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この世で一番おいしい味噌汁の話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:Meg(ライティング・ゼミ平日コース)

「え……、ウソ……でしょ?」

新宿からバスに揺られること2時間。
私たち4人の目の前には、出発前に想像していたのとはまったく異なる風景が広がっていた。

4月1日。エイプリルフール。

遡ること一週間前には、早くも桜の開花のニュースが流れ、真冬のそれとは明らかに違う暖かな春の陽射しに、人々がウキウキし始めた矢先のことだった。

バスが目的地に近くにつれ、私たち4人は言葉少なになっていった。

その日私たちは、ハイキングをする予定で「金時山」を目指していた。
金太郎の昔話で有名な山である。新宿からバス一本で登山口までアプローチできることもあり、ハイシーズンの週末ともなると、東京近郊のハイカーたちでごった返す人気の山である。

しかし、その日、登山口でバスを降りたのは、私たち4人だけだった。

それもそのはず。
あたり一面、真っ白の雪に覆われた銀世界が広がっていたのだ。

「これって、エイプリルフールだよね……?」

嘘であって欲しいと願ってはみたが、積もっているのは紛れもない本物の雪だった。

だが、地面をよく見ると、いくつもの足跡がついていた。
登って行った人々が何人かいる証拠である。

「まぁ、行けるとこまで行ってみる? せっかくだしね」
「そうだね、無理そうだったら早めに引き返そう」

一面の雪景色の中に、少しだけ人の気配を感じて元気を取り戻した私たちは、当初の予定通り、頂上を目指して歩き始めた。

たしかに雪は積もっていたが、登れないほどではない。
途中、樹氷の美しさや、地面の湧き水が凍ってできたのであろう透き通ったつららに感嘆の声を上げながら、私たちは慎重に歩を進めた。

それでも、山頂が近くに連れて、風は強く冷たく厳しくなる。頂上に到達する頃には、全員、真っ赤な鼻をして、身体は芯まで冷え切っていた。

「着いたー!」

我先に、山頂のトタン屋根の建物に駆け寄る。
そこには、昭和のまま時計が止まってしまったような小さな山小屋が、寒空の下、ぽつねんと佇んでいた。

「こんにちはー」

引き戸を開いて、中に向かって呼びかける。
あまりの暗さに、嫌な予感がする。
雨戸は閉まったままだ。
もしや誰もいないのだろうか。
と、奥のストーブの前に座っている老婆が顔を上げた。

「この雪の中来たのかい?とりあえず入んな」

まるで昔話から出てきたような老婆が、睨むように私たちに話しかける。

「そうなんです。何か…… 暖かいもの、ありますか?」
「この雪で、うちの調理師が往生しててね。今日はまだ来てないんだよ」

ストーブの前から動くことなく老婆が答える。
嫌な予感は的中した。

雪が積もる中、山頂でのラーメン(もしくは、豚汁)だけを楽しみにここまで辿り着いたのに、調理師がいないから食事の提供はない、私たちが置かれている状況はそういうことらしかった。

「そっか……」

落胆の色を隠せないまま、仕方なく私たち4人は、持参した冷たいおにぎりを頬張る。当然、おにぎりも冷え切っていた。

そんな私たちを見かねたのか、おもむろに老婆が言った。

「私はもう、簡単なものしかしないんだよ。味噌汁とかね」
「え? 味噌汁…… いけますか?」

明確な回答のないまま、老婆は立ち上がった。
老婆の腰は、ほぼ直角に曲がっていて、驚くことに、立ち上がっても身長はほとんど変わらなかった。

ゆっくり、ゆっくり、老婆は台所に向かって歩きはじめた。見ているこちらが心配になるほどのおぼつかない歩みで、両脇の棚に掴まりながら、台所に向かっていく。

「大変そうだから、やっぱりいいです」

老婆の危なっかしい足取りに、私たちは何度も大声で、注文キャンセルの意思を伝えたが、老婆の耳には入らなかった。私たちは持って来たおにぎりを食べ終え、ことの成り行きを見守る覚悟を決めた。

さらに待つこと、数分。
ようやく4人分の味噌汁が、白い湯気に包まれて差し出された。

ベコベコになったアルミのお盆に載せられた、顔の大きさほどもある大きなお椀には、たっぷりのなめこと薄揚げの味噌汁がなみなみと注がれていた。白い湯気が立ち上る。

「ああぁ……」

4人の口から、言葉にならないため息が漏れた。
冷え切った五臓六腑の隅々に、温かな味噌汁が染み渡った。
氷のように冷たくなった全身が、内側から溶けていくようだった。

私たちは、ほぼ無言で味噌汁を飲み干した。

「あぁ、おいしかった……」

一見何の変哲もない味噌汁が、こんなに美味しいと思ったのは、生まれて初めてだった。事前に調べた口コミサイトの評価は、可もなく不可もなくの点数だったが、私たちにとってその味噌汁は、ミシュランガイドに掲載されてもおかしくない、と思えるほどのものだった。

砂漠の旅人が飲むオアシスの水は、きっとこのぐらい美味しいのだろう。
乾ききった喉を潤す水のように、冷え切った身体に温かい味噌汁は染み込んでいった。

生き返った心地でお盆とお椀を返し、準備を整えて、礼を言う。

「美味しかったです、ありがとう」

……と、老婆が優しく目を細めてこう言った。

「気をつけてなぁ。帰り道も、気をつけて降りて。な」
「また来てね。ありがとう」

あぁ、これが味噌汁の隠し味だったのか!

何の変哲もない味噌汁があんなにも美味しかった理由を、私は唐突に理解した。

それは決して、冷え切った身体を暖めてくれたからだけではない。
汗をかいた身体に、適度な塩分が補充されたからだけでもない。

その味噌汁には、長年、登山客の安全を見守り続けた老婆の愛情が込もっていたのだ。子供を見守る母のように、山と登山客を思うおふくろの愛がスパイスとなって、味噌汁をあんなにも美味しくしていたのだ。

「ありがとうね。気をつけて」
「まだ積もってるから、気をつけて降りな」

引き戸を閉めるまで、何度も何度も、老婆はそう言って私たちを送り出してくれた。

***

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2017-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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