プロフェッショナル・ゼミ

マウスが使えない彼女に教えてもらったこと《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:松下広美(プロフェッショナル・ゼミ)

 
 
「今日からお世話になります。よろしくお願いします」
「どーも、よろしくねー」
 
今週、3人の新人が入った。
そのうちの1人をマンツーマンで教えることになった。
「これ、血清っていうんだけど、健康診断とかで採血されたことってあるかな? そのときに、こういうの、見たことある?」
医療業界、とひとくくりにしてしまえば、メジャーな業界なのかもしれないけれど、専門職の色が濃い。専門職に就くために勉強してきた人ならいいのだけれど、今までこの業界にいなかった人に対しては、ひとつの言葉を教えるだけで、けっこう大変な作業だ。江戸時代の人に、携帯電話ってこういうものなんだけど……と教えるくらい大変なときもある。
なかなか自由に身動きが取れず、自分の仕事は増えていく一方だけど、こればかりは仕方がない。メモをとって、頑張って覚えようという気持ちが伝わってくるので、ちゃんと教えてあげないと、という気持ちにさせてくれる。
 
ふと、これまで、何人の新人を教えてきただろうな、と振り返る。
 
初めて、誰かに仕事を教えたのは、やっと、一通りの仕事ができるようになった頃……入社して数年目のこと。
 
「これは、こうするんだよ」
ひとつひとつ、仕事を教えていた。
自分の覚えたことを誰かに教えることができるのが面白くて、丁寧に教えていた。
「まっちゃんは教えるのが上手だから」
そう、先輩に言われて嬉しくなった。今思えば、そうやって私に言うことで体よく使われていたのかもしれないけれど、その時の私にとっては本当に嬉しかった。そのときは、同じ資格を持った人に対してだったので、何の疑問も持たずに、あたりまえに専門用語を使って教えていた。
 
それから何年か経ち、部署内には入って数ヶ月の新人だらけで、派遣で入れ替わりが激しい、という時期があった。
 
「え? これ、やれってことですか?」
なにか、新しい仕事が入るたびに、上司に突っかかった。
「わかりましたよ。やりゃいーんでしょ」
20も年上の上司に対する言葉遣いじゃないなと、今になって反省はする。
でも当時はまったく余裕がなかった。
一日の業務を回すことで精一杯で、常にピリピリしていた。
 
そんな気持ちが、教える態度にも出ていた。
みんなの前で「そっちじゃなくて、こっちやって!」などと大声で注意をする。
なにかミスをすると「なんでそうなったの? え? なんで?」と、明らかに責める口調で原因を尋ねて、相手が黙り込むことに、またイライラした。
 
なんで、できないんだろう?
 
イライラした気持ちと一緒に持っていたのは、疑問だった。
自分と同じように、なんでできないんだろうと。
 
「派遣会社から、パワハラじゃないかと言われている」
上司から呼び出されて、そう言われた。
え? パワハラって?
10年ほど前のことで、まだ「パワハラ」という言葉が、あたりまえに存在をしていなかった。だから、言われたことがよくわからなかった。
しかしあまりにも深刻そうに話す上司の言葉に耳を傾け、話を聞いていると、派遣社員の人が、私の言動が恐い、と言っているということだった。
「とりあえず、穏便に処理したから。あんまりキツイこと言うなよ」
 
頑張って仕事をしているのに、それを注意されるなんて……。
私の言い分は聞いてもらえないわけ?
ちゃんとできていないことを指摘しているだけなのに、それが悪いのなら、どうしたらいいのか。こっちも忙しいんだし、キツイ言い方にもなるよ。放っておいて、ダメなところに目をつぶれということなのか。
 
なんだか、急にアホらしくなった。
 
……必死に頑張らなくても、いっか。
とりあえず、与えられた仕事はこなすけど、もうそれ以上のことはしない。
やれと言われたことをする。やれと言われても「なんでやらなきゃいけないんですかー?」と、反抗をした。
ただただ、惰性で過ごした。
あぁ、頑張らなくても、いいんだ。入ってくる新人も、迷惑かけない程度に放置して、聞かれれば答えればいいか。
ま、仕事、面白くないけど、給料もらえるし……。
 
