私のおばあちゃんはどうやらスーパーおばあちゃんのようだ
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記事:河邉ひなた(ライティング・ゼミ 平日コース)
大学に入ってよく聞かれる質問がある。
「実家? 一人暮らし?」
「おばあちゃんと二人暮らしをしているよ」
「え? 実家は県外なの?」
「いや、福岡なんだけどおばあちゃんが一軒家で一人暮らしをしてたから大学進学を機に実家から引っ越したの」
初対面の人と話すときの定番質問ランキングがあれば出身地を聞かれることと同率トップなのではないかと思う「実家か一人暮らしか」という質問。尋ねる側は実家か一人暮らしか、の二択しか返事を構えていないので、私の返答に相手は
「え?」
となってしまうことがほとんどだ。
そうなのだ、私は75歳のおばあちゃんと今年の4月から二人暮らしをしているのだ。
おばあちゃんの家にもすっかり慣れた。引っ越した当初は、おばあちゃんの家は長期休みに泊まるものという概念だったので毎日お泊まりをしているような不思議な感覚だった。しかし、いまでは自然に「ただいま」が言えるし、目をつぶっていてもシャワーの蛇口を捻ることができるくらい家に馴染んでいる。
おばあちゃんと二人暮らしを始めてから気づいたことがある。
私のおばあちゃんはどうやらスーパーおばあちゃんのようだ、ということである。
ある日、おばあちゃんが転んだ。
バスが揺れたときにバランスを崩して後ろに転んで頭を打ったそうだ。そのとき私は県外で用事があって3日程家にいなかった。
頭を打った翌日、違和感を感じたおばあちゃんは自分でタクシーを呼んで病院に行った。診断結果は異状なしだった。そして家に帰ったおばあちゃんは息子である私の父に自ら電話をかけて、転んで頭を打って病院に行ったこと、診察の結果など経緯を伝えたのだ。
自分で自分の身体の状況を把握し、ここまで完璧に対処できる高齢者は世の中にはたしてどれくらいいるだろうか。
しっかりしているスーパーおばあちゃんだ。
こんなこともあった。
「ただいまー」
「おかえりー」
いつものように迎え入れられ、部屋に荷物を置いてリビングの自分の席に座った私は、そこがいつもと違うことに気がついた。足を突っ込むクッションともこもこのスリッパが足元に揃えて置いてあったのだ。しかも足を突っ込むクッションは帰宅する時間を見計らってくれたのだろう。すでに電源がついていてじんわり暖かいのだ。
驚いて少し離れたキッチンいるおばあちゃんに思わず大きな声で呼びかけた。
「お……おばあちゃん!」
「なに?」
おばあちゃんは何事もないように答えた。
「クッションとスリッパ……」
「ああ、そうそう、今日は冷え込むからね、買いに行ったんよ。」
「えー! ありがとう!」
驚きすぎて普通のリアクションになってしまったが、内心は感動でいっぱいだった。
私が毎日のように足が寒いと朝やお風呂上りにぼやいていたことを気にかけてくれたのだ。
ニュースではこの冬一番の寒さだと言われているような日に、私のために出かけて私のために選んで買って、何事もないように完璧にセットしてくれたのだ。
思いやりと気配りに溢れているスーパーおばあちゃんだ。
そんな私のおばあちゃんは難病を抱えている。その病気を発症したのは随分前で今更聞くのも気が引けて詳しくは知らない。わずかに知っていることといえば、腕が肩より上には上げられないこと、いまでも毎日薬を飲んでいることくらいだ。ただ、不治の病であるらしいおばあちゃんは元気そうだ。治らないからって卑屈になっているところを見たことがない。いつもテレビを見てケラケラ笑っている。健康番組でアボカドがいいと言っていた翌日の冷蔵庫にはアボカドが入っていて、これとこれの食べ合わせがいいと言った翌日の献立にはバッチリと反映されている。
もうすぐおじいちゃんの一周忌がある。亡くなって1年経とうとするいまでも、おばあちゃんは2日に1回は楽しそうに笑いながら生前のおじいちゃんの話をする。それからおじいちゃんの書斎にある本を引っ張り出してきては、おじいちゃんの書き込みを見つけて嬉しそうに読んでいる。更に季節の変わり目には玄関にある写真たてにカメラが趣味だったおじいちゃんが撮った四季折々の写真を入れ替えている。
素直で可愛いスーパーおばあちゃんだ。
私の大学受験期におじいちゃんは亡くなった。それからおばあちゃんは一軒家で一人暮らしをしていた。葬儀以降、顔を合わせる度に
「私が引っ越して一緒に住んだら安心だ」
と親戚は口々に言った。はじめ私は乗り気ではなかった。厳格で礼儀を重んじる父方のおじいちゃんおばあちゃんは物心ついた頃から少し苦手意識があったのだ。しかしおじいちゃんが亡くなって、私は受験を言い訳にあまりお見舞いに行かなかったことに、いやそれ以前から抱えていた苦手意識そのものに負い目を感じた。
親の目から離れて自由になれる、とか、家賃を気にしなくてもいい、なんて色々都合が良かったことも理由としてはあったが、こう言ってしまうと重くなってしまうが、ほとんど亡くなったおじいちゃんへの罪償いのような気持ちで引っ越したのだ。
おばあちゃんへの来客と会うと
「一緒に住んでくれてありがとうね」
「こんな若い子と暮らしてたら若返るでしょう? いいわねえ、羨ましいわ」
なんてことを毎回言われる。
でも、恩恵を受けているのは圧倒的に私の方なのだ。
おばあちゃんと暮らすまで自分がおばあちゃんになったときのことなんて想像したこともなかった。十年後、いや五年後の自分だって思い描くことができないのに五十年後なんてこんな機会でもないと考えられなかっただろう。
以前はなるべく人に迷惑をかけないように自分のことは自分でやって生きていきたいと漠然と考えていた。いまはそれに加えて、思いやりの気持ちを忘れず、病気になってもくよくよせずに笑って、そして例え好きになった人に先立たれたとしても思い出を大切にして生きていきたいと思っている。
スーパーおばあちゃんのように。
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