プロフェッショナル・ゼミ

どっちがいい? と、彼は言った。


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記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

「ねえ、どう思います? ねえ?」
「……えっ? なんだっけ」
アイスティーのグラスに流れる水滴に見とれていた私は、彼の声に我にかえった。
「だからぁ、自転車と時計、どっちがいいと思います?」
「どっちって、言われても、ねえ……」
「じゃあ、じゃあ、あえて、どっちかって言ったら、どっちですか?」
「うーん、自転車と時計でしょ……正直、ビミョー!」
「そう言わずにどっち? どっちですか?」
彼は、小さなテーブルに身を乗り出して、目を輝かせている。
「しつこいなー! まあ、どっちかって言われれば、そうだなあ、その……、マンションかな」
「えー!! そうくるかあー!」

木村 芳樹。

椅子の背もたれにオーバーにのけぞってみせる彼は、地元で名の知れた出版社の営業だった。木村の会社と私のいる編集会社は付き合いが古く、時々、取材などを依頼されていた。
木村は私と歳が同じだった。
木村にとって私は話しやすかったのだろう。よく指名で仕事を依頼してくれた。私にとって木村も、お得意様でありながら、気兼ねなく話せる同級生で、いつのまにか冗談を言い合える仲になっていた。

「この後、時間とれませんか?」
「木村さんが、どうしてもって言うんなら、仕方ないですね。あー、のどが乾いたなあー」
木村の会社の発行する雑誌に、新規で広告を出すお客様のところへ取材に行った帰りだった。木村はすぐに社に戻りたくないと、近くのカフェに私を誘った。もったいぶった私を笑いながら、うれしそうにアイスティーをおごってくれた。
「今日の原稿なんですが、いつまで上げればいいですか?」
席に着いた私は、ひとまず切り出した。
「あー、今日のはそうですね……、いつでもいいです!」
「いつでもって、木村さん! そういうの困るんですけれど!」
「ですよねー! でも本当、急がないんですよー」
「とか言って、後で急に仕上げてくれって言われても困るんですよ」
「あー! あの節はすみませんでしたー! でも本当、山形さんのいい時でいいです」
「いい時って! こちらこそ本当、困りますぅー!」
「あ!」
「え?」
「それより僕、今、自転車ほしいんですよー」
「木村さん木村さん! まだ話、終わってないんですけれど!」
木村と私の会話はいつもこんな調子だった。何度も仕事をしたことはあるが、あまり仕事の話は好きではないみたいだ。なんだかんだと、はぐらかされて、いつも木村のペースになってしまう。でも私はそれが嫌いではなかった。

「これ! これなんですよ!」
うれしそうにスマートフォンの検索画面を私に見せてくる。
「ああ、これ、カッコいいですよね」
木村がほしい自転車というのは、イタリアの老舗メーカーのものだった。車体のエメラルドグリーンがトレードマークで、人気が高いブランドだ。
「わー! 山形さん知ってるんだ! うれしい!」
「確か、一月一日に見た空の色を、その年のモデルの色にしているっていう……」
「山形さん!!」
木村はこれから自分が話すつもりだった自転車に関するうんちくを、私が話し始めたことが意外で、そしてうれしかったようだ。大声で私の名前を叫ぶと、テーブルをドンと言わせて、身を乗り出してきた。
「ちょっと! うるさいから!」
木村の隣に座っている学生らしき女の子が、スマートフォンから目線を上げて、ジロリと私をにらむ。
「やー! すごい話が合うなあ! なんならお揃いにしちゃいます?」
「話が合うんじゃなくて、合わせてるだけだから! 私自転車乗らないし!」
「えー、そう言わずにどうですかー?」
「スカートで乗れないじゃん! だからイヤなの!」
「そうかー。あ、あと僕、時計ほしいんですよ!」
木村はスマートフォンでまた何かを検索している。
「ちょっとちょっと、自転車の話、もう終わりかい!」
「狙っているのは、これなんですよー」
しぶしぶ目を向けた画面に映っていたのは、端正なデザインに、青い針が印象的な腕時計だった。
「ああ、確か、ドイツの、バウハウスデザインとか……」
「山形さん! うれしい!!」
木村は声を飲んで、テーブルの上で組んでいた私の手を握ってきた。
「ちょっと、さわんないで!」
隣の席に座る女の子は、もうこちらを見ない。
私はすぐに手を引っ込めたが、木村は、うれしくて仕方がないといった様子で、その時計がいかに優れているのかを話し出した。
「この針の色、きれいですよね! 知ってますか! 実は色を染めているんじゃないんですよ!」
「へぇ、そうなんですねー」
時計職人のクラフトマンシップについて、とうとうと話す木村の声に眠たくなってしまった私は、グラスに流れる水滴を見つめていると、話題はいつの間にか、別のことに移っていたらしい。

