プロフェッショナル・ゼミ

私は「迷惑」という罪の償い方を知らなかったが為に、人を1人殺めてしまった《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高浜 裕太郎(プロフェッショナル・ゼミ)
※このお話はフィクションです。

「嘘だろ……」

頭を何か固いもので殴られたような衝撃が、私の脳内を走った。今聞いたことが、本当のことのように思えなかった。けれども、「その事実」を伝える先輩の目は、真剣な目をしていた。普段真面目な先輩だ。こういう嘘なんて言うわけが無い。だとしたら、今告げられた話は、事実なのだろう。

「課長が自殺をした」

小さい課だった。新入社員である私を含め、5人で成り立っている課だった。5人が5人共、無口だった。基本的に、必要最低限の会話しかしない課だった。まるで、仕事をする為だけに、選ばれたマシーンのような5人だった。そんなマシーンの中枢にいた、課長が、今朝自殺をしたという。

「自宅で首を吊って自殺していたらしいよ」

先輩が、目の色を1つ変えずに言う。こんな時でも彼の目は、事務的な書類を眺めている目と、全く同じ目をしていた。こんな時まで、先輩はマシーンであり続けたのだ。

「そうですか……」

と私は言った。正直、お世話になった上司だ。その人が、突然いなくなってしまったのは、やはり衝撃だった。けれども、不思議と涙は流れなかった。あの話を聞くまでは。

「仕事に疲れた。もう、いいだろ」

課長の自殺現場から、遺書が見つかったという話は、「課長自殺」の一報から、数日後に聞いた。そして、その遺書の中に、「仕事に疲れた」という文章が書かれていたという。

この話を聞いて、私は、顔が青ざめた。そして、なんて取り返しのつかないことをしてしまったのかと、自分を責めた。暗い海の底に、自分が深く沈んでいくような感覚を覚えた。
ひょっとしたら、課長を「殺してしまった」のは、私なのかもしれない。

私は、新入社員としてこの会社に入社して、もうすぐ1年になる。この1年間、私は課長に迷惑をかけっぱなしだった。しかも質の悪い事に、その「迷惑をかけている事実」に対して、私は特に何の感情も抱かなかった。

私のこの質の悪さは、小さい頃から現れていた。中学生の頃、部活動でやっていたサッカーの大切な試合で、私は、痛恨のミスをした。結局、それが原因で得点され、試合に負けることになった。

「おい、お前のせいで負けたんやぞ!」

なんて、誰も言わなかった。監督も、チームメイトも言わなかった。本当は言いたかったのかもしれない。けれども、それを言ってしまったら、私と彼らの間にある「友情」や「信頼」は、まるで砂の城のように、簡単に崩れ去ってしまうだろう。

それは、私も気付いていた。彼らが、私に気を遣って、私を責めないでいてくれることに、気付いていた。けれども私は、間違った解釈をしてしまった。

「なんだ、何も言わんのか。じゃあ、俺は責められてないんやな。大して迷惑もかけとらんのやろ」

こう思ってしまった。
ミスをしても、許してくれる。誰も私を責めない。責めないということは、迷惑がかかっていないということだ。こう私は解釈した。
本当は、迷惑をかけられている側の彼らが、単純に「友達関係の維持に努めた」だけなのに、私はその好意を悪い方向に利用したのだ。

この「悪い癖」は、高校に入ってからも続いた。何か相手に迷惑をかけても、相手は許してくれる。一時は本気で起こったとしても、最後には笑って許してくれる。本気でそう思い込んでいた。だから、自分の行動によって、他人がどんな迷惑を被っているかなんて、予想もしなかった。
私は、まるでサンドバックにするかのように、色々な人に迷惑をかけ続けた。そして、「サンドバックが喋らない」のを良いことに、色々な人に迷惑をかけ続けた。そして、それを許してもらった。

