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メディアグランプリ

宇宙人との思い出は、今も胸の中に


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:及川智恵(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
あれはたしか、幼稚園の年中組の夏休みのこと。
一緒に暮らしていた祖母と、田舎の曾祖父に会いにいくことになった。
 
宮城県栗原郡築館町。私の祖母や母が生まれ育ち、曾祖父が当時も暮らしていたその地には、親戚が大勢住んでいた。とはいえ、私自身とは少し遠い親戚が多く、訪れたことはそれまで一度もなかった。祖母はこの機会に、孫の顔をできるだけたくさんの人たちに見せたかったのだろう。曾祖父以外の人にも会えるように、4日間ほどの計画が立てられていた。
 
まだ小さくて旅には耐えられそうになかった弟と両親を埼玉の自宅に残して、当時4歳の私と64歳の祖母、ふたりきりで大宮駅から新幹線に乗り込んだ。生まれて初めての新幹線。生まれて初めて両親と離れる時間。生まれて初めての長期お泊まり。いくら祖母がついているとはいえ、人生初の大冒険だった。
 
新幹線を降りると、迎えの車が来ていた。記憶が定かではないが、おそらく祖母の兄弟やその子どもたちだったと思う。いずれにしても初対面の大人ばかりで、人見知りの私はたいそう緊張していたが、どこに行っても最年少の4歳女子は、もれなく全員からべたべたと可愛がられた。このときばかりは、弟が留守番で良かったと思った。
 
さて、ここからがメインイベントだ。車で向かう先には、曾祖父がいる。
 
曾祖父の話は、祖母や両親から何度か聞かされていた。聞かされていたと言っても、畳屋を営んでいたことと、90歳を過ぎても病気ひとつせず元気だということぐらいだったが、特に長生きであることに関しては、誰もが誇らしげに話すものだから、とりあえず「ひいおじいちゃんってすごいんだな」という認識があった。当時彼は95歳前後だったと思う。
 
私にとって曾祖父母にあたる人は、生まれた時点で彼しか残っていなかった。たった一人の曾祖父。聞かされていた内容も相まって、会う前から既に伝説の存在になっていた。
 
そんな曾祖父に対面したときの印象は、ただひたすら「こわい」というものだった。
 
決して怒られたりしたわけではない。ただ当時の私は、95年も生きている人間に会うという経験が初めてで、見たこともない生き物に会ってしまったような衝撃的な気持ちだったのだ。
 
健康とはいえ、曾祖父の顔には年相応のしわが深く刻まれていた。髪の毛も当然少なく、腰も少し曲がっていた。足もあの年齢にしては丈夫だったのだろうが、明らかに年を取った人のおぼつかない足取りだった。手を貸したりすればいいのか、声をかければいいのか、何か優しくした方がいいのか。どう接したらいいのかまったくわからなかった。そういう状態で生きている人間というのを、私はその日まで見たことがなかったのだ。
 
そして、東北の田舎にずっと暮らしてきた祖父の言葉は、まるで理解不能だった。方言だけでなく、年齢的な滑舌の悪さも合わさっていたのだと思う。私は「おとなしいわねえ」と周りが言ってくれるのをいいことに、曾祖父に話しかけられても、ただ適当に頷いてその場をやり過ごした。意味がわからなかっただけなのだけど。
 
4歳の私にとって、95歳の曾祖父は完全に宇宙人だった。70代ぐらいまでのお年寄りなら、当時の私も接したことがあったはずだ。しかし、曾祖父は見た目も言動も、自分の知っている「人間」の範囲を完全に超えていた。ものすごく特別で、畏怖すべき存在に思えた。それは今までに感じたことのない、とても複雑なこわさだった。
 
結局、曾祖父とのやりとりで記憶しているのは、唯一理解できた「ちえ、もろこし持ってけ」という一言と、曾祖父の視線の先にあった山盛りの茹でとうもろこしだけだ。そして、私が小学校に入って間もなく、曾祖父は亡くなった。曾祖父に会えたのはこの1回きりだった。
 
曾祖父に会った日から約30年が経った。
 
私を曾祖父に会わせてくれた祖母には、今から8年ほど前に曾孫ができた。私の姪にあたるその子は、生まれて間もない頃から「ひいおばあちゃん」と頻繁に交流して大きくなった。
 
大きく年の離れた人間が身近にいる姪の様子を見ながら、私はいろいろなことを考えた。
 
ひいおばあちゃんの存在は、姪の目にどう映っているのだろうか。私が曾祖父に対して感じたように、宇宙人のように見えているのだろうか。それとも、たった一度しか曾祖父に会えなかった私と違って、姪にとっては頻繁に会える存在だから、ちゃんと人間に見えているのだろうか。
 
高齢の人間というのは、生きて存在しているだけで、若い命の世界を大きく広げてくれる尊い存在なのだと、姪を見ていてようやく実感がわいた。
 
自分と自分の親だけで暮らしていると、多くの場合、身体が動くのが当たり前だし、文化的な差も生じない。親のやっていることを当然のものとして学び、大きくなる。しかし、そこに祖父母の世代が加わると、さまざまな相違が生まれる。さらに、年齢が80も90も違う曾祖父母の世代となれば、当たり前のことがまったくもって当たり前ではなくなる。
 
耳が遠く、足腰の弱い存在がいれば、思いやることを自然と学ばなければならない。今は当たり前に存在するスマホやパソコンだって、曾祖父母の世代には通じないことも多い。その代わり、まったく違う遊び方の知恵がもらえたりする。同世代と暮らしていては学べないことを自動的に学ぶことになる。世界が大きく広がる。
 
たった1回でも、曾祖父という宇宙人に会えた私は幸運だったのかもしれない。わざわざ宮城まで連れていってもらえたことは、とてもありがたいことだったのかもしれない。当時はよくわからなかったけれど、あのとき曾祖父と触れたことには、きっと大きな意味があったのだと思う。なにしろ、自分の世界を一気に「宇宙」まで広げてもらえたのだから。
 
姪にとって宇宙人だったかもしれない祖母は、昨年亡くなった。ほんの3、4年前までは、かつての曾祖父と同じように元気だったが、徐々にやせ細り、記憶が衰え、病院のベッドで動けなくなり、最期は別人のようになっていった。姪はその過程を目の当たりにしながら、ひいおばあちゃんにたくさんの折り紙や手紙を送っていた。小さな胸の内は、いったいどうなっていたのだろう。何を思い、何を学んだのだろう。
 
時は確実に流れ、世代も確実に入れ替わる。でもそれは悲しいこととは限らない。自らの役割を終えた者たちが、次の世代にバトンを渡しているだけなのだと思う。かけがえのない、たくさんのものが刻まれたバトンを。
 
私も姪も、そのバトンをちゃんと受け取った。大切な大切な宇宙人たちから。
 
 
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2017-08-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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