女に「ジャケ買い」された男が、私に見せてくれた世界があった《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:市岡弥恵(プロフェッショナル・ゼミ)
「タカシ君、ありがとう」
どう見たって子供が2人居る女性には見えない。
しかも上の子供は、中学3年生の女の子らしい。それって、40代を超えている年齢。しかも、40代後半か50代に差し掛かってもおかしくない年齢だ。
艶々でしっとりとした肩までの黒髪に、ゆるくウェーブがかかっていて、醸し出す雰囲気が色っぽい。それでいて、前髪は眉上でアシンメトリーにカットされている。「かわいい」顔じゃないと似合わないはずのその前髪が、なぜか「美人」と形容される彼女の顔にしっくりと来ていた。
ハイブランドの服に身を固めた女性。ざっと全身で100万円は超えていると思った。
椅子に置かれたバーキンを合わせると、新車が買える。
そんな女性が、20代の若い男性の首に手を回し言うのだ。
「タカシ君、ありがとう」
そして、濃厚に舌を絡めながら、私の目の前でディープキスをする。
「女が男を買う世界がある」
そんなことを、現実に知ったのはこの時が初めてだった。
***
私は、20代前半ぐらいの頃、あるバーによく通っていた。もう10年近く前の話だ。
通っていたというより、当時良くしてくれていたお客様の行きつけのバーだったのだ。
女であること、営業職であることを、これ程面白いと思ったことはない。なぜだか私は、女でありながら「おっぱいパブ」という世界まで知れたのだから、なかなか貴重な体験をさせてもらったと思っている。
恐らく人によっては、取引先の女の子をおっぱいパブに連れていくなんて! セクハラだ! と思われるかもしれない。
しかし、どうやら私は、先天的なのか後天的なのかは分からないが、そういった事に対する耐性が強く出来ていたのだ。
当時働いていた会社でのセクハラ研修によると、「不快感を感じたら」セクハラだとされるらしい。だとすれば、その時の私はセクハラを受けていた訳ではないようだ……。
好奇心。
そちらの方が勝っていた。
恐らくお客様も、そんな私の性格? 適正? を判断して、こうして性ビジネスの世界に私を連れて行ったのだと思う。
やはり、少しばかり私は変な女なのかもしれないと、今となって思うのだが……。
誤解のないように言っておくと、私はおっぱいを揉んではいない。
ただ、男性の足の上に上半身裸の女性がまたがり、腰をくねらせているのを見ていただけだ。
「こうやってさ、当ててくるったい」
酔っ払ってはいるが、このお客様は私に手を出してくることはない。
ただ、なんというか……こういう世界を純粋に楽しんでいたのだと思う。
自分の股の上で腰を回している女のおっぱいを揉みながら、そんな事を言ってくるお客様。
大学生の頃までは、ピンと来なかった性ビジネスというものが、本当にこうして商業として成り立っているのだと教えてくれたのが、このお客様だ。
「あのー! ひとつ聞いていいですか!?」
トランス系の音楽がうるさいので、私は結構な大声でお客様に聞いた。
「なんや?」
「ここって、そうやっておっぱい揉むだけなんですよね!?」
「そうくさ!(博多弁で、そうだよ、の意味)」
なるほど、やはり「おっぱいパブ」というのは、そこ止まりらしい。
そんなら、それどうするの……?
