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プロフェッショナル・ゼミ

あんなに親切で素敵な彼女たちを好きになれない私は、きっと、人で無しなんだと思った日々《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ)

「あの子は、正しいことしか言わないから、ちょっと苦手なんだ」
小学2年生の息子が、同じクラスのしっかり者の女の子のことをそう言った時、私の心は、なぜかチクリとした。

完全に、その女の子の姿は、私の小学生の頃と重なった。

ああ、私も、こんな風に、クラスの男の子に、苦手だって思われていたのかもしれない……。

小学生の頃の私は、自分は正しいと思っていた。
間違っていると思ったことは
「間違っている」
と、言ったし、正しいと教えられたことを守っていた。
正義感と善意を持って、人を注意していたものだから、誰にも文句を言われることはなかった。
ただ
「あんたのこと、嫌い」
と、言ってくる同級生が、たまにいただけだった。
だけど、私には、嫌われる意味がわからなかった。わからないから、その子は、「間違って」私のことを嫌いになっているんだと思っていた。
正しいことができないから、私を嫌うしかないんだと思っていた。

中学生になり、そして、高校生になった。
高校に入ると、成績が同じような生徒ばかりになった。だから、私は、なんの特徴もないひとりの生徒になった。
正しいと思うことをやろうとしてもできないことが、少しずつ増えた。
そうして、ようやく、わかったんだ。
小学生の自分の暴君ぶりを、客観的に振り返って、吐きそうになった。

「ごめん」と言うには、遅すぎたし、具体的な理由もなかった。
誰に言えばいいのかも、わからなかった。

遅くなったけれど、「正しさ」や「正義」は、時に暴力になるんだということに、気がつけてよかった。

自分の「正しさ」を人に押し付けることは辞めようと思ったけれど、それでも、やっぱり、「正しさ」と「正義」が、私の心の中心にあることには変わりはなかった。

だから、相変わらず、「正しいと思うことをやろうとしている私」を、好きにならないまでも、多くの人は、嫌うことはないだろうと信じていた。
そして、私は、「正しいことをやっている他人」のことも、嫌いにならないと思っていた。
思っていたのに……。

彼女たちと知り合ったのは、息子が0歳の時だった。
生後4か月で、初めて児童館に行って、そこで、月齢が近いママたちと顔見知りになった。
最初、私は、2月生まれの男の子のママの、美奈さんと仲良くなった。
美奈さんは、学校の先生をやっていて、妊娠と同時に辞めたようだった。
とてもハキハキしたしっかりものだった。彼女との会話は、知的でとても楽しかった。
そして、彼女の判断は、いつも正しく見えた。
だんだんと、私は、彼女の正しさに引っ張られ始めた。
私の考えと、彼女の考えが違った時、簡単に彼女の考えの方を信じた。迷った時、彼女ならどうするだろうか? と考えるようになった。

美奈さんは、私と息子を家に招いてくれた。
とてもきれいな家だった。居心地もよかった。
美奈さんと一緒に居れば、間違いないと感じた。自分の考えが薄まっていく感覚よりも、素敵なママ友が居るという安心感の方が勝っていた。

だけど、そこに、3月生まれの女の子のママの、順子さんが加わって、状況が変わった。

順子さんは、美奈さんと、とても気が合うようだった。
美奈さんの、私とだけ会う時間が減って、3人以上で会う時間と、順子さんとだけ会う時間が増えたように感じた。
ふたりが、私と違った意見で意気投合すると、とても不安になった。
美奈さんの意見は、正しく思えたけれど、順子さんも同じ意見だと思うと、心がざわついた。
だけど、順子さんも、すごく親切で素敵な人だった。
だから、私が順子さんを、嫌いになってはいけなかった。

順子さんの家にお邪魔したこともある。
だけど、私は、美奈さんを、我が家に招いたことはあるけれど、順子さんは招かなかった。その区別は、私の「正しさ」と違った。だけど、どうしても、順子さんを我が家に招くことはできなかった。

