ツレがうつになった時の気持ちに気づかせてくれたのは、新入社員の佳奈だった《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:bifumi(プロフェッショナルゼミ)
※この話はフィクションです
「夫が、
夫がうつになりました・・・・・・」
ぽろぽろと零れ落ちる涙を必死に拭いながら、佳奈は言った。
「えっ、ほんとに? いつからなの?」
私は驚いて、聞き返した。
佳奈の告白があまりにも唐突で、私は心の準備がまるでできていなかった。
「はっきりうつだと診断されたのは、今年の5月です」
「原因は?」
「昨年秋にあった転勤です。
職場が変わってから、彼だんだんおかしくなっちゃって・・・・・・」
「そんなにブラックな職場だったの?」
「はい。
休みもまともにとれない忙しい部署で、
ノルマもかなりきつかったみたいです。
人は次々辞めていくし、そのしわ寄せで仕事量は増えるしで、
今年のお正月頃には彼、もう笑うことすらできなくなってました」
佳奈は、その頃の事を思い出して、悔しそうに唇をかんだ。
「そうだったんだ・・・・・・」
「転勤したばかりだから、仕事にも環境にもそのうち慣れるよ、
がんばろうよ! って私、能天気に彼を励ましてたんです。
どうやらそれもよくなかったみたいで」
「うつの人に頑張れっていうのは禁句だもんね」
「あれが鬱の兆候だったなんて私、全然気づかなくて。
人は少ないし、仕事がまわっていないのも彼よくわかっていたから、
体調が悪くても無理して会社にいってたんです。
でもある朝、ソファから立ち上がろうとしたら、そのまま崩れ落ちるように倒れてしまったんです」
彼女の頬を、行く筋もの涙がつたっていった。
「それでも休めない、皆に迷惑がかかるって這ってでも彼、会社に行こうとするんです。
私、もう見てられなくて。
その日はとりあえず会社を休ませて、病院に連れて行きました。
そこで鬱だと診断されたんです。
まさか結婚して1年でこんなことになるなんて、なんだか悪い夢をみているようで」
佳奈は入社3年目の後輩で、私のいる部署の中でも一番の若手だ。
親子ほど年が違うのに、彼女が入社した当初から、私達は不思議と気が合った。
しょっちゅうご飯を食べに行ったり、好きなアーティストのライブに一緒に出掛けた。
そんな彼女が、24歳で結婚すると報された時は、正直驚いた。
まわりもまだ独身が多いだろうに、そんなに早く結婚を決めて後悔しない? と聞くと、全く後悔はないです! と清々しいほど爽やかに彼女は言いきった。
こんな風に佳奈に思わせるなんて、旦那さんになる人はきっと素敵な人に違いないと、可愛い後輩の結婚を微笑ましく思っていた。
佳奈は結婚後、お弁当を作ってくるようにもなった。
夫の分を作るようになったので、1つ作るのも2つ作るのも一緒ですからと、
照れながら笑っていた。
独身の頃はお金があればあるだけ使っていた彼女が、結婚と同時にしっかり者に変身したことに、結婚はこうも人を変えるものなんだと、私は驚いていた。
それまでお昼は2人でランチをよく食べに行っていたから、私はちょっと寂しい思いもしたけれど、しっかり家計管理をするようになった彼女の姿は、とても頼もしくみえた。
そんな佳奈の様子が、最近どうもおかしいことが気になっていた。
今までやったこともないようなミスを連発し、元気もない。
彼女が入社してからこんなことは一度もなかった。
朝、佳奈と更衣室で会った時に「今日は久しぶりに一緒にランチでもいかない?」と誘ってみた。
「はい、行きたいです。陽子さんにお話ししたいことがあるんです」と、すがるような目で彼女は訴えてきた。
ランチ場所は、私達がよく2人で食べにいったパスタの美味しい店にした。
古びた店構えだけれど、低く重厚なソファーは、スプリングがとても心地よく、あまりの気持ちよさについうとうとして長居してしまう。。
オーナー1人で作っている料理は、流行に左右されない昔ながらの味付けで、どれを食べても絶品だった。私と佳奈のお気に入りの店の1つだ。
店内に入ると、昼時には珍しく空いていた。
ゆっくり話しがしたかったので、私達は奥の方の席に座った。
「一緒にランチするのも、久しぶりだね。
佳奈がお弁当持ってくるようになったから、私のランチ巡りの楽しみがなくなったじゃないのよ、もう!
