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免許なんていらないと思ってた。


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免許なんていらないと思ってた。
記事:林新太(ライティング・ゼミ 日曜コース)

「そんなの、いらなくない…?」

おれはどきっとした。自分の心を言い当てられたようで。
サークル仲間に運転免許とるって話をしたら、ばっさり切られてしまった。

「免許なんてなんでとる意味あるの? ここ東京だよ?」

ごもっとも。少なくとも東京にいるなら、免許なんていらない。数分単位で電車がやってくる、バスも来る、交通の不便など一切感じたことはない。

「でもさ、就活に良いっていうじゃん。生協のチラシにも書いてるし…」

「まあね。仕事によってはいるかもな。でもさ、具体的に何になりたいわけでもないんだろ? だったらやっぱりもったいなくね? 何十万も払って、何時間もかけてって、そこまでして履歴書の資格に書けることが一個増えるだけって。」

「でもやらないよりはさ……。」

「就活のためならインターンでもいけよ。その方が、絶対役に立つって。有給のとこだってあるんだから。コスパよくね?」

完全論破。ぐうの音も出なかった。おっしゃる通り、本当に。俺だって内心そう思ってた。免許取ることなんか何の意味もないんじゃないかって。

「通過儀礼ってやつだって。大人の仲間入りしてくるわ」

とか何とかわけのわからない言い訳を絞り出して、その場をやり過ごした。

免許なんていらないってわかってる、それでも……。どうしても今やらなくてはいけない理由があった。そしてその時の俺はまだ、免許証に電子顕微鏡ぐらいの価値があることに、まだ気づいていなかった。

空虚。ひたすら空虚な日々を送っていた。大学受験を運で乗り越えてしまった俺に待っていたのは、何もない生活だった。周囲の大人に徹底的に導いてもらって、合格をつかませてもらった。この教科はこうしなさい、こういう生活パターンにしなさい、全部決めてもらっていた。だから、ひとたび「自由」になった途端、どうやって生きるのかわからなくなってしまたのだ。こんなにもすぐ誰にも指示されず生きなければいけない日が来るなんて高校生の自分は想像していなかったんだろう。

 生活も乱れた。寝坊が常習化し、授業も遅刻が当たり前。講義に出たとしてもやっているのはせいぜい「聞いているふり」。大学生活が人生で一番大事って誰かが言ってたなぁ……。

ある意味救いだったのは、同世代の大学生たちの存在だった。俺みたいなのがいっぱいいた。大学生活に意味がなくても、やつらと一緒に無駄な時間を過ごすのも悪くないかな、なんて思っていた。

だが、そんなのんきな日々はそうは続けられない。仲間たちはだんだんに資格に、趣味に、勉強に、自分の道を見つけて歩き始めてしまった。俺とあいつらは同じだったわけじゃない。かれらは、ただいったん立ち止まることを「選んだ」だけだった。自分だけが、ただこの場所にとどまっていることにぞっとした。

 横にはもう誰もいなかった。ただ「大学までの人間」の俺が一人いるだけだった。

 
 そんな時飛び込んできたのが免許合宿のポスターだった。これだ、と思った。何か意味のあることをしていると誰かに思ってもらいたかった。なんでもいいから。「ここ」に一人で立ち止まっている姿を誰かに見られるのが怖かったのだ。わかってる、都会で生きていく限り免許なんてせいぜい身分証ぐらいの価値しかないって。それでもいい。免許を取ることに意味があるかなんてどうでもよかった。世の中が少しでも何かをしている自分を認めてくれると思いたかった。
 「インターン」なる魔境には怖くて近づけなかった。そんなところにいったら、自分が「初期装備」のままノコノコ歩いていることがばれてしまうから。
誰でもなんとかなるらしい、免許が一番「本当の自分」を見られずに済む気がしたんだ。

そのようなくよくよを経て、近所の教習所に申し込んだ。こんな些細なことでも、恥ずかしながら一大決心だった。どんだけ何もしてこなかったのかを実感してまた悲しくなった。

そこから地獄のような日々が始まる。まず、朝が早い。講習が8時から始まるなんて……。それまでなら当然寝ている時間だ。そのうえ遅刻は許されない。一分でも遅れれば、なんと一回3000円もの再受講料の支払いが待っている。そしてなんとか講習に間に合うと、待っているのは鬼教官だ。いや、普通のおじさんを俺が鬼化させているというのが正しい。
俺は、致命的に運転能力が欠落していたらしい。一度に二個のことができないこと、方向感覚がないこと、運動音痴なこと、ハプニングが起こるとショートしてしまうこと、とにかく何もできない。補助ブレーキと、怒号の嵐だった。

 あれ、自分の恥ずかしい部分を見られなくて済むように、無難な挑戦のために免許取ろうと思ったのに……、気づいたらみっともない自分を見せ続ける日々だった。誰にでもできるはずのことですらできない自分を。

 やめたいけど、受講料かえってこないしなぁ。

 結局プライドをずたぼろにされながらも、この地獄の出口に、はってたどり着いた。仮免で車を脱輪させること一回、卒業検定で横を走る車にタックルしそうになること一回。一緒に受験した方々の中で毎回最下位だったのではないかと思う。

 自分の免許が発行される。それなりの達成感はあるのだが、自分の思惑は何も達成されていないことに達成されていないことにがっかりする。いろんな人に無様な俺をさらし続けるための日々だったなぁ……。その代わりがこんなカード一枚かぁ、つまらないことを考えながら免許センターを出る。

 
 世界は全く違う景色になっていた。自動車と人が行き交うただの「日常」にすぎない。しかし、全然違った。
子供のころから世界は「全自動」だと思っていた。もちろんあの車に運転手がいることは知っている。それでも車たちの群れは完璧に制御されて、世界は安全にできていると思い込んでいた。
 本当はそうじゃなかった。あの人がほんの少し手や足を滑らせるだけで、横断歩道をわたる俺は死んでしまうかもしれない。あのタイミングで自転車が車を追い抜いたら、運転手は気づかずに自転車のいる方向へ曲がってしまうかもしれない。
 世界は完璧にはできていなかった。いつどの瞬間で「日常」が崩れてしまうかは、すべて登場人物の手にゆだねられていた。

 あたりまえの景色だと思って見ていた「日常」の本当の姿を、免許を手に入れる前の俺は見ることができていなかった。免許を取ることには意味がある。少なくとも見えているんだけれど見えない世界を見せてくれる装置、たとえば電子顕微鏡ぐらいには。

 もうひとつ、気づいた。別に自分以外の人間も、先に歩いて行ってしまった大学の仲間たちも、完璧じゃなかった。完全で、安全で、合理的じゃない。それでも、かれらは必死にもがいて、完全で安全なような「日常」を作り出すことになんとか成功しているのだ。

 俺は、何者でもない。それでもあがいてみていいんじゃないか。

そんなことを考えながら、変な表情をした自分が写った免許を財布の中にしまった。

あ、あと早起きできるようになりました。ほんの少し。
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2018-01-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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