は心の中でニンマリした。やはり私が思った通りだったのだ。

解説の後は、ワークショップが始まった。実際の狂言の動きを参加者で体験するのだ。二人一組になり、狂言でのお酒の注ぎ方と受け方を体験した。妻と二人で慣れない動きに苦労しながらやってみると、これが楽しいものだった。ここでも、私は密かに思いが当たったことに内心、ほくそ笑んでいた。

そして、実際に狂言が上演されるのを見る時になった。狂言の台詞は650年前からほとんど変わっていないそうで、正直、話している内容を全て理解することは出来なかった。それでも始まってからしばらくすると、会場中が自然と笑いに包まれるようになった。そしてその笑いは上演中、ひとしきり続いた。狂言師の方の動きはさすが伝統芸能と思わせる美しい動きではあった。しかし、その動きは全て笑いを誘うために計算された動きだったのだ。狂言の面白さとは、演劇のように台詞も含めて「見る」ものではなく、動きで面白さを「感じる」ものだったのだ。

狂言の楽しみ方の解説の時だ。その中にあったのが「分からない言葉は無視すること」、「好きなように想像すること」だったのだ。これを聞いた時に、狂言とは台詞を理解しながら楽しむものではなく、動きの面白さを感じることで楽しむものだと確信したのだ。

次のワークショップでも狂言の動きを体験することで、ぎこちない中でも動きの面白さを感じることが出来た。ワークショップが行われている間も、会場ではあちこちから笑いが起こっていた。

先日、京都天狼院で見た舞妓さんの踊りを見た時に感じたのは、ただただ美しいということだった。踊りの一つ一つの動きには、それぞれ意味があったのだと思う。しかし、そういった意味を理解しなくても、美しさを強く感じさせられたのだ。そこで、伝統芸能を見るということは、理解するのではなく、その素晴らしさを感じる心があれば良いのではないかと思ったのだ。

実際に狂言を見ると、思った通りだった。台詞は理解出来なくても、感じる心さえあれば十分に楽しめるものだった。狂言に限らず伝統芸能はだからこそ、時を超え現在に伝わっていたのだ。決して敷居が高いものではなかったのだ。

そしてこの感じる心は、私が日々関わる旅行でも最も大切なものだ。訪れる観光地について事前に知識があれば、確かにより楽しめる。しかし、知識がなくても訪れる場所の風景や雰囲気などを五感で感じる事で強く思い出として残すことが出来る。それを感じる事で興味を持って、後から知識を得ても良いのだ。

伝統芸能を見ることに感じる心があれば良いのなら、旅と組み合わせるのも面白い。伝統芸能、旅と二つから感じる事が出来るなら必ず一生に一度の思い出として強く残るからだ。伝統芸能の素晴らしさを旅にどうやって組み込もうと考えると、上演前のワクワク感が甦ってくる。それも旅行前に感じるワクワク感と同じだ。やはり、旅と合うのだろう。

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2017-03-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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