そして私は、この癖を直さないまま、社会へと出てしまった。

新入社員研修の時、自殺をした課長に、こんなことを言われた。

「新人のうちは、お客様や会社の人に、怒られるのが仕事だ。体当たりで仕事に向かっていけ」

私はその通りだと思った。同時に、「新人のうちは、いくら迷惑をかけても許してもらえるんやな!」とも思った。私は免罪符を受けたような気分になった。

その言葉を受けてから私は、体当たりで仕事に取り組むようになった。営業職として採用された私は、1件でも多く契約を取ってくることが、重要になってくる。だから私は、契約を取る為に、奔走した。

「お前なんか話にならんわ! はよ帰れ!」
「そんなことを仰らず、話だけでも聞いて下さい!」
「うるさい! お前みたいなのは知らん!」

こんな会話を、得意先ですることも珍しくなかった。中には厳しいお客さんもいた。

「お前みたいな社員を雇う、上司の顔が見てみたいわ! 上の奴を呼んで来い!」

こう言われる度に私は、課長と同行訪問し、一緒に謝った。
課長は、何度も何度も頭を下げていた。私はもう、課長が頭を下げる様を何度も見ていた。そんな様子を見る度に、私は申し訳ない気持ちになった。まるで、万引きをしてしまった中学生を、交番まで迎えに来る親のように、課長は謝った。そして、私はそこに居合わせた中学生のような気持ちだった。親に申し訳ないという気持ちを、抱いていた。

 そして、私が何か問題を起こすたびに、課長は帰り道で、必ずこう言うのだった。

「安心しろ。ミスは俺が全部受け止めてやる。だからお前は、安心してチャレンジをしろ」

こう言われると、私は「申し訳ない」という気持ちよりも、「まだまだチャレンジして、1件でも多く契約を取ろう」という気持ちになった。私のかけた「迷惑」という「罪」を、課長が許してくれるような気がした。だから私は免罪符を受けたような気持ちになったのだ。私が何をしても、どんなミスを犯しても、課長は尻拭いをしてくれる。「良い上司だな」と私は思っていた。

ある日の帰り道、私はまた得意先で問題を起こし、課長と一緒に謝りに行っていた。そこでも、いつもと同じように、課長は何度も何度も頭を下げた。まるで、ロボットにでもなってしまったかのように。けれども、いつもに比べて、なんとなく覇気が無いような印象を受けた。

「課長、すみませんでした」
「うん。ええよ」
ただでさえ、日頃マシーンのように仕事をして、必要最低限の会話しかしない課長が、今日は一段と口数が少なかった。
私は、課長の異変を感じ取った。何か、今まで正しく回っていた歯車が、壊れてしまうような予感がした。

その日からだった。口数の少ない課長の口数が、さらに減ったのは。
いつもは、私がミスをしてしまった時も、口数が少ないながらも、私を励ましてくれた。けれども今は、そんな励ましの言葉は無い。むしろ、課長自身が、誰かからの励ましを求めているようにも見えた。課長は、水に飢えた花のようだった。誰かが、水を与えてくれるのを待っている様に見えた。誰かが励ましてくれるのを待っている様に見えた。そして課長は、そんな花のように、元気を失くしていった。

そんなある日、「課長が自殺した」という話を聞いたのだ。
話を聞いた当初、私は「あぁ、課長、体調が悪そうだったもんな」くらいにしか考えていなかった。けれども、遺書が見つかってから、私はその考えを改めた。

「仕事に疲れた。もう、いいだろ」

課長の遺書から、こんな一文が出てきた。この話を聞いた時、私は、「課長を殺したのは私だ」と思った。そこで初めて、私は自分の犯した罪の大きさを知った。

私は体当たりで仕事をしろと言われたから、その通りにした。けれども、課長にどんな迷惑がかかっているのか、どれ程、課長の心に負担がのしかかっていたのか、そんなこと、考えたこともなかった。私はただ、自分のことだけしか考えていなかった。まるで猪のように、突進することしか能が無かった。得意先に突進して、迷惑をかけることしか能が無かった。

