プロフェッショナル・ゼミ

嫌われる覚悟より「好かれる覚悟」の方が難しいかもしれない《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:石村 英美子(プロフェッショナル・ゼミ)

女性従業員の制服は、常時ストックしていた。5号から13号。しかし彼女に合うサイズはなかった。

「やっぱ13号入んないっす!」
「全然だめ?」
「全然っす。チャックが……」
「じゃぁ、取り寄せるね」
「すんませーん、なんか」
「いえいえ」

私の後継として派遣されてきた木原綾香ちゃんは、大型新人だった。背が高く大柄で、太っているというよりはがっしりしていた。ほっぺたがテカっとしていて子供っぽい顔立ちだったが、年齢は今年30歳になるという。私がこの会社の総務人事課を辞めることになり、上司の女性課長は引き継ぎのため一ヶ月も早く後継の派遣社員を入れてくれた。

私がこなしていた仕事は特に難しいことはなかったが、月末月初のみに行うこと、月のどこかで数日かけてやること、日々のルーチンワークなど雑用の極みで、数名の部長・課長・取締役の仕事が集まって出来ている。そのため、直属の上司すら、私がやっていることを全て把握しているわけではなかった。ただ、備品管理で力仕事も意外に多いことは分かっていたため「力仕事が苦にならない」ことを条件に入れたところ、やってきたのがこの大型新人だ。

木原ちゃんはずっとスポーツをやっていて、前職はスポーツクラブ勤務だったのだそうだ。「力仕事? 任せんですか!」というので、彼女の制服を見繕うついでに、制服関連の在庫整理を手伝ってもらった。女性事務員用とは別に、パートさんも含め千人近い会社の全従業員が着るシャツのストックがある。バラバラの大きさのダンボール箱の山がそびえていて、支店から発注があるたびそのサイズの箱から引っ張り出すため、ちょっとずつ乱れてなかなかの惨状だった。

「これ、男女兼用ですか?」
「うん。これ、木原ちゃんも土日は着るからね」
「はーい。Lでいいかなぁ」
「中古のやつがあるから、後で着てみたらいい」
「りょーかい! 3Lまであるから大丈夫ですよね」
「さすがにね」

木原ちゃんが来て2日も経たないのに、私は彼女をちゃん付けで呼んでいた。何も違和感がなかった。彼女は私を「石村しゃん」と呼んだ。ずっとスポーツをしていただけあって、とても元気に返事をする。ガサツの一歩手前くらいにさっぱりしていて、こちらとしても非常にやりやすい。小一時間で倉庫は片付いた。そして空いたダンボール箱を、力強く潰してくれた。

実は、か弱い女の子が来たらどうしようと思っていた。力仕事もあるし、何より私は「女子」が苦手だった。何を考えているかわからないから妙に気を使う。だから、来たのが木原ちゃんのような子で本当に良かったと思っていた。

しかしそれは後々、思い込みだったことに気づかされる。

数日経って、まず一度「あれ?」と思うことがあった。社内で引き継ぎがてら台車を押して仕事をしていると、他部署の人から声をかけられたのだ。

「お、子分連れてどこ行くの?」
「社内便倉庫でレクチャーです」
「木原です。よろしくお願いします」
「なんか……頼もしいねぇ。よろしく!」
「はい! お疲れ様です!」

にこやかにすれ違って通路の角を曲がった時に、木原ちゃんがボソッと呟いた。

「頼もしいって、余計な御世話ですよね」

どきっとした。確かに頼もしいっていうのは、取りようによっては失礼だ。彼女の体格を見て発せられた言葉なわけだし。

「あぁ、なんか、ごめんね」
「いやいや、石村しゃんが謝らないで下さいよ。ああいう失礼なおっさんが嫌なだけです」
「悪気は無いと思うし、結構いいおっさんだよ?」
「でもあたし、あの人嫌いです」
「嫌いかぁ」
「若い子には、かわいいねぇとか言うタイプでしょ。会社なのに」

正解。木原ちゃんの言う通りだった。彼は新入社員にセクハラとまでは行かないまでも「かわいいねぇ」と言い続け、本人からの苦情がコンプライアンス委員会を経由して注意が出たこともある。総務人事にいると、そういうのも耳に入ってくる。

「難しいなぁ、そこのさじ加減」
「難しく無いです。好きな人に言われて平気なことでも、嫌いな人から言われたら嫌なんです。それだけ」
「確かに」
「でも大丈夫ですよ。仕事なんで、ちゃんとします」

私は、木原ちゃんの事を少し見誤っていたのかもしれないと思った。私だって、あのおっさんと同じように接している。木原ちゃんは、本当は嫌な思いをしているのを我慢しているだけなのかも。