美奈さんや順子さん、そしてその仲間たちの家にお邪魔した時、暗黙のルールがあることに気がついた。
・お互いの家を頻繁に行き来すること。
・アパートの2階なのに、子どもがドタバタしても気にしないこと。
・一度に、何組もの親子を家に呼ぶこと。
・冷蔵庫を「開けまーす」と言いながら、勝手に開けること。
・その家のママがお昼ご飯を、パパッと作って、みんなで食べること。
・自分の子どもと他の親子を残して、その家のママが買い物に行くこと。

多分、それが、正しいのだろうを思ったけれど、従うことがつらかった。とても疲れた。
ママ友の付き合い方の中には、急激に、お互いの生活の中に入り込み合うという付き合い方があるんだと知った。
そして、私自身は、親しくなるまでに時間がかかるタイプなんだと気がついた。
きっと、急激に仲良くなる方が、普通に感じて、それに馴染めない自分が嫌だった。

そんな中、子どもの成長の速度の問題も発生した。
美奈さんの2月生まれの男の子も、順子さんの3月生まれの女の子も、歩き出すのが早かった。いや、たぶん普通だったんだと思う。
だけど、12月生まれの息子は、歩き始めるのが遅くて、まだハイハイしかできなかったから、頻繁に公園で遊ぶ関係についていけなくなった。

嫉妬もあったと思う。焦りもあったんだと思う。そして、だんだんと会わなくなっていった。

会わなくなって、ホッとした自分に気がついた。
無理をしていたんだなと思った。

だけど、ふたりとも、いい人たちだったから、私が、用事があると断っても、だいぶ長いこと、声をかけ続けてくれた。
それが、ありがたくも、つらかった。
ああ、こんなにいい人たちなのに、なぜ、私は、合わせることができないのだろうと落ち込んだ。

ようやく、察してくれたのか、声がかからなくなってホッとしていたのに、幼稚園でまた、順子さんと一緒になってしまった。美奈さんは別の幼稚園に行ったようだったけれど……。

変わらず、笑顔で近づいてきてくれた順子さんと話をしていると、
「知り合いなの?」
と、他のママに聞かれた。
「うん。そう。赤ちゃんの時に児童館でよく会っていたんだ」
「そうなんだ」
それ以上は聞かれなくても、その時のことが思い出された。
ああ、私はどうして、仲良くできなかったんだろう……あんなにいい人たちだったのに……。

ママ友という関係が、私に合わないのかと思ったら、そういうわけでもなかった。

幼稚園で知り合った、あるママとは、今も、時々会っているし、小学校で知り合ったママとも、仲良くできている。

赤ちゃんという成長が著しい時期に、息子の発達がゆっくりだったから、周りと比べてしまって、ダメだったのだろうか?
でも、決して、彼女たちが、息子の発達がゆっくりなことを笑ったわけでもなければ、意地悪をしたわけでもない。

ここまで、思い出して、私は、「あんなに親切で素敵な彼女たちを好きになれない理由」の答えが、ようやくわかった。
それは、多分、実に、単純だが、「私が人間だから」だ。

人間は、正しいからといって、その人を好きになるわけではないし、間違っているからといって、嫌いになるわけじゃない。

ああ、そうだ。
私は、彼女たちを素敵だとは思っていたけれど、考え方が違ったんだ。
それぞれの「正しさ」が違っていたから、一緒に居ることがつらかったんだ。

心の中の「苦手」という感覚をゆるしたら、今までの人生の中で、理由が思い当たらないまま、私のことを避けていた人たちのことを少し理解できたような気がした。
大きな理由なんてなかったのかもしれない。
なんとなく、気に入らなかったのだろう。

なんとなく、気に入らない人の中には、今回のように、価値観が違う人以外にも、同族嫌悪というべきか、自分とキャラが被っている人がいたりする。
このタイミングで、これを言ったらいいと思って言おうとしたことを、その人に先に言われてしまって、不愉快に思うこともあれば、その人が何かを言ってみんながゲラゲラと笑うと、計算して言ったんじゃないかと、勘繰ってしまったりすることもある。

人間だもの、好きになっちゃう人がいる分だけ、好きになれない人がいたっていいじゃないか!

