プロフェッショナル・ゼミ

メロンソーダとブーメラン《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:bifumi(プロフェッショナル・ゼミ)
  ※この記事はフィクションです

「で、で、その相手とはどこまでいったの? まさかもう寝ちゃったとか?」
「ちょ、ちょっと裕子、しーっ! 声が大きい」
私は、裕子の口を慌てて手で押さえた。
まわりの客が、迷惑そうに振り返る。

「だってー、真樹の恋バナなんて何年ぶりよ?
あー、よかった。やっと恋する気になったんだね。
おめでとう!
で、で? 相手はいくつ? どんな人?」
裕子から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

親友の裕子と久しぶりに予定をあわせ、ランチに行った。
裕子に聞いてもらいたい話が、たくさん溜まっていた。

恋なんて言葉を使うのは、どれくらいぶりだろう。
この4年、私は異性に心を閉ざして生きていた。

25歳の時、半年付き合ってプロポーズされた2つ年上の男性と、
結納を交わした直後、彼の浮気が発覚し、破談。
家同士でもめ、それはもう大変な騒ぎになった。
人を見る目がつくづくなかったのだと思う。
あんな悲しい思いは二度としたくない。
それ以来、私は恋愛にひどく臆病になってしまった。

「恋したっていっても、彼は48歳、妻子持ちの上司。
一方的な私の片思い。
私なんてもうアラサーだし、地味だし、気が利いたこともいえない。
私に好意もたれるより、男性はやっぱり若い子から好意もたれた方がいいに決まってる。
それもよくわかってるの」

「あぁー、また始まった。
真樹の悪い癖。
どうせ地味だとか、どうせ若くないとか。
なんでそんなことばっかりいうかな。
真樹は素敵だよ。
相手が既婚者っていうのは、ちょっと残念だけど。
でも、久しぶりに真樹のそんな生き生きした顔をみれて、私すごく嬉しい!」

裕子は、破談で私が落ち込んでいる時も、ずっとそばにいてくれた。
私が普通の精神状態に戻るまで、何も言わずに待っていてくれた。
裕子がいなかったら、今頃私はどうなっていたかわからない。

「もう充電期間は、十分とったでしょ。
荒治療のつもりでさ、この際、相手が既婚者でもなんでもいいじゃない。
真樹、何でも真面目に考えすぎ。
浮いた話の1つや2つないと、男を見る目も養えないよ。
もっと、気軽にいこうよ。

気軽にか・・・・・・
そんな簡単にいうけど。
帰りのバスの中で、裕子の言葉を反芻する。

島田部長は、4月にうちの部署に本社から移動してきた、
48歳、妻子持ちの愛妻家。
真面目な仕事ぶりで、幹部や部下からの信頼も厚い。
今回の移動も、異例の抜擢だそうだ。

島田部長がきた初日、部署内はざわついた。
185cmの長身で、細身の筋肉質。
仕立ての良いスーツは、吸い付くように体にフィットしている。
40代後半、この歳にしては、お腹まわりにたるみもなく、すっきりしている。
まわりの同年代の部長達が、島田部長をみるなり、慌ててお腹をひっこめた気持ちもよくわかる。
シャツの襟や袖口がパリッとしていて、この年代特有のだらしなさなど、微塵も感じさせない。
仕事もできて、頭もきれるのに、誰に対しても偉ぶるところがない。
スーツもスマートに着こなし、それがまたよく似合う。
これだけ揃っていれば、部署内の女性陣がざわつかないわけがない。
その日からしばらくは、島田部長の話で持ちきりになった。

部長の歓迎会では、若い女の子達が、競って部長の横の席を取りに行った。
私には関係のない話なので、ぼーっとその様子を眺めていた。
もうメスとしてアピールする、気力も残っていない。

その時、トイレで席をたったはずの部長が、自分の席には戻らず、すっと私の隣に腰かけてきた。
えっ? 
私は驚き、隣に座った部長を、ただ見つめることしかできなかった。