私は、お客様の股間を、なぜだか可哀想に思ったのだ。
「それって、めっちゃ欲求不満のまま終わりません!?」
「不満不満! この後、誰か抱きにいくくさ!」
そ、そうなんだ……。
なるほど、性ビジネスとはそういうものだと、実際に目にして理解したのだ。頭で理解したというよりは、もはや「こんな世界がある」と無理やり腹に落とした。
自分が風俗で働かない限り知る事ができない世界を、私はこうしてお客様に見せてもらったのだ。
少しばかり衝撃的な体験ではあったが、しかしやはりこのお客様に連れて行かれる場所は、なかなか20代前半の女では経験できない場所ばかりだ。接待という意味ではなく、完全にプライベートで、私はこのエロいおっさんに、ひっついて行っていたのだ。
そんなおっさんの行きつけのバーに、私はよく連れて行かれていた。
会員制のバーで、20代の私だけでは決して入れないバーだった。カウンター席だけの穴ぐらの様なバー。自分で支払いをした事がないので、正直こういったバーがどれぐらいの料金なのか、当時は分からなかった。今となっては、私が飲んでいたあの一杯が3,000円前後だったの分かるのだが……。
外観からはどれが入り口なのかも分からないような店だった。
客商売であれば、集客の為に人に知られる場所であることの方がいいように思う。しかし、この店は、完全に自らの身を隠していた。
知っている人だけが入り、そしてその良さを次の人に伝える。
そんな風に経済を回している人間がいるのだと知ったのも、この時だ。
小さな扉を開けると、重厚な雰囲気の小さな穴ぐらがあった。ハロゲンのスポットライトだけの照明。
カウンターしかない席には、小さな透明のガラス容器に、「火」が浮かんでいた。
キャンドルではあるのだが、小さな丸い蝋燭が水に浮かんでいるのだ。だから、水の上に「火」が浮かんでいる様に見える。なんて綺麗な世界なんだろうと思った。
それに、この一枚板。
5〜6メートルぐらいありそうなカウンターテーブルに、つぎはぎの跡がない。これだけの一枚板となると、かなりの大木から切り出すしかない。艶々でスベスベのカウンターは、客が座る側に皮が残っていた。切り出した一枚を、長方形に成形する事なく、「大木」そのままの形を残しているのだ。なんてセンスのいい店だろうと思った。
「この一枚板なぁ、うん百万するぞ」
エロいおっさんは、ただエロいという訳ではない。
こうして、私に本物を教えてくれる人でもあった。そして、たまに格言めいたことを言う。
カウンター席は既にいっぱい。大抵男性が女性を連れいているのだが、一組だけ特殊なカップルが座っていた。
「お前いま、いくつや?」
「えーっと、もうすぐ24です」
特殊なカップルを見て、おっさんは思い出したように私に年齢を聞いてきた。
「おぉ、そしたら、ユキちゃんところと、同じぐらいやなぁ」
おっさんは、隣に座る特殊なカップルの女の方に話しかける。
ユキちゃんと呼ばれるその女性は、艶々でしっとりとした肩までの黒髪に、ゆるくウェーブがかかっていて、醸し出す雰囲気が色っぽい。それでいて、前髪は眉上でアシンメトリーにカットされている。「かわいい」顔じゃないと似合わないはずのその前髪が、なぜか「美人」と形容される彼女の顔にしっくりときていた。
20代〜30代にはとても出せない色気。見た目で40歳を超えているのは分かるが、それでもやはり若いと思った。
そして、その女性が連れている男性が、至極若い。
それに、とてつもなくイケメンだったのだ。
さらに、2人が出している雰囲気は、カップルのそれと同じだった。おっさんと私の様に、ただ人生経験の為に若い女の子を連れているという雰囲気ではない。
間違いなく、肉体関係にある何がしかを醸し出しているのだ。
「えー、何歳?」
私は、その女性に聞かれて、24歳だと改めて答えた。
「じゃあ、タカシ君の1個下じゃない? タカシ君25歳だもんね?」
私は、少し戸惑った。
確か、もうすぐクリスマスという時期だったのだ。私は1月生まれの早生まれ。だからまだ24歳ではあるが、同級生は25歳になっている。
「えっと……何年生まれで、何月生まれですか?」
ユキさんの奥から答えたイケメンの回答に、私は少しばかりショックを受けた。
ユキさんの膝を撫でるイケメンを見て、それを真似して私の太ももに手を置こうとするおっさんの手を払いのけて言った。
「同級生ですね……」
全くもって不思議なのだが、当時の私は、おじさんが若い女性を連れて歩く事に何の違和感も持っていなかった。それは、福岡という土地柄もあったのかもしれないが、中洲に出ればそれが当たり前の事だったのだ。
男は若い方が好き。
そんなものだと、ただ理解していた。
それにもかかわらず、40歳を超えた女性、しかも子供がいる女性が若い男性と肉体関係を持つということを、全く想像だにしていなかったのだ。