しかし、急な方針転換もできないため、それまで通りに接した。彼女のやり方が間違った時には「おーい木原ぁ、違うぞー」と呼び捨てにしたし、木原ちゃんも「さーせん!」と答えた。体育会系風味の先輩と後輩は、型として楽しかったしやりやすかった。そしてそのうち「頼もしい」の一件は忘れてしまった。そして一週間ほど経って、木原ちゃんの事務員用制服が届いた。

「入りました!」
「おお、良かった。15号までは既製品だけど、それ以上になると特注で一ヶ月はかかるから」
「マジすか。良かったギリ規格内で」
「しかし、この5号とかほんと小さいよね。全社員で二人かな」
「二人もいるんすか、すげー。石村しゃんは9号ですか?」
「うん。全てが標準サイズだから、手間とお金がかからないのだ」
「うらやましす」
「ほほほ、うらやましがれ」

木原ちゃんは、他の女性社員と同じ制服になるのが嬉しいようだった。私は制服なんて面倒だと思っていたが、一人だけ違うものを着ていて変に目立つのはやはり居心地が悪かったのかもしれない。フロアに戻ると、女子課長の目があったので制服の件を報告した。

「あら! 意外と似合うじゃ無い。良かったね既製品で間に合って。心配してたのよ。常務にも、あの子制服無いの? なんて訊かれて、着れるサイズが無いないなんて言えないでしょう? あはは」

課長はケラケラと笑った。木原ちゃんも「なんとかセーフでしたぁ」などと笑っていたが、課長が居なくなると案の定こう言った。

「なんか、笑いすぎですよね」
「笑うしか無いでしょう。言いにくいこと言うときは」
「あたし課長にバカにされてる気がするんですけど」
「あら、どの辺が?」
「何か聞いても、まずため息つくんですよ。ちょっとですけど」
「……ただの癖じゃ無い?」
「他の人の時にはしませんよ」

また正解。課長は、木原ちゃんの事を少し軽んじている。わたしも薄々感じていた。昨日の帰りに、木原ちゃんのお茶だしの所作が雑なのを指導しておいてと言われたばかりだが、私には特に雑だとは思えない。課長は彼女のキャラだけで、そうに決まっていると思っているふしがある。木原ちゃんのような子は、こう言う扱いを受けやすい。

「気にすんな」
「してませんよ。ただ、あたし課長嫌いです」
「あらそう」
「嫌いでも、ちゃんとしますけどね」

木原ちゃんがこうやって私に思った事を言ってくれているのは、私のことを信頼しているからなのか、なめられているだけなのか量りかねた。そもそもこのように至近距離で後輩がいたことなど無い。気の利いたことが言えずに黙っている私に、木原ちゃんは言った。

「あ、あたし石村しゃんのことは好きですよ! 念のため言っておきますけど」
「なんの念押しだよ」

体育会系のさっぱりした子は腹にためたものなんかない、と言う幻想はあっさり覆されたが、それでもまぁ、普通といえば普通だと考えた。

そう、まだ普通だと。

引き継ぎも半分以上終えた頃、木原ちゃんから飲みに誘われた。木原ちゃんは車通勤だったので、日程を決めたらその日はバスで来ると言う。「いいけど割り勘だぜ?」と言う私に「大丈夫です。あたし割り勘勝ちしますから」と威張って見せた。

なんの変哲も無い居酒屋で生ビールを頼むと、木原ちゃんは真剣にメニューを見た。私はご飯をたくさん食べる人が大好きだ。なのでオーダーは完全に任せた。彼女が注文したメニューは気持ちがいいばかりにガッツリ系ばかりで、私は大笑いしながらそれらをつまんだ。

「なんで揚げ物三連発なのさ」
「外でご飯食べる時って、揚げ物頼まないと損した気がしません?」
「どう言うこと?」
「あれ、揚げ物嫌いですか?」
「嫌いじゃ無いよ」
「家で揚げ物しないでしょう? だから、外で食べないと」
「あぁ、それは分かる」
「あ、サラダ頼まなくて良かったですか? 女の人はサラダ好きでしょう?」
「いいよもう、そんなに食べれないし」
「食べれなかったらあたし食べますから。すいませーん! シーザーサラダと生いっちょ!」
「ペース早いな!」

この後、串物と明太だし巻きも追加した。部活の男子高校生と飯食ってる気分だった。木原ちゃんはあっという間に生ビールを四杯飲み干すと、ドリンクメニューを見て悩み始めた。酒は強いそうだが、日本酒にするか焼酎にするかで酔い方が変わると言う。私は好きにすれば? と言った。

