プロフェッショナル・ゼミ

眠りの中で、旅に出る。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:和智弘子(プロフェッショナル・ゼミ)
*フィクション

「前に来たのって年末ですもんね。ボッサボサに伸びちゃって」

ここ数ヶ月、仕事もプライベートもいつも以上に忙しかった。
落ち着いて、美容院に来るのも久しぶりだ。

「肩につくか、つかないかぐらいの髪の長さが、一番まとまらないですよね。寝ぐせもついて、はねちゃうし」
そう言って、美容師の山下さんが笑いかけてくれる。

私はこの美容院に通い始めて、もう6年近くなるだろうか。
職場の友人に「落ち着く美容院があるよ」と紹介してもらって以来、すっかり気に入ってしまった。

プライベートサロン、と呼ぶにふさわしいこの美容院は、山下さんがひとりだけで営業している。アシスタントなどは雇っておらず、ぜんぶひとりで対応している。
そのため、完全予約制だし、一日に限られた人数しか対応できない。予約で埋まってしまっていることも多いのだけれど、私はこの美容院が大好きだった。

ひとつは、山下さんのセンスがとてもいいこと。
ヘアカットの腕はもちろん良いし、サロンの雰囲気も気に入っている。山下さんの知り合いが焼いたという、かわいい陶器の一輪挿しに、季節の花がさりげなく飾られているし、その時々で流れている音楽もとてもリラックスできた。
そして、もうひとつは、誰の目も気にしないで、山下さんといろんなおしゃべりができることが楽しかった。
30代後半の私より、10歳ほど年上の山下さんは、私がこれから歩むであろう人生の、ひとつ先の道を歩いている。私が相談するといつも、自分の体験を話してくれた。
夫の両親とそりが合わず、うんざりしていることや、実家の両親の介護の問題、自分に起きるかもしれない病気の話なんかも気軽に相談できた。
占い師に、自分の人生を相談する人もたくさんいるけれど、私にとっては山下さんこそが占い師のような存在だった。はっきりとした答えを出してくれる訳じゃない。けれど「こういった可能性や、選択肢があると思うよ」と、山下さん自身や、そのまわりの人たちがすでに経験している、私にとっての未来を教えてくれるように感じていたのだ。

「先週はごめんなさいね。せっかく予約のお電話いただいたのに。こちらの都合で、お断りしちゃって」
山下さんは、髪を切るときにつけるケープを準備しながら申し訳無さそうな顔で、謝った。
「いえ、全然大丈夫です。先週か、今日のどちらかで、お願いできればよかったから。でも、なにかあったんですか?」
私は、ふんわりとした白いケープに腕を通しながら、訊ねた。
「それがね……。あー、思い出しただけでも大変だったんです」
ケープをまとった私の首元の、タオルをキュキュッと調節する手を、少し止めて、山下さんは軽いため息をついた。

「旦那の祖父が先週亡くなられて。急遽お葬式があって」
「そうなんですね。それは御愁傷様でした」
私は鏡越しに、軽く頭をさげて、お悔やみの言葉を口にした。
「持病もあったし、なにしろ高齢だったから。92歳よ。大往生なんですけどね……。そのご葬儀が、大変だったんです! とにかく田舎で。地域のしきたりだとか、ご近所の兼ね合いだとかで」

そこまで山下さんは話してから、
「今日も、いつも通りのカットでいいのかな? 春だから、イメチェンしたい!とかある?」
と話題を変えた。話し出すと、グチが止まらないと思ったのだろう。

「あ、いつも通りの感じで、お願いします」
「はーい。あと、カットの後に40分のヘッドスパのコースも、ですよね」
「はい! ここにきたら、ヘッドスパまでやらないとスッキリしなくなっちゃって」
「ふふふ。それが、こちらの戦略ですよー」
そういって、山下さんは、小刻みにハサミを動かしながら、私の髪を切り始めた。
シャキンシャキン、と小気味のよい音が、美容院に鳴り響く。
さりげなく流れている音楽と混ざり合って、ここちよい。この音楽はなんだろう? ジャズのようだけれど、独特のリズムをとりながら奏でているその音色は、不思議な音楽だった。懐かしいような感じもするけれど、どこかすこし怖い感じも漂っている。……まるで、お経をとなえているような。

