メディアグランプリ

世のなかには頑張っていないものなど居ないのだから。


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記事:芽れんげ(ライティング・ゼミ)

馬というのは、もっと軽々と跳ぶものだと思っていた。

小雨降る春の日、私は馬術部に属する会社の同僚の誘いがあって、ちょっと遠くまで馬術競技の観戦に来ていた。
競馬なら「やや重の馬場」とかいうのだろうか。
すでにピークは過ぎていたとはいえ、前日から降り続いていた雨は競技場のあちこちに水溜りを作り、曇り空から射す弱い陽にキラキラと光を返していた。
BMWやフランクミュラーなど、スポンサー企業のロゴで装飾された障害の高さは思ったより高く、私の背丈ほどに設定されたバーがあちこちに置かれていた。

それにしても初めて見るものだらけだった。
馬術競技の国際大会も開かれるというその競技場には大きな厩舎もあって、馬たちがそれぞれの部屋におとなしく佇んでいた。その前を通ると、大きな目で私をじっと見つめた。
生き物のいる場所だから、きっと動物園のようなにおいがするのだろう、と思っていたのに、そこは草の干された少し青いにおいがムンとするだけだった。
「えさ、やってみ」
と手のひらに乗せてもらった穀物飼料を差し出すと、馬は大きな鼻を押し当ててムニムニと餌を舐めとった。
馬は大きい。背に乗ると凄く高い。そして「馬力」という力の単位にもあるように、力持ちでもある。
背後に立つと、蹴られることもあると聞く。
ゆえに、私にとってはちょっと怖い大きな動物だった。
そんな馬が手に乗せたこまごまとした穀物をムニムニと食む。
鼻の動きはまるで咀嚼をするときの小さなウサギのようだ。
一気に、私の気持ちは馬との距離を縮めていた。

お目当ての競技、大障害が始まると聞いて急いで観覧席に戻ると、競技場では騎手の人たちがうろうろと歩き回っていた。
「これは何をしているのですか?」
大障害では、障害の場所やこなす順番を開始直前に公開する。
そう、この競技では、馬は初めて見る競技場の障害レイアウトで競い合うのだ。
ゆえに騎手は公開された競技場を歩き、各障害間の距離や高さ、配置や順番を確認し、どのように馬を乗りこなすのかをシミュレーションしているのだという。
そして競技では、、障害の順番を知らない馬に跨り、操り、スピードや歩数に緩急をつけて次々とクリアしていくのだそうだ。
そんな光景を見ながら、競技の開始を待つ私の頭の中は、華麗に乗りこなす騎手と軽やかに障害を跳び越える馬でいっぱいになっていった。

電光掲示板のタイムがカウントダウンを始めた。
競技の開始だ。
騎乗したまま、帽子に手を添え審判に向かって一礼をした騎手は、馬とともに障害に向かっていく。

どむぅん。

何とも言えない重量感のある音。
音とともに地面から伝わってくる踏みしめられた土の圧力。
明らかに息を止め、体の力を一方向に集約した馬の姿。
次の瞬間、馬は障害を跳び越え、どうぅぅん、という音ともに着地した。

どむぅん……どうぅぅん。
カッカッカッ……
どむぅん……どうぅぅん。

次々と障害をクリアしていく。
勢いをつけて重く踏み切った前足をキュッと曲げ、続いて大きな後ろ足を腹に引き付けて障害を越す姿。
その姿は軽やかとは言えなかった。
いや、違う。
馬は軽やかに跳んでいた。
軽やかだったのだが、跳ぶために準備される馬の筋肉の緩急が、いわゆる「パカリンパカリンとギャロップする馬」、いかにも軽々と障害を跳びこしていくという、私が想像していた馬の跳ぶ姿とは、あまりにも違っていたのだ。
馬があんなに力を込めて踏み切るなんて。
実際、私の観覧した大障害では、二十数頭のエントリー中、障害に取り付けられたバーを落とさずに完走した馬は二頭だけ。中には障害の直前で立ち止まってしまう馬もいた。
その様子を見て、私は、軽々と跳ぶであろうなどと思い描いていたことを、申し訳なく感じた。
よく考えてみれば、いくら訓練・練習をしているとはいえ、あのような大きな体をあの細い足で支えて、人の背ほどの高さを跳ぶなんて軽々とできるわけはないのだ。
馬も、頑張ってやっているのだ。

翻って考えてみた。
下等な精神の持ち主である私は、ついつい人を羨んでしまう。
あんなことができるなんていいなあ、こんなことができるなんていいなあ、と。
そのレベルに達するまでにその人が積んだ努力や研鑽、そういうものをしっかりと見ないで、研鑽の結果であるその技能技術が、まるで天から無償であたえらたものであるかのように、もって生まれた特典であるかのように羨ましがる。
「それに引き換え自分は」と、努力が足りない自分の無力をほじくる。
「それに引き換えあなたは」と、他人の不出来をもほじくろうとする。
それと同じように、「私は跳べないのに、馬は跳べていいなあ」なんて、安易に考えていたのだ。

バーを跳び越えていく馬を見た。
落とさずに跳び越える馬もいれば、やり直しても立ち止まってしまう馬もいた。
どの馬もバーを越えたかった。
そして越えることができる練習を積んできた馬たちに、私たちは大きな拍手を送った。
ミスなく跳び越えた馬にも、うまくいかなかった馬にも。
「跳び越えられなかったけど、とっても姿がきれいだったよね」
「目がぱっちりして美人な馬だったよね」
「助走にすごい勢いがあったよね!」
そんな風に、いろんなところをほめて賛辞を送った。

あ!
もしかして、頑張ったことを認めることって、こういうことじゃないだろうか。
結果として成功したかどうかではなく、これまで培ってきた美点を見つけること。
勿論、成功するに越したことはない。
でも、失敗することによっても、次回はもっとうまくいくようにしようという強い意志を得ることができたり、立ち向かう勇気を持つことができるに違いない。
そんな勇気を持てたならば、何かを見るたび羨ましいと思うこともなくなるのではないだろうか。
誰にとっての毎日も、失敗と成功の連続だ。
だから、もし失敗した日であっても、一日一度はこんな声をかけてやったらどうだろう。
「よくやった。いいとこあるよ、自分」

世の中には頑張っていないものなど居ないのだから。
「よくやった」と言ってあげよう。
そう。
まずは、一番身近な自分に向かって。
あなたも私も、その頑張っているうちのひとりなのだから。

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2017-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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