そして、扉の中が知りたくなった《プロフェッショナル・ゼミ》
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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》
記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ)
「ちょっと頼みたいことがある。応接室でお客さん応対して!」
課長が、いつになく真剣な顔をしていたから、私はドキッとした。
「あ、はい。どんなお客さんですか?」
「宝くじの換金なんだけど、これ、盗難届が出ててさ。今から、本部に聞いてみるから! 帰らないように、相手してて! あのピンクのコートのお客さん」
マジですか?
そう言いたかったのを呑み込んで
「はい、わかりました」
と、返事をした。
ロビーの中に、ピンクのコートのお客を探すと、20代後半くらいの化粧っ気のない女性が、ソファーに座って雑誌を読んでいた。
「お客さま、お待たせしております。もう少々お時間がかかりますので、恐れ入りますが、こちらへお願いいたします」
側まで行って、精一杯の笑顔で、話しかけた。
「マツ? ドコ?」
あれ? この人、日本人じゃないんだ!
そういった説明もなく、私に、任務を与えてきた課長を少し恨んだ。
「はい! こちらです! こっちです」
大きな声でそう言って、応接室を指先で示して、笑顔で、どうにか誘導した。
私が、勤めている銀行は、宝くじを扱っている。
通常、宝くじは、“宝くじBOX”と呼ばれる、店舗の外の売り場で換金しているけれど、当せん金が高額だったり、何か問題があった場合には、銀行の窓口に案内されてくることになっていた。
宝くじの当せん券を持っていたピンクのコートのこの女性も、一度、“宝くじBOX”に行ったあと、窓口に案内されてきたようだった。
高額当せん金だったら、なんの問題もなく、マニュアル通りに手続きすればいいのだけれど、今回のように、なんらかの届けが、出ている場合には、本部に問い合わせなければならない……らしい。
こんなことは、6年間、銀行員をやっていて、初めてのことだった。
なんの役職もない私に、こんな重要な任務を与えるなんて!
そう思ったけれど、ちょうど、昼休みで、頼りになる直子先輩はいないし、あとは、パートのスタッフの杉田さんと、窓口のみどりちゃんしかいない。
パートのスタッフを巻き込むわけにはいかないし、窓口を空席にするわけにもいかない。課長自身は、本部に問い合わせなきゃいけないし……だったら、私しかいないか……引き留めるのは……。
ピンクのコートの女性を応接室に案内しながら、私は、ようやく、観念した。
ドアを開いて
「どうぞ、こちらへ」
と、奥の席を案内した。
「たいへんお待たせして申し訳ありません。ただいま、お手続きをしておりますので」
言葉がちゃんと通じているのだろうか?
不安になりながらも、勝手に省略するわけにもいかず、丁寧に挨拶した後、そっとドアを閉めた。
目の前にいるこのピンクのコートの女性は、何者なのだろうか? 悪者なのだろうか? もし、悪者だったとしたら、何か、凶器のようなものを持っているのだろうか?
そういった疑問を持ちながら、ドアを閉めるのは、怖かった。
怖かったけれど、もし、悪者だったとしたら、むしろ、逃がしてはいけないのだ!
そういった使命感から、ドアを閉めることを選択した。
「だんだん、春らしくなりましたね」
できるだけ、にこやかにそう言って、女性の前の椅子に、私は腰かけた。
女性を応接室にひとりにして、もし、仲間に何か知らせるために電話をされてしまうと、もっと話が混乱するだろうから、半ば監視するように、一緒に、応接室にいなければならない!
私は、自分に、ミッションを課した。
応接室といっても、そう呼んでいるだけで、四畳半もないくらいの、ドア付きのパーテーションで区切ったような応接スペースだった。
「ハル……?」
あ、そうだった。言葉が通じにくいという問題があったんだった!
この状態で、どう、時間を引き延ばせばいいのだろうか?
ああ、彼女が読んでいた雑誌を一緒に持ち込めばよかった。今からは、取りに行きにくい!
ああ、ピンチだ! 課長! 早く来てください!
「マダデスカ? カレガマッテル」
「え? あ、どなたか待ってる方がいらっしゃるのですね? どちらでお待ちですか?」
「ドチラ?」
うーん、もういいや、丁寧語、終了!
「どこで、彼が待ってるの?」
「ソトデ、マッテル」
ああ、やっぱり、友だちに話すみたいに話しかけた方が通じるのか!
「カレ、デンワスル」
「え? ああ、そうですか……」
こういった場合、電話させていいのかな?
こんなこと、マニュアルに書いていない。銀行員は、マニュアルがないと弱い。
ああ、どうする私!
