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プロフェッショナル・ゼミ

コーヒーとタバコとパンツの値段《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

「はい、ブラジャーはオッケー、と。じゃあ次は?」
「えっと……ぱ、パンツです」
「はい、パンティね!」
パンティって! 私パンツって言ったのに。あ、でも「スキャンティ」とか言われるよりはマシか、って、いやいや今はそんなことはどうでもいい。

なんで今日なんだろう?

クマのような風貌の野太いおっさんに、パンツをパンティと言い直されながらも、そればかり考えている。
「どんなパンティ? 色は? 何か特徴はある?」
「えっ……く、黒で、レースが付いていて……」
「はい、黒のレースっと! じゃあね、値段はいくらだった?」
それだけではない。私はパンツならぬ、パンティの色や値段まで聞かれている。
「たぶん……1000円くらいかと……」
「はい1000円ね!」
おっさんの明るく淡々とした受け答えに、私の恥じらいがどんどん置いてきぼりにされていく。大きな肩越しにのぞき見ると、手にする書類に太い指でペンを走らせ、おっさんはこう続けた。
「それじゃ、買った時から今まで、どれくらいはいたと思う?」
「えっ!」
このクマ、どんだけ変態なんだよ!?
私の不審な気持ちに気付いたのか、運転席に座るキツネのような目をした細身のおっさんが、バックミラー越しに言った。
「買った値段から時間の経過や使用頻度を考えて、今、どれくらいの価値があると思う?」
なんだ、そういうことか。ならカンタンだ。
私がさっきまではいていた、いわゆる「使用済み」パンツだ。もしかすると、倍の2000円くらいにはなるかもしれない。いや、私はこう見えても女子大生だ。女子大生というブランド力も考えたら、5000円はいけるんじゃないか!!
「ごっ、ご……500円くらいでしょうか」
とっさにそんなことを思ったが、ふと目線を落とすと、そこに冗談を言える余裕は見当たらなかった。
ギリギリだった。ギリギリまであらわになった自分の胸元と太もも。いや、多分見る角度によっては、アレやアレがアレしているかもしれない。そして隣には、同じ姿をしている友人のレイがいる。
裸にバスタオルを一枚、巻いただけの私とレイは、おっさん二人と車の中にいた。

なんで今日なんだろう?

ププーッ。
アパートの外で、クラクションが鳴ったのは、6時間ほど前のことだった。急いでアパートを出て、エンジンをつけたままの車に駆け寄る。ドアを開けるとカーステレオから大音量のロックがこぼれ落ちてくる。
「ごめんごめん、遅くなった!」
助手席に置いていたバッグを後部座席に放りながら、レイが言う。
「ううん! バイト帰りにありがとね」
「私が誘ったんだからさ」
「いやー久しぶりだねー」
「ほんとほんと」
そうだ。私たちは、決して初めてではない場所へと向かっていた。
「あ、懐中電灯持ってきた?」
「持ってきたよー」
私はポケットから小さなマグライトを取り出し、レイの顔をグルグルと照らして見せた。
「おいコラ! 目がくらむ!」
夜の11時、車はスイスイと山道を登っていく。対向車は一台もいない。車のライトの中だけに道が続いていた。しばらくすると、道の真ん中にボックスが見えてくる。明かりはついていない。少し減速して、中に人がいないことを確認しながら通過し、車はさらに山頂へと向かう。

登りきった場所には、数軒の建物があった。いくつかの窓の明かりがもれる間を抜けた先に、砂利の敷地が広がる。駐車場、と私たちは呼んではいたが、果たして本当にそうなのかはわからない。
止まった車から降りると、硫黄の臭いがツンと鼻を刺す。
「気をつけて」
「わかってる」
「ゆっくり」
「うん、ゆっくり」
木でできた大きな門は閉まっている。その脇にある隙間から中に入ると、下り坂。一応整備はされているが、外灯一つない山道に作った木の階段だ。懐中電灯で足元を照らし、二人で腕を組みながら、一段一段、ゆっくりと下りていく。行く先からは、水の流れる音がする。
備え付けられた簡単な脱衣所で靴を脱ぎ、服を脱ぐと、すべりやすい岩場に出て、湯に浸かる。
「あーっ!!」
「ふううー!」
仕事に疲れたおじさんでなくとも、思わず声が出る気持ちよさだ。