「田舎のお葬式って、大変なんですか?」
私は、さっきまで話をしていた「祖父のお葬式」が気になっていた。あまり触れてはいけないのかも、と思いながらも、おそるおそる訊ねてみる。
「地方にもよると思うし、時代によっても違うとは思いますけど。なんか、町内というか村のしきたり、みたいなのが強いと大変なんでしょうね? 私たちの町内会レベルでも、いろいろあるじゃないですか? あちらをたてれば、こちらがたたず、みたいなこと。お葬式なんですから、亡くなった人を偲ぶことが一番だと思うんですけどね」
そう言いながら、私の髪を切る手を休めることはない。シャキンシャキンと一定のリズムを刻みながら、手際よく私の髪を切っていく。もっさりと重たい雰囲気から、少しずつスッキリした印象の私が鏡に映し出されている。
「でも、お葬式って、いろいろ考えますよね。私は、旦那よりも先にあの世へいきたいなあ」
私がポツリとそういうと、山下さんはぎょっとしたのか、髪を切る手を止めた。
「ヒロコちゃん、どうしたの? なにか思いつめてる?」
山下さんの心配そうな表情が鏡に映っている。あまりに心配になったのか、実の姉のような口調になっていた。
「あ、ごめんなさい! そんなんじゃないんです! 旦那のお葬式の準備とか考えただけでも、めんどくさそうだなって。それだけです!」
慌てて、私は弁解した。旦那より先に死にたいだなんて、つい言ってしまった。いくら、何でも気軽に話せるからって、心配させちゃったかな……? 取り立てて深い意味はなかったのだけれど、うかつなことを言ってしまったと、少し後悔した。
「あー、びっくりした! なにか、悩んでるのかと思った! でも、そういうの、私も考えることありますよ。旦那が先に死んだあと、ひとりで楽しく暮らせるなって、思うんだけど。でも、いろいろ考えると、やっぱりちょっと寂しいなって……。ふたり一緒に、ってことは、多分、ないでしょうからね。考えちゃうこと、ありますよね」
そう言いながら、山下さんは大きな鏡を手にして「うしろ、これぐらいでいいですか?」とカットの確認を私にうながした。
はい、大丈夫です、と私はうなずく。
山下さんがケープを丁寧にはずす。
サッと床に散らばっている、切り捨てられた髪の毛をほうきで集める。
ほんの少し前までは私の身体にくっついていたのに。
今はもう、私からはなれて、死んでしまった私の身体の一部。

「あんまり、深く考えても、こればっかりは答えなんて、ないですから。いつ何があるか、分からないし。さ、シャンプー台へお願いします。ヘッドスパの準備はじめますね」
私はヘアカットされていた鏡の前から、シャンプー台へと移動した。

靴を脱いで、寝そべるような形になる、そのシャンプー台はとてもリラックスできる。あまりにも気持ちがよくて、ヘッドスパの施術中には、眠ってしまうことも多い。

「はい、じゃあ、はじめていきます。お水が飛んでしまうといけないから、顔に、失礼しますね」
そういって、寝そべっている私の顔の上に、ふんわりと柔らかいタオルをかぶせた。

日頃の疲れが溜まっているのか、私はシャンプー台に寝そべったときから少しウトウトし始めていた。あぁ、もう寝ちゃいそうだなあ……。
シャワーから流れる水の音が、なんだかとても心地よい。
音だけを聞いていると、川のほとりにいるような気持ちになる。

あとすこしで眠りに入ってしまいそうな意識の中で、顔にかけられたタオルについて、ふと思いをめぐらした。

……そう言えば死んだときにも、顔に白い布をかけるけど、あれって何のためなんだろう?

そんなことを考えているうちに、私の意識はだんだんと遠く、ぼんやりとしていった。
私の意識は、どこか知らない世界へ旅立つかのように、遠く離れていった。

……ずいぶんと深く眠っちゃったな。
気がついた時、ずいぶんと時間が経っているように感じた。
なんか、すっごく寝ちゃいました、そう言おうとした。

しかし。
あれ? なんだろう? 言葉が出せない……。
口をひらこうとしても、身体が思うように動かない。

私は急に不安になった。
寝ぼけているだけだろうか? 
いや、だけど。
……身体の感覚が、どうしても、つかめない。
腕や、足を曲げてみようとしても、動かせない。
それどころか、まぶたが硬く閉じられていて、ぴくりと動かすことすら、出来ない。
身体そのものが、私から、切り離されてしまっているように感じられた。

え? ちょっと、なに?
なんで? なにが起こってるの?
怖い。怖い。怖い。

私はちょっとしたパニックになった。
けれど、声を出すこともできないし、動くこともできない。
なにが起きているのか、全く理解できない。
ただ、黒く大きな竜巻のような、とてつもない恐怖心が私に襲いかかってくるばかりだ。