私が何も言えないうちに、女性が、バックからスマホを取り出して、電話を架け始めてしまった。
致し方ない。通常は失礼にあたると思うけれど、今回は、電話内容は聞かせてもらおう。
凝視するのもおかしいので、私は、申し訳程度に、目を伏せて、真っ白なテーブルを見つめていた。
「ウェイ……」
あ、そうか! 聞き耳を立てたって、内容は聞き取れないんだった!
彼女は、中国語だと思われる言葉で、なにやらしゃべっていた。
なぜか、とても攻撃的に聞こえて、それが、私のことを責めているように感じて、胸がドキドキした。
そして、電話を切った彼女は、突然
「カレ、ココ、クル」
と言った。
え? 人数増えるのか!
「あ、はい」
私は、ひきつりながらも、そう言うしかなかった。
これは、課長に伝えた方がいいのだろうか?
だけど、この部屋を出るわけにはいかない。
内線を使うか!
「ちょっと、電話するね」
私は、誰に話してるんだ!
自分でも不自然に思いながら、すぐ横にあった内線で、課長に電話した。
ツーツーツー
話し中だった。
そうか、まだ、本部と電話をしているんだ!
仕方がないので、今度は、パートのスタッフの杉田さんに電話した。
「はい。杉田です」
「あ、杉田さん! 岡本です。ひとつお願いがあるのですが! ここにいらっしゃる女性の、連れだとおっしゃる男性が、今、こちらに向かっています。おそらく、中国の方です。いらっしゃったら、こちらの部屋に案内してください。あ、応接室1です」
「あ、わかりました」
「ちなみに、課長は、本……いや、電話中ですか?」
「はい」
「直子先輩は、お昼休みから戻ってこられましたか?」
「いえ、まだです」
「あ、そうですか。わかりました……では、よろしくお願いします」
しばらくすると、ノックの音がして、杉田さんが、男性を連れてきた。
小柄で眼鏡をかけていて、そんなに、いかつくはなくてホッとした。けれど、やはり、かなり、待たされて、イライラしているように見えた。
逃げ出したい気持ちでいっぱいの私に、構わずに、無情にも、やっと開いたドアは、また閉じられた。
この人は、日本語わかるのかな? 一応、最初は、丁寧に言わないといけないよな……。
「この度は、大変お待たせして申し訳ありません。ただいま、お手続きしておりまして、もう少々お待ちください」
何度も、同じことしか言えていない自分にイライラした。自分にイライラしているくらいだから、お客はもっとイライラしているだろうと思った。
「何が問題ですか? 早く、お金ください!」
お? 男性の方は、日本語わかるんだ!
「本当に申し訳ありません。ただいまお手続きしておりまして……」
「手続きって何ですか? お金を出せばいいだけじゃないですか?」
まさか、盗難届が出ているから調べているとは言えない。どうしよう!
嘘はつきたくないが、嘘も方便だ! きっと、私は許される!
「実は、宝くじをお支払いする機械が、故障しまして、今、急いで直しているところなんです」
そんな宝くじ専門の機械なんてないけれど、えーい、これで、どうか納得してくれ!
「じゃあ、別の店に行くから、券、返してください」
「あ、いや……途中までお手続きしているので、それはできないのです」
「そんなのおかしい! 返して! 券、どこにありますか?」
男性の声が、だんだんと、大きくなってきた。
「券は……、あ、機械の中に入ったまま故障しているのです」
嘘をつくと、どんどん、嘘をつくことになるから、嘘をついちゃいけないよと、昔、母に言われたことを思い出した。
だけど、今は、見逃してほしい。
そして、今、私の目の前には、本気で怒っている中国人がいる。
女性とふたりだけの時とは違う、緊迫した空気が、狭い部屋に充満していた。
さっきは、言葉が通じなくて困っていたけれど、言葉が通じないからこそ、耐えられたのかもしれないと思った。
「機械の中? なんですか、それは!」
「大変申し訳ありません。ですから、もう少々お待ちください」
もうこれ以上、無理ですよ、課長! 早く、来てください! 来てくれよ! 課長!
もう笑顔はつくれず、半泣きになっていたら、コンコンと、ドアがノックされて、課長が入って来た。
こんなに課長のことが恋しかったのは、初めてだった。
課長は、手に、あの盗難届の出された券を持っていた。
「ここにあるじゃないですか! 返してください!」
「え? どういうこと? 岡本さん」
「あ、あの、実は、機械が故障して、券が出てこないので、お待たせしていると言ったんです……よかったでしょうか?」
「ああ、そうか!」
課長は、私が咄嗟についた嘘とその状況を、一瞬にして呑み込んでくれたようだった。
ああ、助かった。
で、どうするんだろう? 課長は、どうするつもりなんだろう?