「野村さんだよね。
そちらの部署には、会議の準備で、いろいろお願いすることが多くなると思うけど、
これからよろしく」
「あ、は、はい。こちらこそ、よ、よろしくお願いします」
最初は緊張したけれど、ふと口にした私の高校の話題から、部長と地元が同じだということがわかり、話が盛り上った。幼い頃見た街の風景を、共に懐かしんだ。
部長は話題が豊富で、全く退屈しない。
楽しくてあっという間に時間が過ぎていく。
ふと気付くと、若い女の子達の、刃物のような鋭い視線が、私たちに集中していた。

「ぶ、部長、 早く若い子達のところに戻ってあげないと。
みんな、怒ってますよ!」
「ん?」と、部長は彼女達の方を見て笑った。

「僕は、自己主張してくる女性が苦手でね。
疲れるんだ。その点、野村さんは聞き上手だし、話しているとリラックスできる」
と、私にだけ聞こえる小さな声でいった。

慣れてる。
たまたま隣に座った、アラサーの女に平気でこんな事を言えるなんて、
絶対女慣れしてる。
ただ、お世辞だとわかっていても、部長から褒められると嬉しかった。

「私が主張しないのは、きっと歳のせいですよ。
自分が自分がっていう気力を、もうすっかりなくしましたから」
私は自嘲気味に笑った。

「歳は関係ないさ。
必要以上に自己主張せず、人の話をしっかり聞ける人は、
仕事でも人間関係を築く上でも、とても貴重だと思うよ。
野村さんは、もっと自分に自信をもった方がいい」
部長はサラッとそんなことを言う。
お世辞、そんなことは100も承知だけれど、部長の言葉で、
私の心の中に、淡いピンク色の何かが、点灯した。

スーツ姿も素敵だけど、部長は私服のセンスも抜群だった。
私が休日出勤している時に、ふらりと現れた部長は、オフホワイトのコットンパンツに、紺のジャケット、中にはキレイなブルーのvネックのセーターを着ていた。
安い服ではとうていだせない、質のよさが伺える。
スーツも普段着も、極端に流行に走るわけではなく、自分に似合う物をよくわかっていて、無理なく身に着けている。
先日、同期の独身男性達が飲み会で、ファストファッションでしか最近洋服を買っていないと、笑いながら話していた。
安い服しか知らない彼らは、仕立ての良いスーツに腕を通すことがこの先あるのだろうか? と、つい同年代の彼らと、島田部長を比べてしまう。
自分でも、恥ずかしいくらい部長に心が傾いているのがわかり、赤面した。

ある日、皆が嫌がる会議室の準備を1人でやっていた時に、
遅れて入ってきた部長から、ふいに声をかけられた。

「野村さん、いつも会議室の準備、ありがとう。
みんなに頼もうとすると、スーッと逃げていくんだ」
と、部長は笑う。
「野村さんだけだよ、嫌な顔せず、手伝ってくれるのは。
お礼といってはなんだけど、
今週の金曜日、ご飯でも一緒に食べにいかないか?」
突然のことで、私はなんと言っていいかわからず固まってしまった。

「金曜日だともう、予定が入ってるかな?」笑いながら部長はきく。
「あ、いいえ、とくには」
「そうか、ならよかった。
何か苦手なものはある?」
と聞かれ、好き嫌いはないので、部長の行きつけのお店で大丈夫ですと答えた。

胸の動悸が収まらず、その日は、帰りまでの時間をどうやって過ごしたのか覚えていない。
男性から食事に誘われただけで、こんなにときめくものなのかと、驚いた。

突然のことで、何て行ったらいいのか、さっぱりわからない。
クローゼットに並ぶ手持ちの服は、どれも冴えない昔のものばかり。
誰かのために装うことを、4年間、さぼってきたつけが回ってきた。

上司が部下を食事に誘った、ただそれだけだ。
頭ではわかっている。だけど、部長の横を歩くのにふさわしい女になりたい。

そうだ、新しい服を買いに行こう!
会社の帰りにデパートにより、派手ではないが、決して地味には傾かない、
薄いベージュのワンピースを購入した。素材が光の加減でキラキラ輝いてみえるところが気にいった。
後ろのホックが少し留めにくかったけれど、
試着室の鏡には、いつもとは違う華やいだ自分が映っている。
うん、なかなかいいじゃない。