「クリックって、どうするんですかぁ?」
 
え? 今、なんて言った?
自分の聞いた言葉が、聞き間違いではないかと思った。クリックがわからないって、どういうことなんだ、と。
でも、それは聞き間違いではなかった。
目の前のいる新人が言っている。
本当に、クリックがわからないのだ。
マウスの使い方がわからないのだ。
 
医療用語を知らないどころか、同年代の人で、パソコンの、マウスの使い方がわからない人がいるんだということを知った。
 
同僚のみんなが、「信じられない」と言った。
私も信じられなかった。呆然とした。
 
でも。
 
クリックもわからない、マウスも使えない彼女が、普通のクリックを常に必死にダブルクリックをしているのを見て、笑いがこみ上げてきた。
「それはね、一回、カチってすればいいんだよ、ほら」
「すごーい!」
パソコンも使えない彼女を、仕事ができるようにしたら面白いかも。
そんなふうに思うようになった。
 
彼女にわかるように説明するには、どうしたらいいのか。
どう噛み砕いて説明すれば、わかってくれるのか。
この説明でわからなければ、どんなアプローチでいけばいいのか。
 
どう伝えたら、彼女にわかってもらえるのだろうかと考えた。
「それって、こういうことだよね?」と、日本人の彼女が伝えようとしている言葉を、日本人の同僚に通訳したりもした。
彼女も努力していないわけではない。
ワードで作っている、普通なら一時間位で作れるミーティングの議事録を、一晩かけて作っている彼女をすごいなと思った。
 
その頃からだろうか。
仕事を教えることが、面白くなってきたのは。
 
「パワハラをしている」と言われたときは、一方的にこちらが言いたいことを言っていただけだった。言いたいことだけを言って「なんで、わかってくれないの?」と、イライラする。空気を読んでくれと思っていた。
でも、誰かに何かを伝えるとき、自分が伝えた、と思うだけではダメなのだ。
伝えたいこと口に出して言って、「伝わったよね?」と確認をしないといけない。空気を読むことも時には必要かもしれないけれど、しっかり伝える行為が大切だ。
伝えることは、キャッチボールが必要なのだ。
しかも、新人さんは仕事のことだけでなく、慣れない環境や人間関係、様々なことに気を使っている。少しでも慣れるための潤滑油になるのが、仕事を教える人の役目でもあると思う。
 
そして、ずっと疑問に思っていた「なんで、できないんだろう」と思っていたこと。
 
そりゃ、同じようにはできないよ、って今なら言える。
私は、コピー人間を作ろうとしていたのだ。
自分と同じように動ける、同じように考えることができる、自分のコピーを作りたかったのだ。教えているのに、同じようにできないことが、理解できなかった。若かった、といってしまえばそれだけなのだが、相手の立場に経って考えることができていなかったんだな、と思う。
私もできないことは多い。
走ることが遅かったり、逆上がりができなかったり。英語だって喋れないし、恋愛もまともにできたことがない。
そういうことに対して、なんでできないの? と言われても、できないものはできないんだよ! と答えることしかできない。
 
「すいません! 私、やること遅くて……」
「いーよー、大丈夫。だいぶできるようになってるから」
 
今週入った新人さんは、基本的な動作はできるようになっている。
何人も教えてきた経験で、3日くらいすれば、どれだけできる人かが感覚でわかるようになった。
一週間でこれだけできるようになれば、大丈夫。
教えることはまだたくさんあるけれど、はじめの一歩としては充分だ。
 
できないことを数えるよりも、できることを数えていく方が、ずっと楽しい。
昨日よりできることが増えていると気付くだけで、明日はもっとできるようになるんだと思うことができる。
 
自分では気づけない、できることを、伝えることができたらいいなと、そんなふうに思う。
 
現在、マウスも使えなかった彼女は、部署内では一番の戦力になっている。
今もパソコンは苦手みたいだけど、マウスはちゃんと使えるようになったし、キーのタッチも人差し指一本だったのが、なんとなく両手を使えるようになっている。議事録に一晩はかからないようになった。
 
私は彼女に助けられた。
ほんとうに感謝をしている。
 
 
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