プロフェッショナル・ゼミ

殺し屋のマーケティングで、ゴジラになった女子高生を思い出した。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松下広美(プロフェッショナル・ゼミ)

はぁ。

やっと一息つける。
いや、まだまだ緊迫した空気を味わっていたかった。
一瞬、静まり返る会場内に拍手が沸き起こる。
それまで演じていた役者さんたちが現れ、目の前で丁寧にお辞儀をする。
そして更に大きな拍手を送る。
この物語は、何度私を感動させたら気がすむのだろうか。

演劇『殺し屋のマーケティング』は絶対に観たいと思った。
原作を面白い! と思ったのもあるけれど、それより前に、話の全貌を知る前から見たいと思っていた。あまりにも期待しすぎて、期待外れに終わることが怖くなるくらいに、期待していた。
そして、期待以上の舞台だった。

それなのに。
目をそらしてもいいくらい、小さな想いがあることに気付いてしまった。

会場の中に足を踏み入れた瞬間から、感動は始まった。
すでに設置されている、セットだと思われる椅子と机。中央にはお金持ちの家の主人が座っているような、肘掛の椅子も置いてある。

「こちらの席にどうぞ」
そう言って案内された席は、セットを取り囲むように置いてある椅子。
役者さんと同じ目線で舞台を観ることができるんだ。
期待がさらに膨らむ。
「黒いカードが置いてあるところは、役者が座りますので」
「あ、わかりました」
さらっと出た言葉とは裏腹に、役者さんが座っちゃうの? マジで? えー、じゃあ、挟まれるような席に座っちゃおうかなーっと、遊園地の乗り物に乗る前の子供のようにワクワクしながら座席につく。

まだ、開演までには時間がある。
あたりを不審者のようにキョロキョロする。
照明を見上げて、どのスポットがどのセットに当たるんだろうと想像する。どちらから照らされて、どんな演出になるんだろう。
セットはすでにあるけれど、舞台の上からは何か出てくるのだろうか。幕が開いたときには、大きなセットが組んであるのだろうか、舞台上の照明はどんな感じになるのだろうか。そういえば、音響は生演奏だって言っていたけれど、どこで演奏するんだろう。後ろなのか、裏なのか。
あちらこちらを見渡しながら、妄想する。

そういえば、舞台を観るのはすごく久しぶりだ。

そろそろ開演時間かな、と思っていると、隣に座る人がいた。
あ、まさか。
役者さんが座ると言っていた席に座る人。
おー、すごーい。
そう思った次の瞬間、舞台は始まっていた。

会場全体が、舞台のセットだった。
舞台を観ている観客までもが、出演者の一人になっている。
現実の世界での話なのか、この演劇の中の世界なのか、境界線が曖昧になっていく。季節の境界線がわからないように、どの瞬間から舞台が始まったのか、わからなかった。

話の内容を知っていた。次はどうなるんだろうということもわかっていた。
それでも、ドキドキして、ワクワクさせられた。
役者さんの空気に押されて、感動して涙も流した。

あー、終わった。
ほっとすると同時に、うわーっと感動の気持ちが押し寄せた。
「ブラボー!」なんて言葉は使ったことがないけれど、使ってみたくなるほど素晴らしいと思った。
「感動した!」と、土俵上で叫んだ総理大臣のように、叫んでみたくなった。

原作本が400ページを超えているのに、演劇の短い時間に中で全てを網羅していて、更に追加されたエピソードまでが演じられていた。
朝採りの野菜のような新鮮さがあり、何時間も煮込まれたスープのような濃厚さがあり、フルコースを食べたような満足感だ。
原作を知らなくても楽しめるだろうし、原作を読んでいる人は更に楽しめる、期待を超えた演劇だった。

あー面白かった。
でも、なんだか、もやもやしていた。

「面白かったよ!」って、ただ言いたいだけだったのに。
本の中の物語が、演劇っていう缶詰の中にぎゅーって詰め込まれたような、そんな舞台だったよ! って、観たことを自慢したいだけだったのに。
ほんとうに面白い! って、私の中の99%がそう言っているのに、あとの1%が私の胸ぐらをつかんで「それでいいのか?」って言っている。いや、胸ぐらなんて表面的なものじゃなくて、心の真ん中あたりをぐっとつかまれている、そんな気分だった。