「女の人にモテるには、自転車と時計、どっちを買えばいい?」

いつもどうでもいい木村の話だったが、これぞ本当に、どうでもいい質問だと思った。正直、自転車も時計も、どちらを持っていようといまいと、木村は何も変わらない。いつもヘラヘラしていて、女子の友達みたいに気兼ねなくて、でも、弟みたいにほっておけない。それが木村だった。
「木村さんあのね、どちらか買ったぐらいで、女にモテると思うなよ!」
「えー! 山形さんの意見を聞かせてくださいよー」
確かにどちらも高額な買い物だ。けれど、それがどうだってんだろう。
あんまりしつこく答えを求められて、めんどくさくなった私は、木村の背中にある窓に映っていた、建設中の建物を見て、思わず「マンション」と答えてしまったのだった。

「今、会社で『フェス』が話題になっていてー」
「マンション」という私の答えに大げさなリアクションをとった木村は、すぐにまた、いつものように別の話をし始めた。
「へー」
「わー、心のこもってない返事!」
「だって、興味ないもん」
「山形さん、音楽好きじゃないですかー?」
「音楽は好きだけど、私、屋外って、キライなんだよね!」
「えー! これからの季節、いっぱいフェスあるんですよ、一緒に行きましょうよー! 絶対楽しいですよー!」
「絶対行かない! 私は日焼けがイヤなんです!」
「えー! 楽しいのになあー」

初夏の昼下がり。結局、仕事の話はほとんどせずに、カフェを出た木村と私は、街路樹の日陰を歩き、それぞれの会社に戻った。

三日後、私が会った木村は、祭壇の上の写真になっていた。

「山形! 大変だ!」
木村の死は、会社の部長から知らされた。
「え、なにそれ! だって、これ、原稿……」
私は木村の仕事の原稿を終えたところだった。
「今、電話もらったんだ。無断欠勤かと思ってたところに、警察から連絡が入ったらしい」
「警察? どういうこと?」
「近所の建設現場だったらしい。はっきりとは言ってなかったけど、どうやらそういうことらしい」
「そういうことって、なによ!」
「じさつ、ということだ」
部長が私に耳打ちしてきた。
彼は、私と会った日の夜、新築中のマンションの工事現場に忍び込み、飛び降りて死んでいた。

「ガチャン」
よろけた私はデスクにあったマグカップを床に落とした。
給湯室からぞうきんとバケツを持ってくると、あっという間にカップの破片を集め、冷めたコーヒーを拭き取ってくれる、向かいの席の今井さんの手際のよさを眺めながら、先日の会話を思い出していた。

「女の人にモテるには、自転車と時計、どっちを買えばいい?」

部長と駆けつけた木村の会社では、訪れる仕事の関係者のために、小さな会議室に祭壇を設けていた。木村の遺影の前には花と線香が手向けられ、私もみなと同じように焼香をした。木村の上司の人に、ひと言ふた言、挨拶はしたが、私の頭はいっぱいだった。
なんで、女にモテようと考えている人が死ぬわけ?
私の気をひこうとしていた人が死ぬわけ?
信じられなかった。ついさっきまで目の前にいたのに。あんなに笑っていたのに。どうでもいい話ばかり、していたのに。

木村の死は、新聞やテレビで報じられることはなかった。出版社は地元で知られた会社だったのに、だ。私は原因がなんとなくわかったような気がした。
木村の後には、すぐ、新しい営業がついた。水野さんという私より10歳も年上のベテランが会社に挨拶に来て、木村の会社と私の会社の付き合いは変わることはなかった。
それから水野さんも、私の会社でも、木村の話にふれることはなくなった。
彼から依頼されていた仕事は、お客様の予算の都合、ということで流れたと聞かされたけど、木村が原稿の上がりを「いつでもいい」と言ったことを思い出すと、そもそもあの仕事自体、確かなものだったのか、わからない。
だとしたら、あの日、木村は、私に何を伝えようとしていたのだろうか。
あの質問が、私に対するSOSだったのだろうか。

「女の人にモテるには、自転車と時計、どっちを買えばいい?」

私があの時「自転車」と答えていれば、彼はもう少し、遠くへ行けただろうか。それとも、「自転車」で、車の前に飛び出しただろうか。

私があの時、「時計」と答えていれば、彼はもう少し、人生の時間を伸ばせただろうか。それとも、新しい「時計」ごと、すべての時間を止めてしまっただろうか。

そしてなにより聞きたかった。
私の言葉で、「マンション」からの飛び降りを決意したのだろうか。それとも……。

あの日と同じ、初夏の昼下がり。街路樹の日陰で首筋に流れる汗を感じながら、信号が変わるのを待っていた。私は、考えていた。彼がいなくなってから7年間、考えても考えても答えの出ないことを、また、考えていた。

信号が青に変わり、歩き出した私の後ろから、大きな風がやってくる。
それはスーツ姿の男の子が颯爽と走らせる、エメラルドグリーンの自転車だった。
その背中が道の向こうに見えなくなるまで、横断歩道の真ん中に、私はずっと、立ち尽くしていた。

これはフィクションです。

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