私たちが行ったのは、温泉で有名な山の山頂付近にある露天風呂だった。
深夜に向かったのには訳があった。まず、ここまでたどり着くための有料観光道路は、夕方になると料金所から人がいなくなる。そして日中はお金がかかる露天風呂も夕方6時を過ぎると門が閉まり、営業終了。地元の人には知られた穴場で、みな懐中電灯を持ってやってくる。道路や温泉を管理する人にも暗黙の了解だったのだろう。温泉入口の脇にある人が通れる隙間が、ふさがれることはなかった。

「えー! 本当に大丈夫?」
「怖いんだけどー」
「何も見えなーい!」
みんなはじめはそんなことを言う。
川沿いに造られた大きな二つの露天風呂が、木造の脱衣所で分けられ、日中は女湯、男湯として営業しているが、夜は真っ暗。どちらも混浴同然だ。はじめは先輩たちに連れられて、それからバイト仲間や友人達と連れだって。地域の大学生だった私たちは、誰しも一度は行ったことのある、ドキドキを味わえる夜の遊び場だった。

今日の温泉には先客はいなかった。
私とレイは、湯に浸かりながら二人でたくさん話をした。それは、ここが温泉だろうが、大学の学食であろうが、喫茶店であろうが、お互いの一人暮らしの部屋であろうが、変わらないことだった。そしてしばらくすると、ひと言も話さなくなる。
そばを流れる川の音を聞きながら、湯につかったり、岩場に座って体を冷ましたりを繰り返した。私は無言でも、レイとこうして一緒の時間を過ごせることが好きだった。何も話さなくてもそこにいる。レイは、それだけ私が信頼している友人だった。そして今日、そんなレイがここに連れてきてくれたことが、私にはとてもとても特別にうれしいことだった。
それなのに。

なんで今日なんだろう?

「こんな色だったんだ!」
空が少しずつ白んで、鳥の鳴き声が聞こえると、私は感動していた。
これまで深夜にしか来たことのない温泉は、いつも黒々とした液体だったからだ。硫黄の溶けた酸性の温泉は、朝日の中で、そのきつい臭いからは想像ができないほど、きれいな水色をして、湯気をゆらしていた。

「ない! ノンちゃん、ない!」
湯をすくう私の背後でレイの声がする。
同じ大学の友人たちは、一度はここに来たことがあるから、学校でも温泉のことはよく話題に上がった。硫黄泉だから入りすぎるとワキがヒリヒリする、だとか、一週間通ったら肌がガサガサになった、だとか。ほかにも裸でナンパされた、だとか、写真を撮られそうになった、だとか。
そして、そんな中でも何度も何度も聞いていたウワサがあった。何度も聞いて、何度も聞き流した、何度も笑い飛ばしたウワサだった。

「あそこって、パンツ盗まれるらしいよ」

もちろん、ウワサとはいえ、フタもなければカギもないただの棚の脱衣所だ。そんなこともあるのだろうと、わかっていた。わかっていたけれど、なにも今日でなくてもいいじゃない。私たちでなくてもいいじゃない。

なんで今日なんだろう?