いや、確かにホストクラブというものがある。
どちらかというと、キャバ嬢が通っているイメージだったが、しかし中洲で働いている友人に聞くと、やはり「マダム」と言われる層が来るらしい。
しかし、この時まで私は、実際にそういうカップルを見た事がなかったのだ。
「あのぁ、彼女は未婚ですか??」
件のカップルが肩を寄せ合い、イチャつき出したタイミングで、私はおっさんに聞いた。
「うんにゃあ、結婚しとるし、子供も2人。上の子は中3」
「中3!? 若っ! そんな大っきなお子さんがいらっしゃるようには見えない!」
私は、隣のカップルに聞こえないように、声にならない声でおっさんに訴えかけた。
「まぁ、旦那とは冷え切っとるらしいけどね」
「しかし、あれですね……。あれだけのハイブランド鎧……。旦那さん相当稼いでいらっしゃいますね……」
下世話だと思いながらも、私は聞いてしまった。
「うーん。金があれば、女は寄ってくるやろ? もとは、旦那の浮気が原因らしいけどな」
「はぁ、なるほど……」
まだ20代前半ではあったが、不倫という言葉も聞き慣れ、左程嫌悪感もない。
この店に入った時は、なんて綺麗な空間だろうと思った。なんでこんなに身を隠しているのだろう。こんなに素敵なお店、もっと表に出せばいいのにと思ったぐらいだ。
しかし、身を隠しているからこそ、来る客もいる。
なるほど、そんな世界があるのだ。
やはり、私はそう無理やり腹に落とした。
「ねぇ、私もう行かなくちゃいけないから、タカシ君と話してあげて」
ユキさんが、おっさんに話しかけてくる。
「おぉ、そんな時間か。また今度な」
おっさんは、よくこの店でユキさんと一緒になることがあるらしい。軽く右手を上げて、ユキさんの肩をポンポンと叩いた。
「タカシ君、ありがとう」
やはり、どう見たって子供が2人居る女性には見えない。20代の女性が甘えるのと同じ様な声で、しかし我々には出せない艶のある声。そんな声で、このイケメンの首に腕を絡めながら、彼女は躊躇うこともなく、キスをした。
もしかすると、私はおっぱいパブに連れて行かれた時よりも、衝撃を受けたかもしれない。
濃厚に舌を絡めながら私の目の前でディープキスをする2人を見て、言語化できない感情が湧いてきた。
音が聞こえそうなほどに、「なげーよ」と突っ込みたくなるほどのキスに、よく分からない感情が上がってきたのだ。
「女が男を買う世界がある」
そんなことを、現実に知ったのはこの時が初めてだった。
***
「もう何ヶ月になったや?」
ユキさんが帰ったあと、おっさんはイケメンに話しかけていた。
「もうすぐ、1年ですよ」
「そうや。飼いならされたや?」
か、飼いならされた……。
なんという表現を使うんだろう……。確かに、客観的に見ればこのイケメンは「ヒモ」だ。ヒモで愛人。
金の為に、年上の女性と付き合っている様にしか見られないだろう。
金なのか? 不倫というスリルなのか? このイケメン具合なら、同世代の女にだってモテるじゃないか。女に不自由することはないはずだ。
そしたら、やっぱり金なんだろうか……?
「飼いならされた……んでしょうねぇ……」
イケメンは意外にも、とても礼儀正しい人だった。
勝手にチャラチャラしたイメージを持っていたのだが、こうしてきちんと受け答えをしている。
「まぁユキちゃんも、そのうち落ち着くやろ。そろそろ、次見つけとけよ」
おっさんは笑いながら、トイレに立った。
「まさかの同級生ですね」
私はとりあえず、そんなぶっ込んだ話も聞けまいと思い、当たり障りのないことをイケメンに話しかけた。「まさか」なんて思ったのは、多分私だけだ。このイケメンにとって私は、おっさんに連れてこられた、ただの若い女なだけ。
「やね。なに、この後どっか泊まるん?」
「あぁ、違う違う。あの人、私にはそんなことしないよ」
突然タメ口で話してきたイケメン。
私はどうやら、あのおっさんの不倫相手だと思われていたらしい。
「あぁ、そうなんや」
あまり興味もなさそうに呟くイケメン。
ぼんやりと、カウンターに置かれた、くらくらと揺れている火をイケメンは眺めていた。
確かに。
火って、なんだかじっと見つめたくなる。
私はその時初めて気づいたのだが、このイケメンが出しているものが「悲しみ」なのだと思った。
「飼われてんの?」
私は、思わずストレートに聞いてしまった。
「ははっ。そうらしいよ。俺、ジャケ買いされたらしいわ」
「ジャケ買い!?」
「女ってそうやん。ジャケ買いするやん。これかわいいーって感覚らしいよ」
「はぁ……。そんなもんなんか……。男をジャケ買い……すごいね」
「やろ? すげぇよ。お小遣いとか言って、金渡してくんの。いらんわ、そんなの」
突然放たれた言葉に、私は少しおののいてしまった。
じゃあ、何が欲しいの? 金じゃなくて、何が欲しいの?
