プロフェッショナル・ゼミ

電話番号が記憶から消えるとき、「さよなら」が言えると思っていた。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:松下広美(プロフェッショナル・ゼミ)

090……

まだ覚えている。
覚えていないといけないことは、次から次へと忘れていくのに。
携帯の番号なんて、親の番号さえ覚えていないのに。
はっきりと覚えている、忘れられない11ケタの番号がある。

「もしよかったら、付き合わない?」

高校3年生の夏休み。
午前中は予備校の夏期講習で、いつもならそのまま自習室で勉強をしていた。
その日は、夏期講習の後に文通をしていた人と会っていた。
プリクラを交換していて顔はわかっていたけれど、会うのは初めてだった。
名古屋駅でランチをして、バスセンターのエスカレーターを上っているときに、「次はどこへ行こうか?」というくらいのノリで「付き合わない?」って言われた。

「付き合う」だとか「彼氏と彼女のカンケイ」なんていうのは、本やテレビの世界のことだった。周りに彼氏がいる友達はいた。でも、学校帰りに一緒に帰るとか、今日はたくさん喋ったよ、とか、片思いの延長戦のような話しか聞いたことがなかった。
それに、私には縁のないことだと思っていた。

夕立のような、突然の「付き合ってほしい」の告白。
全く現実味がない中で、どうすればいいのか、今までにもらった手紙を読み返して考えた。手紙の中のことが、実際に会った彼の姿と重なっていく。
付き合うってどういうことなんだろう?
参考書には後ろの方のページには必ず答えが書いてあるのに、この問いの答えはどこにもなかった。
「返事はすぐじゃなくていいから」
そう言われたけれど、すぐに答えを出さなくちゃいけない気がした。

彼は歳が7コも上で、社会人だった。私は高校生。
OKをしていいのか、どうなのか、迷った。
もっとお互い、ふさわしい人がいるんじゃないか。今すぐに付き合わなくても、もっと時間をかけて考えてもいいのかもしれない。
迷ったけれど、彼のことが頭から離れなかった。

「この前の返事ですけど、よろしくお願いします」

気づいたら、彼の携帯の留守電に、メッセージを残していた。

その後、電話をもらって、正式に「付き合う」ことになった。

私が受験生の間は、日曜日の図書館デートをしていた。

図書館が開く前から、席を確保するために並んだ。
開く前にこの一週間に会ったことを話した。
隣同士の席に座り、私は受験勉強、彼は資格の勉強をする。勉強しながらも、ノートの端っこで筆談をした。
お昼は外に出て食べて、公園をちょっと散歩する。
午後からも隣同士で勉強をする。眠くなるとちょっと昼寝をし、彼が寝ていると顔を眺めてニヤついていた。
勉強が終わった後に、公園を散歩し「また来週」と約束する。

散歩のときの距離が少しずつ縮まり、触れるくらいの距離になる。
手を繋ぐようになり、腕を組むようになる。
そして別れ際、ちょっと人気のないところに行くと、キスをするようになった。

ふたりの時間を過ごし、少しずつ彼のことを好きになっていった。

「これ、持っててよ」
付き合い始めて、しばらくすると、彼からポケベルを渡された。
ずっと欲しくて、親と交渉したことはあったけど、「自分で払えるようになってから」という理由で持たせてもらえなかった。
「でも……」
そんなに簡単に受け取っちゃいけない気がした。
「ほら、携帯電話を持ってるからさ、今はみんなこっちに連絡が入るし」

連絡する手段が、家に電話するしかなかった時代。
ポケベルを持つ子は多かったけど、携帯電話なんて、高校生には手が出るものではなかった。

私から彼に連絡をするときは携帯に電話をした。
携帯の番号を覚えてしまうのに、時間はかからなかった。

受験が終わり、私が大学生になると、図書館のデートが街でのデートになった。彼の家で過ごすこともよくあった。
日曜日にデートすることは変わらなかった。
朝、家の近くまで車で迎えに来てもらい、帰りは晩ご飯の前までに送ってもらう。