きっと、私も、今、ここで、課長の説明を聞けるんだと期待した。
それなのに、課長は
「岡本さんは、戻って、仕事を進めてください」
と、言ったのだ。
えー? 結論、お預けですか?
確かに仕事は溜まっている。
「はい……わかりました」
そう言って、私は、応接室の外に出て、ドアを閉めた。
あんなに応接室から出たかったのに、今度は、中のことが知りたくて、たまらない。
後ろ髪を引かれながら、席に戻った。
振込の受取人の名前が違っているから調べてほしいという、先方の銀行からの問い合わせが、たんまり溜まっていた。
すぐに取りかからなければ!
だけど、応接室の会話がとても気になる。
パーテーションと天井の隙間から、時折、言葉は聞き取れないけれど、中国人の男性の大きな声が聞こえる。やはり、怒っているようだ。
そして、しばらくすると、パトカーの音が聞こえてきた。
あれ? もしかすると?
男性の警察官と女性の警察官がひとりずつ、応接室に案内されてきた。
そして、中に入った。
4畳半の広さに、大人5人。
中は、結構な圧迫感だろう。椅子は、4つしかない。誰が立っているのだろう? なんて、余計なことまで考えてしまった。
展開が気になるけれど、仕事はしなければならない!
さっきまで、ワーワー聞こえていた男性の声が、急に、小さくなり、その代わり、警察官だろうか、今まで聞いたことのない男性の大きめの声が聞こえ始めた。
そして、今度は、少し泣いたような声が聞こえてきた。多分、あの中国人の男性の声だ!
ああ、知りたい。いったい何があったんだ!
警察官が到着してから10分くらいして、突然、応接室のドアが開いた!
すると、ふたりの警察官が、中国人の男性とピンクのコートの女性をはさんで、一列になって出てきた。
最後に、課長が疲れたような表情で続いて、店舗の出入り口まで、送りに行っていた。
任意同行かな? 彼らは、罪に問われるのだろうか?
もし仮に、悪いことをしていたとしても、その罪の名前も知らないくせに、私は、自分が興奮していることに気がついた。
課長はすぐに、席に戻ってくると思いきや
「支店長のところに行ってくる」
と言って、足早に、行ってしまった。
なんだ! また、お預けか!
そして、さっき、応接室に居た時は、ビビっていたのに、そこから、解放されると、無責任にいろいろと想像し、野次馬根性が出てきてしまうものだと、自分自身に、呆れた。
だけど、知りたいものは……知りたい!
溜まった仕事が、一段落した頃、課長が戻ってきた。
「課長! お疲れさまでした! で、さっきのお客さんは、いったい、どうだったのですか?」
「あー、岡本さん、お疲れさま。さっきは、ありがとう。結局ね……」
課長の話によると、あの中国人の男性は、ある人物に、宝くじの当せん券を、渡されたらしいのだ。それは、何かの代金として、現金の代わりに、渡されたものらしい。
そして、おそらく、男性に、券を渡した人物は、それを、拾ったか、誰かから奪ったのではないかと、言っていた。
あのピンクのコートの女性は、男性の恋人らしく、ただ、男性に換金を頼まれただけのようだった。
「さっき、泣いているように聞こえたんですが、あれは?」
「最初、男性は、自分で買ったと言っていたんだ。どこで、いつ買ったんだ? と、警察官が問い詰めたら、適当に答えだしたんだよ。そうしたら、警察官が、本当のことを言わないと、罪に問われてしまうことがあるから、本当のことを言うように! と、強めに言ったら、泣き出したんだ」
「へー! そういうことだったんですね!」
「いやあ、疲れたね!」
「はい。で、彼らは、この先どうなるんでしょうか?」
「とりあえず、警察署に行くって、向かったけれど、その先はわからないね」
「ですよね……」
「あ、課長、さっき、私の嘘に付き合っていただき、ありがとうございました」
「ああ、あれね。嘘つかせてしまって、こちらこそ、申し訳なかったね。なかなか、本部の担当者がつかまらなくて、大分、時間がかかっちゃったね」
今頃、あの男性は、何を思っているのだろうか?
一番の被害者は、宝くじを買ったのに、失くした人だろうけれど、ある意味、中国人のふたりも被害者なのかもしれない。
課長によると、男性は、まさか、罪になるなんて思っていなかった様子だったらしい。
できることなら、彼らが大きな罪にならなければいいな、なんて思っている自分に気がついて、驚いた。
もしかすると、たった30分くらいだったけれど、あの狭い部屋に、3人で閉じ込められて居たから、距離も縮まって、妙な情が、生まれてしまったのかもしれない!
*この話はフィクションです。
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