成功するために必要なのは「頑張る」ことではなく「信じ抜く」ことなのかもしれない《25年の時を経て蘇るSUPER FOLK SONG〜ピアノが愛した女。〜》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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木村保絵(ライティング・ゼミ特講)
“I can judge myself !”
——私は、自分の演奏を冷静に評価できるわ
悔しさをぐっと飲み込みながらそう言い放つ若き日の矢野顕子の姿に、思わず惹きつけられる。
「私にはできる。絶対出来る」
それは彼女の本心であり、言葉にすることで絶対に実現するんだという覚悟のようにも思われた。
金曜の夜の小さな新宿の映画館。
場内は満席で、隣の女性の鼻をすする音が終始聞こえるほど席の間隔は狭かった。
ギュウギュウに詰められた人達の熱気で少しムッとする中、そこにいた人々は息をひそめながら、天才が作品を生み出す様子をジッと眺めていた。
『SUPER FOLK SONG〜ピアノが愛した女。〜』
1992年に公開されたドキュメンタリー映画が今年[2017デジタル・リマスター版]として再公開された。
天才と称される矢野顕子が音楽を生み出す瞬間を追い続けた記録映像だ。
昭和の終わりに生まれた30代のわたしにとって矢野顕子は、ずっと「ポンキッキのひよこの歌の人」のイメージだった。もしくは清水ミチコがモノマネをする人。恥ずかしながら、彼女が世界中から愛されるミュージシャンだと知り、その音楽の素晴らしさを理解するようになってきたのは、つい最近のことである。
「あれ? この人、モノマネされて面白くて笑っていたけど、もしかしてすごい人かも」
彼女のCDを何枚も聴き続け、鳥肌が立ったことがある。
「うわー、今まで何てもったいないことをしてきたんだろう。
もっと早くからたくさん聞いていれば、もっと違う世界が見えていたかもしれない」
CMソングやモノマネされるくらいでしか彼女を知らなかったわたしは、彼女の音楽に手を伸ばさなかった自分を少し責めたくなっていた。
そしてその思いは、この映画を見てさらに強まった。
「こんな凄い人が、世の中にはいるんだ」
79分はあっという間だった。
どうか終わらないで。もっと見せて。もっとこの世界観に浸っていたい。
そう思うほど、わたしは夢中になっていた。
モノクロの画面が、ずっと続いていく。
天才がピアノの上で頭を抱え、苛立ち、再びピアノに向かい、「よしっ」とガッツポーズを決める。
編集を加えずピアノの弾き語りを一発録りすると決めた緊張感漂う現場。
途中までは誰もが感動する名演奏でも、
「あ……」
一瞬指がもつれると、全て最初からやり直し。
『SUPER FORLK SONG』という名前のアルバムが世に存在しているのだから、いつかは成功するんだと頭ではわかっているのに、ハラハラドキドキせずにはいられない。
——よし、いいぞいいぞ。いけ! よし! そのままだ、いけ!
気付けばまるで自分も現場にいるスタッフかのように息を潜めて彼女の演奏を見守ってしまう。
何度も、何度も、何度も、何度も。
立ち上がって頭を抱えてはまた座って、何度も、何度も、何度も、何度も。
彼女はピアノと向き合い、「これだ!」という感覚を掴めるまで演奏を続けた。
「あー、もう! 絶対出来るってわかっているの。なのに技術が追いつかない!」
そう悔しそうに苛立つシーンが何度もあった。
「絶対出来るとわかっている」
そう信じることができるから、何度でも挑戦をする。
現場では、何人ものスタッフが、彼女の演奏をジッと見守っている。
待たせることもストレスになるだろう。
「さっきの前半と、今の後半をつないでおいて」と言ってしまえば、それで済むはずだ。
でも、彼女は決して諦めなかった。
「絶対出来るの。私には出来るの。わかっている」
自分を信じることが出来るから、続けることができる。
できるとわかっているから、絶対に諦めない。
限界を超えてもこだわり続け、自分の納得のいく音楽を求め続けた。
“I can judge myself !”
