思い出のモーニングコールと三日月
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記事:Ruca(ライティング・ゼミ日曜コース)
「もう起きてるか」
毎朝決まって6時21分に携帯がなる。
このモーニングコールに、休日の朝の熟睡を邪魔されて怒ることもあった。
二度寝による遅刻を未然に防いでもらって喜んだこともあった。
「今日は寒いし、道が凍てるから車の運転は気を付けなあかんで」
その後二言三言その日の予定や前日の出来事の話をして、他に特に話題がなければ、57秒程度の会話は終わる。
そんなやりとりが12年間も毎朝決まった時間に続いた。
きっかけはこんな感じだった。
仕事をして経済的に自立している30過ぎた娘が、お嫁に行かず実家で過ごしていることに居心地の悪さを感じるようになった。
実家から少し離れた近所に住むことにした。
引っ越した翌日に、父から電話があった。
「用事がないのなら電話はいらんで」そんなことを言ってしまった。
言った後深く反省をしたが、相手もその程度では引き下がりはしなかった。
翌朝から、中途半端な時間のモーニングコールが始まった。
娘が起きているかどうかをチェックするという用事があってかけてくるのだから強気だったのかもしれない。
わざわざ喋らなくても知っているような天気予報とちょっとした話を続けた。
時間を忘れて、車の話題で盛り上がった日もあった。
朝は5時過ぎに起きるようになり、6時過ぎにはコーヒーを淹れて、父からの電話を待つようになった。
わずかなおしゃべりのために毎日電話をかけてくれる父は、どんな気持ちだったんだろう。
人の道に外れたことさえしなければ、どんなにダメな状態の私でも、無条件に信じ、応援し、誰よりも愛してくれた。
根拠なんてない、そう思えたのだ。
そんな父が亡くなって今日で3年。
あの日も西の空には三日月が輝いていた。
病院に心細い気持ちで向かう私を、折れそうなほど細い三日月が照らしてくれていた。
「これでこの地球上には、私のことを無条件に愛してくれる男性が一人もいなくなる」
そんなことを三日月につぶやいていた。
できれば腕を組んで一緒にウインドウショッピングを楽しみ、パパと呼びたくなるようなおしゃれな父が欲しかった。
だけど、家の中をシャツとパッチ姿でウロウロして過ごす、どこから見ても昭和のお父ちゃんという姿の父も好きだった。
真面目で口数の少ない、優しい人だった。
あちこちに愛情が溢れていた。
父親といえば威厳があり、仕切り屋なものだと友人たちの父親を見て思うが、こんな父親もいいもんだ。
大工の家系に生まれたが、生まれた時から下肢に障害を持っていたため、大工ではなく建築士の道を選んだ。
それでも若い頃には登山をし、スキーも楽しんでいた。高校生になるまでは、あちこち連れてもらっては、父の思い出話を聞きながら過ごした記憶がある。
晩年は、さすがに歩きにくさが隠せず、西村京太郎の推理小説を電車の時刻表を見ながら読み進めて楽しんでいた。
リハビリの道へと進み、先天的な障害を持つ子どもたちと関わるようになった。父の持つ障害とは関係なく職業に就いたが、父はどんな風に思って眺めていたのだろう。
屈託無く笑う大きな目をしたその男の子の写真を黙って眺めていた。彼には、みんなと同じような長さの手足がなかった。
「この子もしなくていい苦労をするんやなあ」
ぽつりとそんなセリフをこぼした。
先天的な障害は、誰のせいでもないけれど、背負ってしまった人がそれを受け入れ共存していくために、相当な努力を重ねる。
ピンチはチャンスというけれど、これってチャンスなんだろうか。
選ぶことも、逃げることもできない状態で渡された選択肢を受け入れてきた父は私に何を伝えたいのだろう。
山登りの楽しさや、スキーで育んだ友人との思い出をよく聞かせてくれたが、痛みに苦しんでいても友人にも言えずにいたのかもしれないと思うと心が痛む。
人には言えない辛さや悔しさが、父を控えめで物静かな人にしたのかもしれない。
障害を受け入れてチャンスにすることは一生かかってもできることではない。
たとえ、パラリンピックで金メダルをもらったとしても、同じように動く身体の方が魅力的だと思う。
モーニングコールがかからなくなった最後の1週間は、父が過ごす病院のベッドサイドで夜を過ごした。
ポツリポツリ言葉を交わした。
人との関係はいつ何時どんな風に始まり、どんな風に続き展開していくのかなんて想像できないものだと思う。
父と過ごした時間は偶然がもたらしたラッキーだった。
お堂の中は澄んだ読経の声が響いていた。
心の中で父に話しかけてみた。
たくさんの愛情をありがとうと感謝の気持ちを今更ながらに伝えてみた。
「お父さんのところにまで届いた?」
温かいもので心が満たされるのを感じながら、空を見上げた。
命日の今日はちょっと太った三日月が私を見下ろしていた。
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