私は、先ほど「なげーよ」と突っ込みたくなるほどに、見せつけられてしまったキスを思い出しながら考えた。
あの時、もしかすると私は「綺麗だ」と思ったのではないか?
それを言語化できなかったのは、ただこのイケメンが、女に買われた男だと勘違いしていたからだ。私は勝手に、「嫌悪感」を感じるのだと思っていた。そんな場面を見せ付けられ、私は「嫌悪感」を感じるはずだったのだ。むしろ、嫌悪感を感じさせて欲しかったのかもしれない。
それなのに、今出てきた言葉は「綺麗」だった。
それは恐らく、2人がキスをしているのを見て、金で成り立っている関係に見えなかったからだ。
「嫌悪感」を感じるはずだと予想した場面に、私は思いもがけず美しいものを見せつけられてしまい、何を感じているのか分からなくなってしまったのだ。
「ジャケ買いって、ユキさんに言われたの?」
「あぁ、そうだよ。最初に言われたわ」
「ふーん、そうか……ユキさんのこと、好きなん?」
「わからん」
なんて悲しそうな顔をするんだろうと思った。
とても同い年だとは思えない様な顔をしていた。
イケメンは、やはりくらくらと揺れる火をぼんやり眺めていた。
この店は妖しい。
綺麗な場所ではあるけれども、こうして自ら身を隠しては、くらくらと火を灯す。
そして、そんな火を見ていると、現実がよく分からなくなる。
一枚板のカウンターに、くらくらと影が揺れる。そして、それがやはり綺麗だった。
「よし! 帰るぞ!」
おっさんがトイレから戻ってき、私たちは悲しそうなイケメンを残して店を出た。
***
「お前も、金で買われる女にはなるなよ」
おっさんは、流しのタクシーを捕まえながら私に言った。
いつも、とんでもない世界を見せてくれるエロいおっさんだが、帰り際はこうして私をちゃんと1人でタクシーに乗せる。
「あっ、はい。大丈夫です」
私はタクシーに乗り込みながら、何気なく答えた。
おっさんは、私が頭をぶつけない様に、手をドアの縁にかざす。私をおっぱいパブに連れて行くような人だが、しかしやはり紳士だと思う。
「金じゃ買えんけんな、愛なんて」
そしておっさんは、たまに格言めいたことを言う。
タクシーの窓から流れる世界が綺麗だと思った。
ネオンがまだ輝いている夜の世界が、少しだけ綺麗に見えたのだ。
商業として成り立つ世界があって、金で買われる女がいて、金で買われる男もいた。
それで完結する世界もあれば、そうじゃない世界もあった。
満足げに帰っていく女の顔のあとに、悲しい顔の男を見た。
そんなものなんだと、そんな世界があるのだと、私はやはり無理やり腹に落とした。
それなのに、なぜか見える世界が綺麗だった。
それは、あのイケメンが、あんなに悲しい顔をしていたからだと思う。捨てられた犬みたいに、悲しい顔をしていたからだ。
ジャケ買いをされた男が、くらくらと揺れる火を眺めては、何かを想っていたからだ。
その姿が、ただ大好きな人において行かれた、1人の男の姿だったからだと思う。
「金じゃ買えんけんな、愛なんて」
そうかもしれない。
くらくらと揺れる世界は、現実がよく分からなくなる。
ネオンに揺れる世界は、よく分からなくなる。
それでも、私はあのイケメンの顔に、何かを見れた気がしたのだ。
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