夢見る頃になるまで――娘に語りたい人生《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:西部直樹(プロフェッショナル・ゼミ)
だからさあ、大変なんだよね。
もしさあ、中卒になったら、それだと仕事あるかな。
村本(仮名)は、ピアノ弾けるし、コンクールで入賞したから、ピアノで生きていけると思うけど。
私は途中でピアノ辞めちゃったし。
動物のお医者さんは、時間が不規則らしいから、辛いし。
食べるの好きだから、食べ物開発とかいいかなあ。
え、研究は時間が不規則なの?
どうしようかなあ。
いいよなあ、兄は、受験もうないんでしょう。
高専(高等専門学校、いわゆる専門学校ではない。5年制の専門技術者を育てる教育機関。高校の3年+短大2年となる。卒業時は準学士となる)受けようかなあ。
どうしたらいいのかなあ。
仕事あるのかなあ。
生きていけるかなあ。
はあ~
溜息が深い……
娘が妻に語りかけている。
二人の会話を横で聞きながら、僕も深く溜息をついた。
娘は小学校6年生、この春、中学生になる。
中学受験を試みるも、第一志望からは振られてしまった。
試しに受けたところにはいきたくないらしい。
私学は、我が家の財政状況から、厳しい。
スマン
中学校は、近くの公立に通うことになった。
次は高校の受験だ。そして大学受験へ。
ふう、親が考えただけでもうんざりしてくる。
まだ、中学校の制服も届いていないのに、娘は将来のことを悲観している。
受験がうまくいかなかったことが、響いたのだろうか。
小学校6年生で、人生に絶望というか、希望を失うというか、将来を悲観するのは、はやいのではないか。
人生どうなるのかはわからない。
今やりたいと思っていることも、経験と知見と知識が増していくことで変わっるかもしれない。
僕もそうだった。
小学校の頃は、稼業である農家を継ぎたいいと思い、次に、叔父が警察官をしていたので、警察官も悪くないと思い、でもサラリーマンも悪くないな、と思ったりしていた。
生まれ育ったのが田舎の小さな町だった。
半世紀ほど前、北海道の片田舎では中学受験などあるはずもなかった。町の中学校に自動的に進学し、高校も倍率1.0倍くらいの町の高校に入る、というのが普通だった。
子ども時代は高度成長期だった。未来は輝き、将来には夢しかなかった。そして、夢は実現できるものと思っていたのだ。
中学時代は、剣道部にのめり込んだ。
日々、竹刀を振り回していた。振り回していたが、なかなか強くはなれなかった。
他校に、恐ろしく強い奴がいた。
彼には一度も勝ったことがない。
才能というものが違うのだな、と実感したものだ。悔しいけれども。
高校時代も、剣道を相変わらずやっていたが、さっぱり強くはなかった。
剣道の防具は臭かったけれど、汗を流すのは気持ちよかった。
部活に明け暮れていたのが、一冊の本で変わった。
「閉ざされた言語・日本語の世界」という本を読んで、語学も悪くないと思いはじめた。
日本語と他の言語との違い、背景となる文化の違いがあるとこと事例を交えて書かれていた。
特に、虹は七色だと思っていたが、2色だという文化圏もあることを知って、衝撃を受けたものだ。
語学系を目指して受けた大学は、ことごとく振られた。
やっと札幌の小さな大学に滑り込んで、語学をはじめた。だが、残念なことに、自分に語学の才能というものがない、ということに1年目で気づいてしまった。やれやれ。
語学の才がないのに、語学系の学部にいるのは、かなり辛いことである。
だから、学内の怪しいクラブに参加し、占いとかUFOとかを研究するといっては、ススキノ(札幌の繁華街)の片隅で飲んでいた。
学外では、何となく同人誌なるものをはじめ、同好の者たちと、やはりススキノ片隅で飲んでいた。
同人誌には、年代も職業も性別も異なる人たちがいた。まあ、そのような集まりであれば、何かとある。
こんなこともあった。
そのサークル内公認で付き合っていた男女がいた。女性の友達も一緒にその同人誌に参加していて、時に三人でお茶している姿を見ることもあった。が付き合っているのは、男とその女性だった。
そのカップルの男性が大学を卒業する頃、彼から結婚の報告がきた。「急ですが、わたしたち結婚しました」と。その相手は、付き合っていたはずの女性の「友達」だった。
彼は二股をかけていたのだ。なんて奴だ。
いささか生臭い男女のことも、ついでながら学んだりしたものだ。
もちろん娘には、そんな修羅場を学んで欲しくはないけれど。
語学以外を学んでいるうちに、就職の時期になってしまった。
1980年代初頭は、少し就職が難しくなっていた頃だ。その後のバブル経済がはじまる前だった。
何となく受けた広告制作会社に拾われ、北海道にとどまるつもりでいたのに、配属先は東京なってしまった。
コピーライターがもてはやされはじめていたので、できればコピーライターになりたかったけれど、指定された職種は営業だった。
人生はつくづくうまくいかない。
うまくいかなくても、なんとか生きていける。
それから、ある作家の事務所に拾われ、そこを喧嘩別れしてから、また別の著述家の事務所に潜り込み、また喧嘩別れして、気がつくと、二人の子どもの父親だ。
学生時代占いのサークルで、将来を占ったとき、ことごとく「職が合わない」と出たことがある。
就職できても、自分には合っていない、ということらしかった。
確かに、今の職になるまで、合わないことばかりやっていた。
今の職、講師稼業が天職なのかどうかはわからない。だが、適職ではある。
学生の頃、小学生の頃から考えても、人前でなにかを教えるという職に就くとは思ってもいなかった。
思ってもいなかったことが、生涯の仕事になるのだから、なにが起こるのかはわからない。
講師稼業をはじめて何年かたった頃、本を一冊でも書いておこう、と思っていた。
著書があると、講師としては有利なのだ。箔が付くし、宣伝にもなる。
そう思っていた頃、知り合いから連絡がきた。
「西部さん、本を書かない? ある出版社から依頼が来てるけど、忙しくて書けないから、紹介するよ」と。
その頃、20年ほど前だが、本を一冊書いたこともないし、書き方を学んだこともなかった。
なかったけれど、迷わず「いいですよ」と応えた。
それが、最初の単著になったのだ。
そして、妻があるイベントで天狼院書店にきた。面白そうな本屋だと、紹介されて僕も来てみた。
本屋さんに来たはずなのに、気がつくと、映画に出たり、芝居をしたりしていたのだ。
人生なにがあるのかわからない。
だから、娘よ、思い悩むのは、まだはやいのだ。
人生どうなるのか、わからない。
ストレートで夢に到達しなくても、回り道をしてもいい。
その間で幸せであればいいのだよ。
ただ、チャンスの女神の前髪をしっかりと掴めるように、準備だけはしておけ。
というようなことを話そうか、と思っていた。
娘は、ひとしきり妻に向かって嘆いたあと、
仕方ないから、勉強でもしよう!
といって参考書とノートを開いた。
娘は、準備を怠らないようである。
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