レイの声のする脱衣所に行くと、私とレイの服を入れたはずの棚には、パンツどころか、脱いだ服が何一つ残っていなかった。棚の上、別の脱衣所、温泉の中、辺りをいろいろ見て回るが、なにも見つからない。
ただ、棚の下に靴と、靴の中に脱いだ靴下だけが丸まっていた。

「で、そのパンティはいくらで買ったの?」
「800円」
次はレイがパンツ、いや、パンティの値段を聞かれていた。
「では今ではいくら?」
「500円でしょうか」
いつも周りを笑わせてくれる話し上手なレイも、意外と堅実に答えているのを見ると、私はさらに、起こった事の重大さを感じてしまうのだった。

湯タオル一枚で、オロオロする私たちを見つけてくれたのは、ゴルフに行く前に温泉に立ち寄ったという親切なおじさんだった。大きなバスタオルを一枚ずつ貸してくれ、警察を呼んでくれたのだった。そしてやってきたクマとキツネの警察官による、パトカーの中での事情聴取は続いていた。

「あと車の中では何がなくなった?」
「現金」
レイは盗まれたズボンのポケットから車の鍵を見つけられ、駐車場の車を開けられたらしく、後部座席には、中身をひっくり返されたバッグがあった。
「それで、いくら取られたんだろう?」
「多分8000円くらいかと思います」
財布に銀行のキャッシュカードは入っていたようだが、犯人はいろいろと面倒に思ったのだろう。紙幣だけが抜き取られていたのは幸いだったのかもしれない。さらにレイの車の鍵はなくなったが、スペアが車の下に磁石でつけてあったので、車は運転して帰ることができた。

「今週これで3回目。俺たちにはよくあることだけどさ、大変だったね」
長い長い事情聴取が終わると、キツネの方の警察官はやさしい口調でそう言い、近くの自販機で買ってきた缶コーヒーをくれた。
礼を言い、私たちは無言でそれを飲んだ。
甘ったるい。それはいつまでも口の中にベタベタと残る味だった。けれど、すっかり冷めきって、ダルさだけが残る体に染みていくのを感じた。
「姉さんたち、タバコ吸うかい?」
クマの方の警察官に勧められて、私はタバコを吸った。タバコがまずいことは知っていた。けれどこんなことがあった日だ。今日なら吸ってみてもいいと思った。が、すぐに咳込んでしまった。
「大丈夫かい。まあ今日は災難だったよね。でもまあ、これからは、うまくやんなよ」
タバコを指に挟んだ手で缶コーヒーをあおりながら、クマは言った。
「そうですね」
警察なのにそこは止めねえのかい! そんなことを思いながら、やっぱりタバコはまずかった。のどの奥や鼻の穴に、黄色い膜が張り付くようだった。しかし、ひと仕事終えたクマとキツネは、実においしそうにコーヒーを飲み、白い煙を吐いてみせた。こんなにまずいコーヒーとタバコが、どうして大人は好きなんだろうか。真似してみるけれど、おいしさがわかる前に缶コーヒーはなくなった。

パトカーに先導され、山を下りたレイの車で自分のアパートに戻ったのは、午前8時を過ぎたころだった。

私は靴の中に入れていたため無事だったアパートの鍵を握りしめ、バスタオルの胸元をぎゅっと押さえながら部屋に駆け込んだ。まずは服を着て、それから適当な服や下着を見繕い、車の中のレイに着せると、そのままレイのアパートの大家さんへと向かった。レイの部屋の鍵は車の鍵と一緒になくなっていたのだ。事情を話して合鍵をもらうと、レイの部屋のドアが開いた。

家主のいない熱気をたたえた部屋に、窓を開けて風を通すと、やっと生き返るような心地がした。通りの先の小学校から、授業の始まるチャイムが聞こえる。すっかり高くなった太陽に、セミが鳴き出している。今日も暑くなりそうな、ただの夏の一日の朝だった。

しかし二人は、長い間浸かったための湯あたりだけではない。夜の間に起きたことで、すでにぐったりしていた。何も話さず、どちらともなく風の吹き込むフローリングに寝転がった。
「あ、そうだ!」
今日の講義はサボろう、そうだ、そうしよう! と考えていると、ふとレイが起き上がり、キッチンへと向かって行った。
「はい、これ」
戻ったレイの手には、二つのガリガリ君が、きれいな水色の冷気を立てていた。
「誕生日、おめでとう」

私は、今日、二十歳になった。

***

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