課長はもしかしたら、自分がかけてしまった「迷惑」という重石に、潰されてしまったのかもしれない。課長は寡黙な人だった。自分が苦しくても、「苦しい」なんて絶対に言わない人だった。むしろ、「これくらいの重さなら、全然余裕だ」なんて言ったかもしれない。
私は、そんな課長の好意に甘えていたのだ。甘えて、課長の上に、どんどん重石を重ねてしまったのだ。そしてついに、課長は、私が乗っけてしまった、「迷惑」という重石に、潰されてしまったのだ。

そう考えると、私は自分の犯してしまった罪の大きさに押しつぶされそうになった。今度は私が、重石の重さに耐えられなくなった。

私は、知らない間に「迷惑」という「罪」を重ねてしまっていたのだ。そして、それに押しつぶされて、課長は息を引き取った。

このことに気付いた私は、自分がどうすれば良いのか分からなくなった。「人殺し」となってしまった今、自分は何をするべきなのか、分からなくなってしまった。

課長の葬儀は、粛々と行われた。誰も私に、「お前が殺したんだろ!」とは言わなかった。中学校の頃のサッカーの試合のように、関係の維持に努めた結果、誰も私を責められなかったのだろうか。けれども、その時私は、「むしろ責めてくれ」と思った。
責めてくれた方が、楽になれるかもしれないと思った。「お前が苦労をかけたせいで、課長は死んだんだ!」と誰か言ってくれ! と思っていた。けれども、そんなことは誰も言わなかった。私は、無言の圧力が、津波のように押し寄せているような感覚を覚えた。

そんな罪の意識に苛まれている最中、たまたま訪問した得意先で、こんなことを言われた。それは、私が以前、課長と一緒に謝りに行った得意先だった。

「あぁ、お前さんの上司ね、ずっと言ってたんだよ。お前さんのことを。あいつは、絶対に凄い営業マンになる。御社にも利益をもたらすような、大きな奴になる。だから、今は許してやってくれませんか? ってね」

そんなことを言っていたとは、全然知らなかった。おそらく、課長1人で得意先を訪問した際に、先方と話をしたのだろう。

私のことをそんな風に思ってくれていたなんて、正直嬉しかった。けれども、また罪の意識が津波のように押し寄せてきた。私は、そんな「良い人」を殺めてしまったのだなと思うと、罪の意識に押しつぶされそうだった。

けれども、得意先の人が言った、この一言で、私の考えは一変した。

「お前さんも、死んだ上司にいい顔見せられるように、頑張りや」

得意先を出た後、私は泣いた。仕事中だったけれども。こんなに涙が出るのかと、自分でも驚くくらい泣いた。水道の蛇口をひねったかのように、涙が溢れ出てきた。

そして私は決意した。私がかけてしまった、「迷惑」という「罪」を償おうと。今更もう遅いかもしれないけれども、課長に助けてもらった分だけ、仕事で恩返しをしようと思った。1人前の仕事人になることが、課長への「償い」になるのだろうと確信した。

それから私は、仕事ぶりが変わった。「人に全く迷惑をかけない」というのは無理だが、なるべく迷惑をかけないように配慮をした。そして、迷惑をかけてしまったら、精一杯謝り、かけてしまった「迷惑」の分も、取り返すくらいの仕事をしようと思うようになった。

思うに、前の私に欠けていたのは、「恩返し」の気持ちだった。恩返しの気持ちが、「迷惑」という罪を償う、1つの方法だと私は知らなかった。だから私は、まるで猪のように、自分のことだけを考えて、突き進んだのだ。課長がどれ程迷惑を被っているかも知らないで。

だから私は、「恩返し」の気持ちを持って、課長がかけてくれた期待に、精一杯応えたいと思う。そしていつの日か、課長の仏壇の前で、手を合わせて、こう言えたらいいなと思うのだ。

「課長、迷惑をかけてしまってすみませんでした。けれども、私はやっと1人前になれました」と。

そんな日が訪れるように、私は今日も「恩返し」の気持ちで、仕事に励んでいる。

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