それより。
佳奈、最近なんだか元気がないみたいだけど、どうしたのかなと思って」
そう私が口を開いた途端、彼女の目からぽろぽろと大粒の涙が溢れだした。
そして旦那さんの病状について、泣きながら全て話してくれた。
「それじゃあ、旦那さんは今どうしてるの?」
「会社は休職してます。
私も仕事があるし、一人で家においておくのは心配だったので、
今、私の実家に2人で転がり込んでるんです。
昼間は母が一緒に居てくれるから、まだ安心なんですけど」
佳奈は苦しそうに大きくため息をついた。
「こんなことになって本当に申し訳ない。
お前に迷惑かけるばかりで、自分なんて生きている資格がない。
いっそ死んでしまいたいって、
彼、そんなことばかり口にするんです。
次の日には、妙にテンションが上がって饒舌になるんですけど、また何日かすると、
死にたい死にたいってこぼすんです。
もう、ずっとこの繰り返しです」
「彼になんて声をかけていいのかわからないし、つらいよね」
「はい・・・・・・。
そうなんです。
彼が何を考えているのか、私にはもうさっぱりわからなくて。
最近、自殺志望者がSNSで誘いだされて何人も殺された事件があったでしょ。
あの事件以来、私が仕事に行っている間に、彼がそういう所にアクセスしてるんじゃないか、どこか遠くに行ってしまうんじゃないかとか考えだすと、怖くて怖くて仕事が手に着かないんです」
佳奈は心身ともに憔悴しきっていた。
「結婚する前、お互いまだ未熟だし、年齢的に早いんじゃないかって、散々言われました。
でもこの人しかいない、ずっと一緒にいたいって思えたから、結婚を決めたんです。
それなのに、1年も経たないうちに彼、心の病気になっちゃって。
それみたことかって、周りから言われそうで、恥ずかしくて誰にも相談できなかったんです。
結婚したら、普通に幸せになれるって思ってたのに。
どうしてこんなことになったのか、私の何が悪かったのか、もうわからなくて・・・・・・」
「佳奈のこと、それ見た事かなんて言う人いないよ。
それより、ずっと一人で抱え込んできて苦しかったね。
もう我慢しなくていいから、今日は全部吐き出していいよ」
すると突然、堰を切ったように、佳奈はわっと声をあげ、
大声で泣き出した。
隣の席のOL2人組が、驚いたように、こちらを見ている。
佳奈には、思いきり泣く時間が必要だったに違いない。
誰にもいえず、家でもどんな顔をして彼に接したらよいのかわからず、
一人苦しんできた。
どこにも出せずに溜め込んだ思いを、今ここで吐きだしてしまったらいい。
私は、佳奈の気持ちが収まるまで、黙って見守っていた。
ひとしきり泣き、胸につかえていたものを一気に吐きだすと、
まるで何か抜け落ちたかのように、
佳奈は落ち着きを取り戻しはじめた。
「すいません、こんな重い話しを聞かせてしまって」
「ううん大丈夫、気にしないで。
これは私の話しなんだけどね、
今の佳奈の状況、私が結婚した時とすごく似てるの」
「えっ、
陽子さんのご主人も鬱になったんですか?」
「ううん、鬱になったのは私の方。
だから、状況は佳奈のだんなさんと一緒」
あの頃のことは今でもよく覚えている。
結婚後すぐに私は妊娠し、長男を出産した。
分娩室で、息子を産むところまでは何の問題もなかった。
けれど、息子を産んだ直後から出血が止まらなくなり、
個人病院ではもう対応できないと、設備の整った大きな病院に搬送された。
運ばれた先の病院で医師から、輸血なしではもう無理だといわれ、主人と母が渋々輸血の同意書にサインをした。
おかげで、どうにか一命をとりとめることができた。
けれど、出産後の体調はなかなか戻らず、その後産後鬱を患った。