だけど、なぜ、こうして、仲良くなれないことに罪悪感を持ち、自己嫌悪にさえ陥るのだろうか?

多分、それは、「みんな仲良く」の呪縛だと思う。
みんな仲良く……私も、小学校の先生に教えてもらったこの目標を掲げて、子どもの頃、「みんな仲良く」しようとした。だって、そうしないければいけないと思ったから。
仲良くしようとしない子には
「どうして仲良くしようとしないの?」
と、問い詰めて、うまく答えられなければ、形だけでも、みんなと一緒のことをするように促した。それでも、聞いてくれなければ、先生に言いつけた。
だって、それが正しいと思っていたから。

そして、その呪縛に、大人になっても苦しめられているなんて……。

「みんな仲良く」しなくていいからといって、やみくもに、誰のことが嫌いだとか、あいつのあんなところがよくないだとか、そんなことは大きな声で、ましてや、人に言うことではないと思う。

ただ、自分がそう思っているんだということを、自分自身が認めて、その感情をゆるすことが、きっと大事なんだなと感じた。

小学2年生の息子に、誰かのことが嫌いだとか、苦手だかとか言われた時、正直、言葉に詰まる。

「嫌いなものは仕方ないよね。嫌いという感情を大切にしなさい」
と、言い切っていいのだろうか?
ずっと「みんな仲良く」と刷り込まれてきた私は、
「お友だちのことを嫌いって言っちゃいけないよ。みんな仲良くしなさいよ」
という言葉の方が、正直、しっくりくる。
しっくりくるからと言って、それが違うと気がついたら、変えなければいけないよな……。
だから
「どんなところが嫌いなの?」
と、聞いて
「そうか、それは嫌だったね。嫌いと思ってしまう気持ちはわかるな。だけど、そのお友だちのいいところはない?」
と、いいところ探しを促そうかな? だけど、そんなこと咄嗟にできるのかな?

面と向かって、「あんたのことなんか嫌い」とは、言わない方がいいとは思うけれど、自分の中の「嫌い」という感情は大事にしていいんだということは伝えよう。

しかし、我が子に、自分の思う「正しさ」を押しつけていいのか? という疑問がある。
なぜなら、大人になって、自分が子どもの頃に教わって信じていた「正しさ」が覆されることが多いと感じるからだ。そして、その度に、不安になる。
だからといって、何も伝えないというわけにもいかず、私は迷った挙句、「私は~と思う」と言うようにしている。

息子がもっと小さい頃、
「お母さんは、こう思うよ」
と、言ったら、
「じゃあ、僕も」
と、言っていたことがある。その時
「別に、お母さんと同じ考えでなくてもいいんだよ」
と、言ったら、悲しがり、不安がっていた。
それが、最近、息子と意見が違うことが増えてきた。
「お母さんは、こう思う」
と、言った時
「僕は、そうは思わない」
と、言うことが増えたのだ。
それを、私は、とても嬉しく思う。
反対に、自分が好きなゲームに、私が全く興味を示さないと、息子は悲しむ。
だけど、どうにか、私に、それを好きになってもらうために、一生懸命、プレゼンする。
申し訳ないけれど、私は、まだ、それを好きになれない。
好きになったふりをしようかとも思ったけれど、辞めておいた。

だって、やっぱり、それは好きじゃないから。

そして、私が、好きじゃないものを、「好きじゃない」って言っている姿を見ていれば、息子も、好きじゃないものを、「好きじゃない」って言えるかもしれない。

もしも、世の中に、唯一の「正しさ」があって、それに従えば幸せになれるのなら、私は、喜んでそれに従うだろう。
だけど、残念ながら、それはないのだ。
だから、あきらめて、自分で考えながら進み続けるしかない。

息子のクラスの、あのしっかり者の女の子も、唯一の「正しさ」なんてないことを、いつか、知るだろうか?
できるだけ、自然な形で、傷つかない方法で知ることができたらいいな。
だけど、もしも、私みたいに、知ることに痛みが伴っても、それはそれで、悪くないとは思う。

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