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メディアグランプリ

世界のどこに産まれても、同じ自分だったという自信は全くない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山田あゆみ(ライティング・ゼミ 日曜コース)

 
 
「日本とチリは同じ国でしょ?」
その時、私はソロモン諸島の中心部にある市場に来ていた。バナナ屋さんにココナッツ屋さん、貝殻のネックレス屋さんに、木彫りの人形を売っているお店なんかが、あたり一面に並んでいる。皆、むき出しのコンクリートの上に、木製のとてもシンプルな長方形の台を置き、そこにそれぞれの品物を陳列していた。お店とお店の間隔は限りなく近く、大勢の観光客や地元の人が、狭い通路を行き交っている。市場の中は、唯でさえ暑い外よりも、さらに気温が高く感じられた。それなのに、息苦しくなかったのは、市場の活気に魅了されていたからだろう。見るもの全てが珍しく、面白かった。貝殻のネックレス屋さんの前を歩いていると、ふいに英語で話しかけられた。店主と思わしきその女性は、真っ黒に日焼けしていた。前歯が少しかけている。髪は短く、島の人がよく着ている花柄のアッパッパのようなものを着ていた。50代か60代くらいだろうか。あるいはもっと上か。
「どこから来たの?」
プラスティック製の白い簡素な椅子に座り、じっと私を見つめる彼女は、10年前も20年前も、きっとそこに腰かけて、同じようにお客さん相手に会話をしてきたに違いなかった。椅子は古びていたし、品物用の台は年季が入っていた。
「日本です」
と、私は答えた。何か反応があるかと思ったけれど、彼女はこの回答に対して、特にこれといった感想を持たないようだった。私はその時、たまたまチリ人の友達とソロモンの街を歩いていた。ココナッツ屋さんの店主は、今度はその友人に聞いた。あなたも日本から来たのか、と。
「チリから来ました」
それを聞いて、彼女は言ったのである。
「日本とチリは同じ国でしょ?」
私は、一瞬、彼女が言ったことを理解することが出来ず、戸惑った。この人はソロモン流の冗談を言っているのだろうか。しかし、全く顔色を変えることなく真面目な顔で、こちらをじっと窺っている。チリ人の友達は、困ったなという顔をして、でも、めげずに言った。
「いえ、チリと日本は全く違う国ですよ。ほら、このあいだニュースになったのを知りませんか」
そうして、チリの鉱山落盤事故の説明を始めた。私たちがソロモン諸島を訪れたのは2011年で、その事故があったのは2010年だったので、それはまだ記憶に新しい出来事だった。コピアポ鉱山の坑道が崩落し、33人が地下に取り残されたものの69日後に無事に全員が救出されたニュースについて、彼は真剣に話した。でも、彼女は全く知らないようで、わからないという顔をした。私たちは途方に暮れ、そこで会話は終わってしまった。チリ人の彼は、信じられないな、とつぶやいた。

私は、なんだか愉快な気持ちになった。日本と中国や韓国を同じだという人がいることは、何となく想像できる。だけど、まさか日本とチリを同じ国だと思う人がいるなんて、考えたこともなかった。彼女は、日本とチリの区別がつかないからといって、困ったことなど、きっとこれまでに一度もなかったはずだ。そんなことを知っていようといまいと、彼女の生活には何の影響もなかったのだ。もしも、私がここに産まれ育ったなら、どんな人生だっただろうか、と想像した。世界地図を頭に思い描けない代わりに、活きのいい魚の見分け方だとか、ココナッツの取り方だとかには精通していたかもしれない。この素敵な市場で、彼女のように貝殻のネックレスを売っていたかもしれない。そんな生活だったとしたら、私は何を考えて、どのように生きていただろう。どんな夢を描き、何に喜び、どんなことに幸せを感じただろう。きっと今の考え方とは違ったのではないだろうか。

自分らしく生きよう、そんな風潮が広がったのは、いつからだったろう。それは、歓迎すべき考え方だと思う。まわりに流されることなく、自分の信条を持って、自分で選択をし、生きていくことは素晴らしいことだと思う。だけど、時々、とても息苦しく感じることがある。常に、問われている様に思う。私は、何を考えていて、本当の本当の本当はどう思っているのか。これはちゃんと自分らしい選択か。

だけど、そもそも本当の自分とは何なのだろうか。
私は、日本に産まれることを、自分で選んだ覚えはない。
自分の事は、自分でコントロールしているつもりだった。自分で考え、進むべき道を選択したきたつもりだった。でも、そもそも私という存在自体が、自分で選択することの出来ない偶然の積み重ねによって、つくられているのだ。私は、たまたま、このような環境に産まれた為に、こんな私であり、こんな考え方をしているのだとしたら、自分とは、何と揺るぎやすいものであることか。

自分の人生の責任を自分で取るべく、しっかりと考えることは大切なことだと思う。だけど、あまりにも考え過ぎて、煮詰まった時には、想像してみてもいいかもしれない。ソロモン諸島に産まれていたかもしれない自分を。チリ人だったかもしれない自分を。この広い世界のあちらこちらで産まれたかもしれない私について、思いを巡らせてみるだけで、何だかちょっと楽しくなってくる。それと同時に心が軽くなってくる。偶然が生んだ私を、今を、楽しみながら生きていこう。

 
 
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2017-08-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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