——私は、自分の演奏を冷静に評価できるわ
アメリカ人マネージャーが「君はアーティストなんだから批評家にならなくてもいい」
そうやさしく声をかけた時だった。
とにかく楽しめばいいんだよ。良い音楽かどうかを判断するのは別の人間の仕事。そんなに自分自身を追い詰めなくてもいい。行き詰まる彼女をやさしく救い出そうとしていた。
それでも、彼女は苛立ちを抑えながらも反抗した。
“I can judge myself !”
——私は、自分の演奏を冷静に評価できるわ
私にはわかる。必ずできるとわかっている。
そう言い切ることは、簡単にはできない。
仕事や創作やスポーツや、何かに真剣に向き合っている人であれば、こう言い切ることの難しさを嫌という程知っているはずだ。
自分のことは、一番自分が見えていない。
まして自分が全力で作り出した物、頑張ったことは出来れば評価されてほしい。
だけど不安だし、他人がどう思うかもわからない。
自分自身で冷静に客観的に判断を下すなんて、到底出来るものではない。
だからこそ、あの一言だけでも、彼女の凄さを感じずにはいられない。
そう言い切れるには、根拠がある。
自信を持てるだけの実績と努力があり、未来に対しても覚悟を決めている。
だからこそ、絶対に出来るし絶対にやると、言い切ることが出来る。
それが良い物かどうかを、感情抜きに自分で評価することが出来るのだ。
制作現場をを映し出した映画を観た後に、完成されたアルバム『SUPER FOLK SONG』を聴くと、驚愕する。
ピアノの音も、彼女の声も、あまりにやわらかく、やさしく、心にじわじわ染みてくるからだ。それを録音するまでの葛藤や苛立ちは一切感じない。
あたかも、ピアノに触れれば、口をひらけば自然とそんな音楽が作られるかのように、心地よい音楽が奏でられている。
「どうして自分は頑張っても頑張っても上手くできないんだろう」
そう悩んでしまった時には、またこの映画を見て、アルバムを聴いてみようと思う。
彼女の音楽が、理屈抜きに背中を押してくれるはずだ。
「〈これだけのことができているだろうか〉と自分に問いかけたくなる」
アーティストでもあり、彼女の娘でもある坂本美雨がそんなコメントを寄せている。
母と娘にはいつも複雑な感情がつきまとう。大好きだけどそれを素直に認められなかったり、どこかライバルのような思いがあったり、照れくさかったり。
実の娘が素直にそう言えてしまうというのは、本当にすごいことだと思う。
だけどもしかするとそれは、矢野顕子やアーティストの話だけではないのかもしれない。
母が娘のわたしにしてくれたことを思うと、いつもわたしは「自分にもしこどもがいるとしたら、母のようにあそこまでできるだろうか」と思ってしまうことがある。
何をしていても、母の愛には敵わない。そんな気がしてしまう。
恐らく、矢野顕子の音楽に対する想いは、そんな母の愛のように本気で、絶対なのだ。
だから妥協も許さないし、信じ抜く。絶対出来ると信じ、何度でも何度でも出来るまでやり続ける。
映画『SUPER FOLK SONG〜ピアノが愛した女。〜』
彼女がピアノに愛されたのは、何より彼女がピアノを愛したからだ。
本気で愛し、信じ抜いたからこそ、ピアノにも、音楽にも、周囲にも愛された。
前に進めず悩んだ時は、あの映画の中の矢野顕子や、母の姿を思い出してみようと思う。
自分は本気で愛する覚悟で、その事と向き合っているか、信じ抜いているだろうか。
意識を「頑張る」ことから「信じ抜く」に変えた時、何か糸口が見えてくるかもしれない。
そして彼女の生み出す音楽を聴いてみる。
やさしくも力強い彼女の音楽は、きっと何かに真剣に向き合う人に、力を貸してくれるはずだ。
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