頭痛と吐き気、倦怠感に襲われる毎日。
何もする気が起きないし、実際何もできなかった。
自分の身体なのに誰か人の身体の中にいるようで、
体から今にもふわふわ抜けていきそうになる自分のしっぽを、離さないようにいつも必死で掴んでいた。
家事も育児もまともにできなかった。
一日中ほぼ寝ている自分が、情けなくてしょうがなかった。
悔しさと、これがいつまで続くのかという不安で、押しつぶされそうだった。
毎日顔を見ているのに、子供のことが全く可愛いとは思えなかった。
結婚して一年ちょっとでこんなことになるなんて。
夫に対する申し訳なさで、死んでしまいたい、この世から消えてしまいたいと、毎日思っていた。
これまで普通にできていたことが、なんの前触れもなくできなくなった事への絶望感。
家族に迷惑をかけている後ろめたさ。
子供を全く可愛いと思えない自分の母性の欠如。
ただ普通に生活したいだけなのに、それすら叶わない。
これ以上苦しむ姿を家族にみせたくない。
もう迷惑をかけたくない。
私がいなくなれば、きっとみんな幸せになれる。
今すぐ消えてしまいたい。
あの頃、どうやったら楽になれるか、そのことばかり考えていた。
ある日、家でパソコンを使っていた夫が「自殺」や「楽な死に方」というワードが並ぶ検索履歴を見つけ、ただ事ではないと、私を慌てて心療内科に連れて行った。
そこで、私は産後鬱だと診断された。
「陽子さんが鬱だったなんて、知りませんでした。
その時、死にたい、消えたいって、やっぱり思ってましたか?」
「うん、毎日思ってた。それしか考えてなかった」
「そんな状態が一体、どのくらい続いたんですか?」
「約3年くらいかな」
「3年もかかったんですか?」
彼女はこれから続くであろう道のりの長さを想像し、呆然としていた。
「今は、薬とか、電磁波とかいろいろいい治療法があるみたいだけど、
何よりも効いたのは、やっぱり私は時間だったような気がする」
「じかん ですか?」
「うん。
鬱の症状って一進一退なのよ。
今日気分がよくても、次の日にはまた、ドーンと落ち込むことなんてしょっちゅう。
焦っても、もがいても、結局その繰り返しの3年間だった」
「じゃあ私は、彼に一体何をしてあげたらいいんでしょうか」
「なにも」
「えっ?」
「何も特別なことはしなくていいよ。
腫れ物に触るように扱われたり、変に気を使われたりする方が私は嫌だった。
だから佳奈は、旦那さんに今までどおり、普通に接してあげたらいいんだよ」
「経験者の陽子さんがいうのなら、きっとそうなんでしょうね
あれもやってあげなきゃ、これもやってあげなきゃって、思えば思うほど私一人で空回りして、なんだか疲れちゃって。
わかりました、私今まで通り、普通に生活します。
最近、肩にすっごく力が入っていたみたいで、肩凝りが半端ないんです。
もうガッチガチです。
今日は久しぶりに帰りにマッサージにでも行ってこようかな」
ようやく佳奈の顔に血色と笑顔が戻ってきた。
「そうだね。
2人で落ちこんじゃうと、さらにしんどくなるからね。
いつもの元気な佳奈に戻ってきたみたいで、安心した」
「はい、おかげで力が湧いてきました。
昼間は母が彼と一緒にいてくれるし、私が日中グルグルグルグル1人で悩んでてもしょうがないって分かりました。
陽子さんに聞いてもらえて本当によかった、ありがとうございます」
私が一番産後鬱がひどい時期に、夫は浮気をした。
その事実を知ったのは、産後鬱を発症してから3年後の、体調も精神的にもようやく元にもどりはじめた頃だった。
何の気なしに見た、夫の携帯に怪しいメールと写真がびっしりと詰まっていた。
男ってなんて脇が甘いのだろう。
絶対にこんな痕跡を残してはダメだろう!!!