そんな付き合いが、2年続いた。私は大学2年生になっていた。
ちょっとマンネリ感もあったけど、一緒にいることがあたりまえになっていた。
「結婚したいね」と、そんな話をすることもあった。

その日、いつものように日曜のデートをして、家の近くまで車で送ってもらった。
別れ際の時間にいつも車のラジオから聞こえてくるのは、ユーミンの声。
話し声も曲も、なんだか切ない。
切なさを振り切って、「じゃあ、またね」って車を降りるつもりだった。

「後ろの車、すごいこっちを見てくるんだけど」
彼の言葉で、振り返る。
振り返って、バッと前に向き直る。
ヤバい。マジか。
さっきまでの切なさは吹っ飛んで、心臓はバクバクしてくるのに体は冷えていく。
「どうした?」
「……うちの親だよ」

じーっとこっちを見ていたのは、母だった。
さっと、こちらの車をよけて、走っていった。
気付かなかった? いや、目が合った気がする。

うわー、どうしよう。何をどこから説明すればいいんだろう。
このまま逃げ出してしまいたい。
帰りたくない。

ずっと、付き合っている人がいることは親には言ってなかった。
良く言えば、きっかけがなかった。
正直に言うと、後ろめたさがあった。

それでも帰らないわけにはいかない。
何を言われるんだろうと、不安を抱えて家に帰った。
「ただいま」
「おかえり。ごはんは?」
「食べる」
何事もなかったかのように、いつもと変わらない。
つい10分くらい前のことが、夢だったんじゃないかと思うくらいだった。

数日後のこと。
「あれ、この前の、誰? 言ってくれるかと思って、待ってたんだけど」
あ、夢じゃなかったんだ。
母は私から話すと思って待っていた。
何も言わない私に痺れを切らし、突然の攻撃。

名前、年齢、職業、聞かれたことに対して、たんたんと答えた。
尋問が一通り終わった後、
「言えないような付き合いなら、やめなさい」
そう言われて、解放された。

なんで、言えなかったんだろう?
今、付き合っている人がいるの。そう言うだけで、よかったはずなのに。
後ろめたさ? ずっと言えなかったことは後ろめたかったけど。
なぜか、自信を持って「この人が彼氏です」と言えなかった。

付き合っている、ということを話した後もすっきりしなかった。
自信を持って紹介できないってことは、彼のことをそんなに好きじゃないのかも。
じゃあ、私たちは、なんで付き合っているんだろう?
「付き合う」って、どういうことなんだろう?

2年前に出ていなかった答えは、2年付き合った後でもわからないままだった。

それから、毎日していた「おはよう」や「おやすみ」の挨拶メールもできなくなった。彼に全く連絡をしなくなった。
親に話したことを言えなかった。
どうしたらいいんだろう。
答えが出ないまま、会っちゃいけない気がしていた。

私の異変に気付き、彼の方から連絡があった。
会いたくないとしばらく避けていた。
一週間くらい避けていただろうか。でも、いつまでもそのままでいるわけにもいかない。
近くまで来たから、と彼に言われ、会うことになった。

「好きかどうか、わからなくなっちゃった……」
何をどう話していいかわからなかったけど、私の口から出たのはこの言葉だった。
「それって別れたいってこと?」
別れたい? そういうわけでもない気がするけど。
でも、別れたくないと自信を持っては言えなかった。
彼の言葉に対して、無言でいたことが答えになってしまった。
「……出てってくれないかな。これでも傷ついてんだよね」
私を車から追い出す言葉。
恋人としての、最後の言葉だった。

車から降りると、もわっとした空気が体にまとわりつく。
今日も熱帯夜になるのか。
けっこう、あっけないもんだな。
そう思いながら歩いていると、車の中では出なかった涙が溢れてきた。
上を向いて涙を止めようと思ったけれど、止まらなかった。