けれど、その恐怖心が、一度通り過ぎてしまうと、私は少しずつ冷静さを取り戻しはじめた。
嵐が過ぎ去ったあとのように。
ばしゃばしゃと荒立っていた海が、時間の経過につれてシンと静かになるように。
「おおきな声も出せないし、動き回れないと、案外パニックって落ち着くんだな」と、まるで人ごとのように、私は感じていた。

だけど、これは一体どういうことなんだろう?
さっきまで、美容院にいて……。
あ、夢なのかな?
だけど、あまりにもリアルな感情が渦巻いているし、意識もはっきりしている。
いや、正確に言うと、意識だけが、やたらとはっきりしていて、その他の感覚が失われてしまっているようだった。

しかし、冷静になってくると、ひとつだけ、はっきりと分かることがあった。

それは、「私の顔の上に、布がのせられている」ということだった。

顔を動かせるわけではないし、触れるわけでもない。
けれど、「布がのせられている」ということだけは、確実なことだと思えた。

おそらく、どこかに寝そべっているんだろう。
……もしかして、死んでいるのだろうか。

考えれば考えるほど、心の中が、シンと静まり返っていった。

……夢だよね? 
……さっきまで、美容院にいたんだし。

そう思いたかったけれど、私は確信をもてずにいた。
ここは、一体どこなんだろう?
私は、このまま、どうなってしまうんだろう?
パニック状態は落ち着いている。
けれど「これは夢です!」と確信が持てない。
意識だけの世界のなかで、どうなってしまうんだろう……? 

感覚のない世界の中にいるにもかかわらず、どこからか、お経のような声と、むせかえるような線香のような香りが、立ちこめてきているような気がして、しかたなかった……。

「お疲れ様でした! ヒロコちゃん、ずいぶん眠ってたよ。疲れすぎてるんじゃない?」

ほがらかな、山下さんの声が聞こえてきた。
顔にのせられたタオルが、そおっと、取り去られた。

……良かった。やっぱり、夢だったんだ。

私は、ゆっくりと目をひらき、起き上がろうとした。
けれど、なんだか身体がこわばってしまっている。
思うように身体を動かすことができず、シャンプー台から、滑り落ちそうになる。
「ちょっと、大丈夫? 熟睡しちゃったのかな? しっかりするまで、動かないほうがいいですよ!」
山下さんが、慌てて私を支えてくれる。
「あれ、ヒロコちゃん! すごく手が冷たくなってる!」 
私の手があまりにも冷たいらしく、山下さんは申し訳なさそうだ。
「寒かったのかな? ごめんね! ひざ掛け、もう1枚重ねれば良かったね」
「あ、いえ、大丈夫です。なんか、深く眠っていたみたいです」
確かに少しだけ、身体がひんやりとしている感覚がある。それに、思うように動かせない。
眠っているあいだに、身体が冷凍されてしまって、うまく解凍できずにいるように感じられた。もしくは、身体に、血が通っていなかったかのように。

少し、ふらつくけれど、私はそろりそろりと、鏡の前の席に移動する。

もう一度、ケープをふわりと身にまとう。
鏡に映っている私の顔色は、さっきまでとはまるで、別人のようだった。
そう、まるで……。

「ヒロコちゃん、死んだように眠ってたから、心配だったのよ。話してる途中で急にどこか行っちゃったかと思うくらい、静かになって」

「……死んだように?」
「あ、ごめん! 失礼な言い方だった。ごめんなさい! でも、本当に急に、ピタリと動かなくて。ヘッドスパが気持ちよくて、熟睡しているのかな? と思ってたんです」

……本当に眠っていただけなのだろうか?
さっきまでの、あの不思議な感覚は、本当に夢だったのだろうか?
夢、なんだろう
こうして、美容院のイスに座っているわけだし。
鏡に映っている私が、いくら死人みたいに顔色が悪いとしても、だ。

髪を乾かしてもらい、すべてのスタイリングが終了した。
私は、うながされるままにケープを脱いだ。

「そういえばヒロコちゃん、今日ここに来る前にお墓参りかお寺にでも行ったの?」
山下さんが、ふと、気がついたように質問した。

「え? なんでですか?」
「さっきまでは、全然気にならなかったけどね。今、ケープを脱いだときに、
なんだか、お線香みたいな香りが、フワッとしたから」

私の背筋につううっと、冷たい汗がひとしずく、流れ落ちた。

***

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