「私、ゴジラがやりたい」

両脇にある校舎は、ところどころひび割れていて、黒ずんでいる場所もある。見た目で重ねた年月を感じさせる。その校舎を抜けた奥には、二階建ての建物が建っている。窓枠や二階へ続く階段の手すりはかなり錆びつき、校舎以上に年月を感じさせる風貌だ。そこには幾つかの部室があった。
一階のいちばん左端の部屋を開けると、6畳くらいの広さの中に本棚やソファー、机が置いてあり、貧乏学生のアパートの一室のような空気を醸し出している。ただ、部屋の中に扉の部分がないドアの枠だけが置いてあったり、壁にはドレスがかかっていたり、普通の部屋とは少し違う。
そこは、演劇部の部室だった。

17歳になったばかりの、まだ女子高生だった私は、演劇部の部室の本棚にある一冊を取り出し
「ゴジラがやりたい」
と、言った。

その部室に足を踏み入れたときから、その本には魅了されていた。本を読み、動いている役者を思い浮かべると、面白くて仕方ない。これを演じることができたら、どんなに楽しいだろう。いつか、その舞台をやってみたい。ずっと思い続けていた。
部活の引退前のラストチャンス。
これを逃したら、もうチャンスはない。

「さゆりさんを僕にください! ガオーッ!」
「ゴジラさん、興奮しないでください! ほら、火を吹いてますよ」
「す、すいません……」
「さゆり! なんだ、こいつは?」
「おとうさん、彼……ゴジラさんと結婚したいと思っています」
「えぇー!?」

街を襲いに来たのかと街中が大騒ぎだったけれど、ゴジラが街に来た目的は、恋をした女性との結婚の許しをもらうためだった。
ゴジラは、人間の女性に恋をした。

高校生の私が手にしたのは、ある劇団が演じた、そんなゴジラの物語の脚本が書籍化されていたものだった。

ゴジラを演じた舞台は、大成功に終わった……わけではなかった。
最後の舞台は、最低の舞台だった。
高校時代にいくつかの舞台を創ってきたけれど、セリフを覚えきれていないし、なんだかグダグダ感がいっぱいだし、笑いをとるはずの場面で全く笑ってもらえないし……思い出したいとは思わない舞台だ。

演劇をやっていたときは、楽しかった。楽しいから、高校生の間はすごく夢中になっていた。
でも、そんな最後の舞台の影響もあり、高校を卒業すると同時に、演劇とはサヨナラをしたのだ。

今になって、なぜ、20年も前のことを思い出すのだろう。
しかもあんなに大失敗だった舞台のことを。

演劇を観たのが間違いだったのかな。

ほんとうに?

『殺し屋のマーケティング』を読んで、映像化されたもの……文字だけではなく、その世界に生きている人たちを目の前で観たいと思った。

1冊の本から、文字の中から目に浮かぶ映像の数々。
色をつけて、動きを出して、風を起こし、温度を感じる。
その世界を目の前で見ることができて、後悔はしていない。
むしろ、心を動かされる世界に出会うことができて、感謝をしている。

「観るんじゃなかった」
そんなこと、ほんとうは思っていない。

文字として、本として存在している中の世界を観たいと思った気持ちは、20年前も今も少しも変わってはいない。
ゴジラも、殺し屋のマーケティングも、一緒なのだ。

私は、20年前の私と一緒に舞台を観ていたような気がする。
女子高生の私が、「演劇とサヨナラして、ほんとうによかった?」と確認する声だったのかもしれない。
自分で創った世界ではないけれど、この舞台に私は参加していた。
そう思わせてくれる舞台だった。

『殺し屋のマーケティング』には、タイムスリップさせる力もあるようだ。

「あの時、あんな舞台が創れたらよかったのにね」
「いや、私にはそんな実力はなかったよ」
「ま、そうだね」
「でも……面白いと思ったことは、間違ってないよね」

やっと、あの頃の私と、演劇の話ができる。

***

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