許さない。
私を気遣うフリをして、この人は私を裏切っていた。
裁判に持ち込んででも、絶対に離婚してやる!
今後の生活に困らないくらいの慰謝料と生活費をきっちりとってやる。
子供は絶対に夫に渡すものか。
だけど、今の不安定な私の精神状態と、無職の身では、親権を夫にとられかねない。
私が自立できるだけの仕事をみつけるのがまず先だ。
それからは、少しでも離婚に有利に進むよう、私は必死に仕事を探した。
浮気がばれていることも、私が離婚を考えていることにも全く気付いていない夫は、私が前の職場に復帰したいと話すと、いいんじゃないと呑気に賛成した。
その頃から今でいう、旦那デスノートを欠かさず付け、
どうやって、復讐するかをあれこれ考えることが私の唯一の楽しみになった。
夫に対する最高にして最大のダメージはなんだろう?
考えて考えて考えぬいた結果、夫は九州男児なので、
何もかも私が身の回りの世話をし、自分では何もできない人間に育て上げる。
そして夫が退職するその日に、離婚を切り出し、私の諸々の準備が功を奏し、
夫がいやだといおうが、なんといおうが、私は離婚を勝ち取る。
そしてその後、夫からも義理実家からも解放され、私は一人で自由気ままに生きていく。
当然夫は何もできないので、私のありがたみをひしひしと感じながら、
一人さびしく余生を終えていく。
熟年離婚した夫の方が、いかに悲惨な生活を送るかを、親戚を通して間近で見てきたので、この筋書きが復讐にはもってこいだと、一人心の中でにやついた。
私は根に持つタイプだし、一度怒らせると手が付けられない。
その私を怒らせてしまったのだ。
私の存在がどれほど大きかったか、思い知るがいい。
自分の怨念の深さに時々、鳥肌がたつくらい、興奮した。
ちゃくちゃくとこの計画は進んでいった。
ただ、佳奈から旦那さんの鬱の話を聞くまでは・・・・・・
「あのさ、私が芳樹を産んだ後、産後鬱になったでしょ。
あの時、あなたにもすごく不安で苦しい思いをさせたよね、ごめんね」
晩御飯のテーブルで、私は夫にふいに頭を下げた。
「ん? 何、急に?」
夫は一瞬怪訝な顔をしたけれど、
「不安だったかと言われれば、そうだったような気もする。
でも、ずいぶん昔のことだしもう忘れた。
いろいろあったけど、今はみんな元気だから、それでいいんじゃない」と言った。
佳奈にありがとうと言わないといけないのは、私のほうだ。
私は産後鬱を患っている間、悲しい、つらいと、1人で絶望の淵にいると思っていた。
でも、佳奈の話を聞いているうちに、あの頃、私と同じくらい夫も不安で不安でしょうがなかっただろうことに、ようやく思い至った。
息子を出産してから17年。
そんなことにも気付かず、これまで夫と離婚することだけを目標にして生きてきたなんて、私はなんておめでたい人間なんだろう!
佳奈の一件以来、夫との離婚は私の中で宙に浮いてしまった。
あの頃、クソーッ! という夫に対する憎しみが私を一念発起させ、
心身共に社会生活に復帰できるまでに、回復できた。
何が功を奏するかわからない。
怒りのパワーは計り知れない。
おかげでいつでも一人で生きていける仕事もキャリアも身に付けた。
いざ、欲しかったものを手に入れ、大喜びしていいはずなのに、なんだか拍子抜けしてしまっているのは何故だろう。
夫を許せない気持ちは、もちろんまだある。
でも私の怒りにも、やはり時間が一番の薬になったのかもしれない。
5冊分の夫デスノートがゴウゴウ音をたてて燃える様は、
まるで私の全てを表しているようで、荒々しいが美しかった。
さよなら私の17年。
この全てが燃え尽きてしまう時、私の心の中の怒りも消えてしまうのだろうかと、
燃え盛る火を見つめながら、私は一人ぼんやりと考えていた。
***
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