木原ちゃんは頼んだ食べものをあらかた平らげ、二合のお銚子も2本目を頼んだ。この二週間ちょっと、とても緊張していたことや、きちんとした「会社」で働くことへの不安を吐露し始めた。そんな中、先輩の私がとてもざっくりした人物で、口調も雑なのがとってもありがたかったと礼を言われた。

「あたしですね、石村しゃん好きなんですよ」
「ありがとう。なんの得にもならないけど」
「もう、なんすかー。石村しゃん、すごく人を見てるじゃ無いですか。そんで、わかってて放っとくじゃ無いすか。そう言うの好きなんです」
「そうだね、木原ちゃんが怨念体質なのも分かってるけど別にいいかなと思う」
「あぁー! バレてるぅ」
「やっぱ日本酒やめといたほうがよかったか?」
「聞いてくださいよ!!」
「はい、聞きますよ」
「もっと興味を持って下さいよ!」
「はいはい。どーぞ」
「これってね、親父のせいなんですよ」
「ほう、お父さん」

木原ちゃんのお父さんは、スポーツの指導者だったそうだ。子供の頃から厳しく練習させられ、木原ちゃんは大会でもいい成績を納めるようになったそうだ。しかし、木原ちゃんによるとその指導は常軌を逸していた。

県外での大会で、負けたことに腹を立て木原ちゃんを置いて父親が帰ってしまったこと。父親は負わせた骨折が何箇所もあること。言われたことができなくて、気絶するまで殴られて救急搬送されたこと。真冬に頭からバケツで水をかけられ、家の外で正座させられたこと。

予想の範疇を超えた内容に、はっきり言って固まったが、なんとか「そっかー」と相槌を打った。木原ちゃんが外面をキープするようになったのは、指導者だった父親の面子を守るためで、それは染み付いて抜けないのだと言う。

「たくましく、育ったのだね、木原ちゃんは」
「だからですねー、もう殺してやろうと思ったんですよー」
「でも、殺さなかったんでしょ」

木原ちゃんは手酌で日本酒を注ぐと、言った。

「失敗したんですよ」
「ん? どう言うこと?」
「あのですね、うちの家に、生徒も住んでたんですよ。親父が指導してる生徒。寮みたいになってて、親父はそっちで寝てたんですよ。だから、もう殺してやろうと思ってですね、行ったんです。でもいくら寝てるからって、起きたらあたしが殴り殺されるじゃ無いですか」
「う? うん」
「だからね、灯油をかけて火をつけました! 家、全焼しました」

今度こそ本当に固まった。何を言えばいいのかわからない。絞り出した言葉がこうだ。

「でも、失敗したんでしょう?」
「そうなんですよ。親父殺してやるって思ったけど、生徒さんは死んだらかわいそうじゃ無いですか。だからドア叩いて起こしました。そしたら親父も起きちゃったんですよねー。うおーーとか言ってました」

その後、不思議と警察と消防の追求はなかったそうだ。

「中学生でしたからねー、泣きながらドア叩いてたの、近所の人も見てたから、まさか犯人とは思われなかったんでしょうね。でも親父は分かってたかも」

酔いが引いていくのが分かった。木原ちゃんは、過去の間違いだった、若気の至りだったと言うが、その心の闇の深さに唖然とした。

「あたし、この話したことないんです。石村しゃんならきっと分かってくれるかなって思って。だってあたし、石村しゃん大好きなんですよー」

この後、いくら飲んでも酔わなかった。店を出てすぐのところでタクシーを拾い、木原ちゃんを乗せた。

この翌日以降、私が退職するまで木原ちゃんと仕事をした。私が辞める日には、彼女は泣いてくれた。「辞めないでくださいよ」と言う彼女に「いや、辞めるから君が来てるんだし」と冷静に言うと、木原ちゃんは泣きながら笑った。

私がなぜこんなに木原ちゃんに好かれたのかはわからない。本音をぶちまけてくれたのも信頼の証だったのだろう。しかし、未だに思う。いっそ嫌われた方が楽だったかもしれない。彼女の闇は現在でも続いているのが明らかで、それをなぜ私には「分かってもらえる」と判断したのかも謎だ。だって、私には受け止める覚悟などなかったのだ。

正直、彼女の多層構造の人格が怖かった。表向きは明るい体育会系なのに「好きだ」と判断されただけで、深い層の人格を見せられるのが重かった。もしかしたら、人間の心はみんなこんな風に層をなしているのかもしれないと考えると怖くなる。木原ちゃんのことは、基本的に好きだったけど、もう会わなくなって本当にほっとしている私がいる。

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