「やっぱり、友達としていてほしい」
別れ話をしてから数日後、彼から連絡がきた。
野球のチケットも買っちゃってあるし、一緒に行ってほしい。友達としてでいいから。
野球に行くくらいなら、友達でなら、いいよね。

それからは、ときどきメールのやり取りをする関係になった。
文通をしていたときに戻ったような気がした。

「久しぶりに会えないかな?」
そんなメールが送られてきたのは、別れて半年くらい経った年末のことだった。
断る理由もないし、OKした。

もしかして「また付き合ってほしい」って言われたらどうしよう。
「まだ忘れられないんだ、好きなんだ」そう言われたら、「私も」って言っちゃうのかな。いや、ちょっと考えさせて、って言おうかな。
もし、また付き合うことになったら、今度はちゃんと親にも紹介して、後ろめたさのない付き合いをしよう。

再会までの時間。
「もしも」をいろいろ考えた。
ときどき送られてきたメールにも、最近はどうしてる? ってこっちを気にしている内容だったし、まだ未練を持ってるんじゃないか。
きっと、私のことをまだ好きなはず。

年末の独特なウキウキした気分を心の中に隠し、彼に会った。
お酒を飲み、2杯目のおかわりがきた頃、突然の告白が始まった。

「彼女と結婚するって、そんな話になったんだけどさ」
え? どういうこと?
「コンドームが破れちゃったことがあって、彼女が妊娠したかもって騒いじゃって、結婚するからって説得して」
この人は、誰に、何を、話しているんだろう?
「親父に結婚するよ、って話したら、前の子の方がいいんじゃないかっていうんだよ」
頭では会話の内容が理解できるけれど、心がついていかない。
「結局は妊娠してなくて、でもそのことでケンカも多かったし、別れちゃったんだ」

私の「もしも」の妄想はビリビリに破られた。

彼はまだ、私のことを好きなんだ、と思っていた。
きっと未練があって、それで今日、呼び出されたんだと。
「しょうがないな、付き合ってあげるよ」そんな言葉を用意していた。

でも、現実は違っていた。

未練があったのは、私の方だった。

彼は新しい彼女ができ、妊娠騒ぎで結婚の話にまでなり、そして別れていた。
別れたら、元カノのことを思い出して、会いたくなったんだろうか。
元カノなら、こんな話も聞いてくれるとでも思ったんだろうか。
それなら、聞いてあげようじゃないか。
平気な顔をしながら、そんな話を聞くのは苦行としか言いようがない。

私からフったはずなのに、フラれてしまった気分だった。

もう全て忘れたかった。
彼のことを記憶から消したくなった。
それから、二度と彼に連絡を取ることはなかった。

あれから18年が経った。

今でも、忘れてはいない。
ふとしたときに、携帯の番号を思い出し、あのときの情景が浮かんでくる。

ずっとずっと、忘れようとしていた。
忘れようと意識しないと、記憶にフタをして閉じ込めておかないと、忘れたんだと思わないと……。

でも、忘れることなんて、できるわけがなかった。

初めてのデート
初めての告白
初めてのキス
初めての……

彼とは「初めて」のことが多すぎた。
恋人としての「初めて」、大人になる途中の「初めて」、多くのことがありすぎた。

電話番号が記憶から消えたら、彼の存在も記憶から消えてくれるだろうと思った。
けれど、あの2年間を消してしまうことはできない。
あのときの経験の、楽しく過ごした日々のひとつひとつが、今の私の一部になっている。

消えないなら、消してしまうことができないのなら、大切にしようと思う。
大切に宝箱に入れて、そんなこともあったね、と楽しもう。

覚えている番号に、電話をかけることはない。
でも、もし彼と、街のどこかで会うことがあったら「久しぶりだね」って、とびきりの笑顔で言いたい。

***

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