メディアグランプリ

ファスナーが閉まりきらずに見えていたのは……。


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記事:小濱 江里子(ライティング・ゼミ特講)
 
「あんたはわかってない……」
 電話の向こうから聞こえる声は震えていた。わかってないのはそっちでしょ、なんて、もう到底言える状況ではなかった。自分の母親が亡くなった時でさえ、息を引き取った直後以外は涙も見せずに気丈に振る舞うお母さんが、電話の向こうで泣いていた。
 「私は私の人生を生きるから!」
 何かの話の途中で、ついに口から出てしまった。
 私はずっと「いい子」でいようとしていたのだ。お母さんの期待に応える、お母さんの思う「いい子」でいることで、愛して欲しいと思っていた。大好きなお母さんの愛情を独り占めしたかった。狭い家の中では、弟という王者が頂上に君臨している。それはとてつもなく悔しかった。あいつが生まれてくるまでは、私がこの家の頂上に君臨していたのに、ほんの2年後にこの世に誕生した、ただそれだけで、その時私が持っていたものを全て奪い去って行ったのだ。悔しくて悔しくてたまらなかった。だから、これ以上誰かにお母さんの愛情を奪われるわけにはいかなかった。せめてよその子には負けたくなかった。
 「あんたのクラスの船越さん? あの子はしっかりしとるね」
 お母さんが誰かを褒める話を聞くたびに、胸がぎゅうっと鷲掴みにされるように苦しくなって、何かで私も取り返さなくちゃ、と思っていた。誰かが褒められると、負けたような気がしていたのだ。
 だから、どうにかして「いい子」でいるために、褒められる側の人間でいようと頑張ったし、怒られることなんてあってはならないと思っていた。
 だけどある時、気づいてしまった。
 それが私を苦しめていたのだと。
 褒められるために、「いい子」というレッテルを自分に貼り続けていくために、我慢してきたことを誰かがすると、ものすごく腹が立つ。絶対にしてはいけないと心に決めたことを、バランスが崩れてしてしまおうものなら、自分で自分を殺してしまいたくなるほど苦しくなる。
 「いい子である」というレッテルを守り続けているからこそ苦しいのだと気づいた時、私はもうレッテルを剥がして自分の人生を生きると決めた。
 そして、「いい子」のレッテルを見せ続けて来た相手、「いい子」のレッテルによって愛情を得ようとしていた相手である、お母さんに思わずその宣言をしてしまったのだ。
 それを聞いたお母さんは泣いていた。
 苦しんでいるのはお母さんのせいなんでしょ。お母さんがどれだけ大切に想ってきたか、あんたはわかってない、と。
 
 それでも戻るわけにはいかなかった。
 もう期待に応えるのではなく自分を生きる、と決めたのだ。
 
「はつらつとしてきたね……」
 それから3年後の春、実家に帰った私を見て、母はまた涙を浮かべてそう言った。自分を大切にして生きると決めた。正社員として働いていた仕事を辞めて、自分らしく生きるとは何かを模索し始めたところだった。
 当たり前のように毎月振り込まれていた「お給料」という安定は無くなったし、未来を思うと不安で仕方なかったけれど、毎日がジェットコースターのようで全身の細胞が些細な変化に敏感になっていた。うれしい出来事は、世界がキラキラするほど感動したし、何も起こってないのに暗闇のどん底にいるかのように怖くて仕方なくなったりした。
 「いい子」を脱して自分を生き始めた私は、お母さんにとってはつらつとしたように見えてうれし涙を浮かべたのだ。私らしく生きる姿を喜んでくれる人がいる……。この上なく嬉しくて、あまり泣けない私の目からも涙が溢れた。
 ここまで頑張ってきて良かった。
 自分の心と向き合ってきて良かった。
 感慨深く、これまでの人生が走馬灯のように思い出された。
  
 校則を破ることも、学校をサボることも、遅刻することもなかった高校時代。初めて授業をサボる経験をした、大学時代。看護師としての経験を積むために次の病院まで決めていたのに、リセットするために看護師から離れた約1年。行き先を決めない旅をしたり、好きなアーティストのツアーに周ったりして過ごした。このままじゃ同じ未来しかない、と30過ぎて引越しして転職した。
 
「結構自由に生きとるね」
 
 泊まりにきた前の職場の同期に言われてハッとした。
 あれ? 本当だ。
 自分で貼った「いい子」のレッテルを剥がしたくて、必死に生きてきた……つもりだったし、ジャイアンに憧れる出木杉くんだと思っていた。てっきり、自分は出木杉くんだと思っていたのだ。
 「その曲、イライラするからかけないで」
 弟が彼の好きなアーティストの曲を車でかけた時、そう言って、止めさせた。
 ジャイアンじゃないか。ジャイアンそのものじゃないか。
 最悪だ。
 本当はジャイアンなのに、怒られるし愛してもらえない気がするから、出木杉くんの着ぐるみを着ようとしていたのだ。ファスナーが閉まりきらずに背中からジャイアンが見えているというのに。
 本当は自分に嘘がつけなくて、わがままでマイペースな自分でいると、見捨てられそうな気がして怖かったのだ。
 もうそろそろ出木杉くんの着ぐるみを抜いで、正々堂々と、ジャイアンとして生きよう。だってそんなダメダメなのが、私なのだから。
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2017-12-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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