メディアグランプリ

「好き=詳しい」なら、何も好きになれない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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遠山 涼(ライティング・ゼミ)

「○○が好き」と言いづらくなってしまった。

たとえばラーメン。
一人暮らしを始めたばかりのころ、僕は週に2~4食ラーメン屋に足を運んでいた。
特に好きなのは濃い目の味噌と、四川風担々麺と、ボリューム満点のつけ麺。

「それってラーメンが好きって言わなくない?」
職場での昼休み、上司がカップラーメンを食べながら攻めてくる。
「じゃあ、あそこ知ってる? 池袋の無敵家。お前の家の近所だよな? あそこっておいしいの?」
『無敵家』なら知ってる。いつも行列が絶えない池袋の有名店だ。そして上司の言う通り、僕の自宅から『無敵家』は歩いて10分くらいの場所にある。
しかし、僕はたまたま『無敵家』のラーメンを食べたことが無かった。
「だから嫌なんだよ。そんなに詳しくもないのに、ラーメン好きとか言っちゃう奴」
上司が言うように、僕はラーメンがそんなに好きじゃないのだろうか?

たしかに僕は、ラーメンに詳しいわけではない。
スープに何の出汁を使ってるか、麺の加水率はどのくらいか、その店の店主はどこの店で修業を積んだのか。
ラーメンは好きだが、僕はそれらの知識には興味がわかない。
名前は知っているが行ったことのない有名店は山ほどあるから「オススメのお店、教えて!」と言われて困ってしまうことはよくある。
でも本当に、僕はラーメンが好きなんだ。
こう何度も「ラーメンが好きだ」なんて書くのは、なんだかバカっぽくて恥ずかしい気もする。
それでもやっぱり「ラーメンが好きだ」と書きたくなるのは、こんな具合に、本心から思っていることを他人に否定されたり、あたかも僕がウソをついているように決め付けられてしまうことが最近多くて、悔しいからだ。

「好き」と「詳しい」を両立させることは、実はけっこう難しいように思う。
たとえば洋楽。
高校生のころに近所のTSUTAYAでよく借りて聞いていた海外の音楽が、僕は好きだった。
身の回りにある音楽とは何か違っている、海外の音楽を聴いて今まで感じたことのない気持ちを味わうことが、当時の僕をたまらなくドキドキさせた。
しかし、海外のミュージシャンやその歴史、事情に詳しいわけではなかった。
それどころか、英語の歌詞の意味すらほとんど理解していなかった。
歌詞が理解できない代わりに、流れてくる音楽の雰囲気に合わせて、勝手に「こんなことを歌ってるんだろう」と想像した。
だからよくひとりで、豪快な『誤訳』を繰り返していた。
なんて素晴らしい歌詞なんだ! と思った歌詞は、本当は僕の英語力の無さが生み出した単なる勘違い。
そんなことが本当にしょっちゅうあった。
でも当時の僕にはそんなこと、全く気にならなかった。
むしろ自分が勘違いした歌詞の方が、本来の歌詞よりも絶対カッコいいじゃん! とよく思ったものだった。
だから本当の歌詞の意味を知って、それ以来好きじゃなくなってしまった曲もいくつかあったりする。

食べ物の好みや音楽の趣味に限らず、恋愛だって同じような具合だ。
これまた高校生の頃、初めて一緒のクラスになった一人の女子がふと気になりだした。
その子に対する興味は日に日に高まっていたが、会話をすることはしばらくの間、一言もなかった。
クラスの女子とまともに話せなかった当時の僕は、その子に関する話やウワサを小耳にはさんでは、勝手なイメージを頭の中でぐるぐるかき回していた。本人と直接話したことも無く、実際にはその子についてほとんど知らないまま、その子のことをどんどん好きになっていった。イメージは僕に都合のいい形で、どんどん磨かれてピカピカに光り輝くほどに美しくなっていった。
その後何かのきっかけで、その子と話をするようになった。
そこから、その子の本当の姿を知ってしまった。
思っていたより性格が悪かったり、驚くような醜い言動を見てしまったわけではない。
むしろその子は普通だった。思ったより普通過ぎて、僕はがっかりした。
僕の頭の中にいた頃のその子の方が、もっと光り輝いていた。目の前に現れた本当のその子は、もう魅力的ではなかった。
同時に、頭の中のあの子は初めからどこにも存在しないということが分かり、僕はどん底まで悲しくなった。

こうやって考えてみると、あまり詳しくないことの方が、より好きになるのかもしれない。
あまりよく知らないことの方が、色々好き勝手に想像できる余地が残っているからだろうか?
好きになったものそのものよりも、それを愛しく想っている頭の中が僕は好きなのだと気づいた。

目の前にある好きなものよりも、それによって生まれたイメージの方が好きになってしまったとして、それが何か困ることがあるだろうか? いや、無いと思う。
そのやり方以外で、何かを好きになる方法を僕は知らない。
隅々まで知ってしまって、もう知らない部分が残っていないような「もの」「こと」「ひと」なんて、どうやって興味を持てるというのだろうか?

そんなスタンスで物事を好きになる僕は、映画を見ることが好きだけれど、以下のような会話には一生入っていけないような気がしている。
「あの映画監督は、前作から確実に進化しているよね」
「たしかに。元々、ドイツの映画学校で学んでたから、その感じが出てるよね」
「たしか、ラース・フォン・トリアーの助監督やってたんだっけ?」
「ニンフォマニアックの撮影中に、喧嘩してクビになったって聞いたよ」
こんな会話に無理して入っていくよりも、一人で「キングコング」でも見てドキドキしている方が、僕は好きだ。

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2017-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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