店を後にし、同じフロアを歩いていると、
ふと、下着売り場に目がとまった。
黒地に繊細なレースが施されたブラジャーに、吸い寄せられるように、店内に入った。

いやいや、だから、ただの食事だから。
そんな、もしものシチュエーションなんて、絶対にあるわけないから。
だけど、家のタンスの中には、量販店で購入したブラトップしか入っていないことを思いだし、愕然とした。
ラクさに負け、ブラトップをヘビロテしている。
私、どんだけ女をさぼってるんだろう・・・・・・

胸のサイズを測ってもらい、お目当てのブラを試着させてもらう。
黒地に薄いレースは、今の私の年齢にちょうどいい。
お揃いのショーツも一緒に購入した。

帰りの足取りは、まるで羽が生えたように軽かった。
ウワーッと大声で叫びながら、走りだしたくなる衝動を抑えるのに苦労した。
誰かのために服を選び、下着を揃える。
こんな心が浮き立つような瞬間を、もうずっと忘れていた。

約束の金曜日、
部長が連れて行ってくれたのは、古民家を改装した、和食の一軒屋レストランだった。
入り口の黒光りする柱を見る限り、かなり年代ものの建物だということがわかる。
表に小さな看板がひっそり出ているだけで、見逃せば、永遠にたどりつけそうにない、知る人ぞ知る、隠れ家のようだった。
室内は仄暗く、それが一層、大人の空間であることを物語っていた。
丁寧にサーブされる食事の一品一品は、繊細な味付けで、肉も魚もとても美味しかった。

部長は、食事中も、下世話な話などせず、日本酒を口にしながら、
私の話を上手に引き出してくれる。
私も部長と同じ日本酒を頼んだ。
口当たりがよく、ぐいぐい飲める。
美味しい料理と、美味しいお酒、そして何より好きな人と過ごす心地よい時間に私は酔いしれた。

「この後、もう、一軒どうかな?」
部長の問いに、私は小さくうなずく。

連れていかれたのは、街中から離れた海沿いのホテルのバーだった。
カウンターの向こうに見える、一面ガラス張りの窓越しに、どこまでも続く深い夜の海が広がっていた。

部長はバーボンのオンザロックを、私はグラスのシャンパンを頼んだ。
深い海の色と夜がゆっくりと進んでいく。
お互い酔いが心地よくまわった頃、
部長が私の手の上に、ゆっくりと自分の手を重ねてきた。
振り払う理由などみつからない。
互いの手の温もりを感じながら、しばらくバーでの濃密な時間を過ごした。
もう、どうなってもいい。

バーのある最上階から、エレベーターで、客室階に降りた。
私達はもつれるように、人気のない廊下を歩く。
カードキーでドアをあけながら、部長が訊く。
「大丈夫?」
広い背中に向かってうなずきながら、私は答える。
「大丈夫 です」

ドアを開けると、自動的に玄関の明かりが灯る。
仄かな明かりの下で、部長から抱きすくめられた。
人のぬくもり、あたたかい唇。
忘れていたものを、彼が今、思いださせてくれる。

ワンピースの後ろに彼の手が回る。
ホックがなかなか外れず苦戦している。
私でも脱ぎ着に困るのだから、男の人ならなおさらだろう。
彼の手を制して私は自分で後ろに手をまわす。

彼は、ネクタイを弛め、上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンを脱いでいく。
そして、見るとはなく視界に入ってきた、下着一枚の部長の姿。

エッ!

エ、エーーーーーーッ!!
ちょっ、
なに!?
何の冗談???

私は急いで足元に落ちたワンピースを拾い上げ、キャミソール姿でトイレに駆け込む。

落ち着け、
まずは、深呼吸して落ち着け!
スーーーー
大きく息を吸い、
フーーーー
そして、吐く。

仄暗い明かりの下で見た、
部長の下半身に貼りついていたものは、
色鮮やかで毒々しい、
メロンソーダ色の、ブーメランパンツだった。

スーツ姿の部長は、とてもスマートにみえたのに、
ブーメランは彼の下半身にがっちり食い込み、
その上には、年相応の腹の肉が、ふてぶてしくでっぷりと、のっかっていた。
一時期TVでよく見た、ほぼ全裸のお笑い芸人と、そっくりだった。

プーッ!
トイレの中で、思い出して口を押える。
まずい! 笑いがとまらない。
声を出さないで笑うのは、拷問に近いんじゃないかと思った。

私を心配して、部長がトイレのドアを何度もノックする。
「きみ、大丈夫? 具合悪いのか?」

「プッ!
あ、いえ、大丈夫です。今、でます」
部屋に入った時に置いたバッグの位置を、頭の中で確認する。
髪を素早く整え、ワンピースを着る。
ホックは相変わらず留めにくいのでもう、そのままにしておく。
最悪、チャックは上まで上がっているから、落ちることはないだろう。

顔の緩みをもどし、意を決してトイレの鍵を開ける。
そこには、心配そうな顔をした、ブーメラン部長が立っていた。
吹きだすと困るので、極力下半身に目がいかないように心がける。

「すみません、月のものが始まりました。
少し酔ったようで、気分が悪いので、お先に失礼します。
今日は、ありがとうございました」

一気にまくしたて、バッグをつかむと、ブーメラン部長を1人残し、私は部屋の外にでた。
部長が追ってこない事を確認し、くるりと向き直って、扉に向かいもう一度頭を下げる。
閉まる扉の隙間越しに、呆然と立ち尽くすブーメラン部長が消えていく。

ホテルの前でタクシーを拾い、急いで乗り込んだ。
一人になりやっと、膝を叩きながら、大声で笑った。
こんなに笑ったのは、久しぶりだ。
運転手が、まずい客をのせたかもと、怪訝な顔で、バックミラー越しに私を覗く。

あれだけスーツを素敵に着こなし、私服もオシャレ、仕事もできて、清潔感もある。
非の打ちどころがない人なのになぜ、よりによってあの下着?
まさかあれが、勝負パンツ!?
体型にも全くあっていないし、お腹の肉もはみ出し放題、あの色ときたら悪趣味にもほどがある。
私がブーメランに興奮するとでも思ったのだろうか?
もしかして、何かとんでもない性癖を持っているとか?
考えれば考えるほど、肩は震え、笑いすぎてお腹が痛い。

そしてこの時、私はやっと気づいた。
部長のスーツも私服も、髪型に至る細部まで、奥様のプロデュース作品だということを。
「妻があれこれ指図してきてうるさいんだ」と、確かに今日彼は言っていた。
部長の体系を熟知した奥様だからこそ、お腹のたるみが目立たないスーツを選ぶことができるのだろう。
さすがに、勝負下着まで、奥様に頼るわけにはいかず、
自分のセンスを総動員して選んだ結果が、あれだ。
家から履いてくることはできないだろうから、おそらく会社のトイレで、こっそり履き替えたに違いない。

私は結局、奥様のプロデュース作品に、恋していただけなのかもしれない。
同世代の男性にない落ち着きや、安心感は、家庭をもっているからこそ生まれる余裕。
女性に対してガツガツしていないのも、帰る場所がちゃんとあるから。

歳の離れた誰かの作品を欲しがるよりも、
私の年齢にあった人と、日の当たる恋をしよう。
着る服がファストファッションばかりだっていい、
洋服のセンスなんて、私が磨いてあげればいいだけの話。
安心感や安定感が今はなくても、これからいくらでも、身に着く。

もう、傷ついたフリはやめよう。
せっかく思い出した、恋する感覚、
この勢いにのって、自分に合う人を見つけよう!

相手に望む条件は決めてある。
体型と年齢を無視し、奇抜な色と形のパンツを選ばない、
ふつうのセンスを持ち合わせた人、ただその1点のみ。

***

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